Chapter-6 僕の世界は美しい-ll




惨劇が繰り広げられし中央庭園。

落ち着いた様子で扉を開け,

拝礼した青年は, 穏やかに天使を宥めた。


"黒翼様...いえ,第2位階天族たるスワン。"


"ん?お前は"


"おやめ 頂きたい"



声の主はサーヴェトラと謂う。

龍族の貴顕にして,正統派に属する青年だ。

淡い緑の前髪を掻き分けて,

象牙にも似た一対の角が生えている。

対称的な曲線を描いたその角は, 骨格の一部。

僧院専用の礼服を纏い, 現れた。


空を舞う天使は人為の営みを無視するが,

追従する龍と語らいもする。


龍族は,天使を始めとする

天族に類型した飛翔能力,性質を持つ。

だが階級,《種族位階》においては,

天族から見てやはり下種の下種だ。

液族の悪党からは時に翼や角を狙われ,

天族には基本的に服従する。

葛藤の多い種族なのだ。

サーヴェトラもまた,その一体である。



少しでも動けば《破門》されるのでは。

恐ろしさの余り,

新入りの神官達は放心していた。



"神官が怯えておりまする。お戯れは..."

"--EXCOMVNICATIONIS--"

サーヴェトラより最も近くにいた

両端の神官が,爆ぜた。

龍の登場により安堵していた2名。

その下顎が溶け落ちる。

肉片が龍の頬に右から,左からと,飛散する。

黒翼は無表情のままである。

蛮族にも劣らぬ残忍さを携えて。


誰かが気絶し, 倒れる音がした。


愈愈表情に険しさを増した龍は,

諫言を呈する事にした。


何がスワンを狂わせたのか。

先の大乱か。彼が刈り取った敵の怨念か。

血染めの翼が太守の権益に重なった。


竜骨の回収を続ける以上,

この場に留まれるのは後2〜3日程度。

今, 助命に成功しても, 気に召さぬ神官は

己が去った後に次々と屠られるだろう。


無意味かも知れない。

されど, 己の一存が

少しでも変化を産むならば。

助けてやらねば。


"貴方は人間種より遥か高みの存在ゆえ"


黒翼は次の《破門》の対象を見定めている。

表層思考に僅かな憎悪を浮かべていた,

金の巻毛をした勝気の少年神官。

天族の指先が, 怯えるその額に。



"無体な振る舞いはお控え願いたい"



"...ふん"



小さな溜息と共に,

《破門》の能力は解除され,

指先の瘴気が消えた。

そして双剣が抜かれる。

次は直々に刎ねる意向か。

警戒する龍や神官の意に反して,

惚けた欠伸が響き渡る。


"苛々する。ここは茶番の舞台ではないのに"


器用に双剣の柄を回す。

生類の如く滑らかな回転。

戦場で次々と蛮族を屠る太刀筋だ。


"下種が僕達に葬られるのは, 当たり前だよ"


サーヴェトラの一存は大きかった。

諫言の主が龍であったから解除されたのだ。

人間や液族ならば,先程の二の舞に。


だが, 黒翼は次なる殺を求めていた。

回転を止めた双剣が, 気絶した男を指す。


"還御序でに,殺を下したいな。

ここの神官達の首を刎ねようと思うんだけど"


"...控えられよ!!

近頃の黒翼は戯れが過ぎる!"


サーヴェトラは声を荒げた。

これにはスワンもやや驚き,剣が揺れた。



"...戯れ,か。確かに。大乱が終わって久しい。

僕は伽藍を早く創らないとね"



反逆とも思われかねない危うさがあった。

幸いにも,咎められた黒翼は納得した様子で

血塗りの剣を見つめている。


"僕はマルと藝術を競っているんだよ。

下種とはいえ, 神官の首は美しいでしょ"


"新たに伽藍への首をご所望ならば,

この私めを刎ねて頂きたい。

十や二十程度ならば瞬時に再生するゆえ"


"いらない。

お前の首を加えると色合いが悪くなるから"


魂の断片を賭けた提案が,

偏執狂じみた黒翼の美学を前に粉砕された。

恥ずかしさと憤怒が逆鱗に渦巻く。

だが,控えねばならない。

サーヴェトラの唇から流れ出る血は青黒い。

屈辱の余り,噛み締めているのだ。

刃が発する光沢に自らの美貌を照らし出し,

スワンは恍惚に頬を染めた。


"僕は美しい物や人間が好きだよ。特に,

この動乱の輿地を生きる,徳高き人間が"


中央庭園の上部の意匠は,

ヴォールトが欠落した

円形の内壁によって象られていた。

壁の外には,不釣り合いな巨軀を有した

黒塗りの飛梁が,高窓より上から伸びている。


茶目っ気混じりに龍に尋ねる。



"美しい人間はなんで早く死ぬと思う?"

"花畑の譬喩を言わせたいのですか?"

"違う。僕の首伽藍に加えられるからだ。

この間抜けめが"



譬喩ですら無かった。美しいから,首を積む。

漿液と虫の体液混じりの靴底が

サーヴェトラの頭を強く踏みつけた。


罵殺の猛攻が襲いかかる。

あの強く,精悍なサーヴェトラでさえ

為す術も無く蹴り続けられるのか。



下級神官はもう,すっかり震え上がっていた。



"間抜け。木偶の坊。朴念仁。蜥蜴風情が。

僕に譬喩を用いさせるな。"


天族が力を込めて放つ蹴りは,

屈強な傭兵でさえも悶絶させるという。


鈍い音が続く。


"言霊を弄ぶな。僕の美しい世界に,

お前は赦されているのだから"


とても無邪気で,愛らしい笑顔を浮かべながら,龍を足蹴にする。



龍は天に傅く。

天はその慈悲と叡智にて,龍の飛翔を赦す。

だが,誇り高き位階の綱紀,

その支配関係は余りにも...惨たらしい。


サーヴェトラの肋骨が折れる。


...戦慄。惨劇の最中でありながら,

龍にそれは向けられていた。

高位の神官から,

代わりに蹴られたいと言わんばかりに

羨望の眼差しが向けられていた。

黒翼から天界への回帰を確証された以上,

神官上級者は死をも恐れないだろう。

恐れるは,自らの残骸が

彼の尊顔を煩わせないか,という点のみ。


つまりは, 魂胆が神兵共と類似したのだ。

彼らが穢らわしいと忌み嫌う,反逆派の兵と。



その光景は,

神官下級者にとっては地獄であった。

龍は同情する。

むざむざ召し抱えられ,天族に弄ばれる人間。

大乱の後, 未来に不安を抱いたのか,

破格の待遇と機密の共有を夢見たのか。

大勢の人間が「正統派」の称号に蠱惑され,

故郷を捨て皇国や各地の僧院に移転した。

巨塔に向かい, 藝術に身を捧げた者も。



噂では,黒翼が属する

「正統派」の管轄領域よりも,

敗残し, 人外皇国との停戦協定によって各地に統治権を認められた「穏健派」に「中立派」の方が良き治世の状態にあるとも聞いた。



誤ちであった, とは思わない。



だが,彼らには選択肢が存在していた。

小市民として皮肉と無気力の中に生きれば,

まだ人間らしく,幸せだったろうに。



なぜに人外に命運を託したのか...。

龍は血を垂らしながら, 《破門》された

神官見習いの少年の髑髏を見ていた。

一際大きな蝿が, 頭蓋の上に止まっていた。





"...何か代案を。この大僧院に属する神官全員の魂に匹敵せし,案を...もう,鎮まり給えよ..."


消え入る声で, サーヴェトラは提案した。

黒翼からは笑みが消え,再び機械音が。



【種族位階の席次を 弁えた発言か 小僧?】

凡そ人畜の構造とはかけ離れた瞳が膨張し,

いかめしい機械の音声が発せられた。

無表情にして,無機質。

スワンの基本形態は寧ろこの状態であった。

【竜骨集めの大任を忘れ

人間程度に情を移しているのか?】

サーヴェトラは顎を蹴り上げられながら,

やはり消え入る声で懇願した。


"...何とでも言われよ。だが,鎮まり給え..."


神官達も, 龍の貴顕も,

限界が 近かった。

沈黙と清風が, 大僧院の飛梁を通り抜ける。



黒翼は漸く, 慈悲を下種に示す事にした。


"...代案か,サーヴェトラ。じゃあ,

マルを巨塔から連れ出した者を探し,討ってよ"


"......"


"...嫌,とな?僕が直々に出向いてもいいよ。

手土産に首級数千を持ち帰るけどね"


"いや,それだけは!...私が確実に討ちまする"


白翼天使に藝術の才覚を見出し,

遥か以前,争乱の濁流から離れさせたのも

黒翼の思惑であった。


"じゃあ, 神官達にはもう手を出さないよ。

不忠者を除いては。この件は落着だよ"



一難は,去った。


サーヴェトラは激痛と緊張に呻いている。

スワンは扉の端から覗いていた

侍従達に合図する。


"彼の為に清潔な布と水を持って来て。この後一緒に後宮でお昼寝するから。あと, 食事も"


人外皇国某地に設けられた, 黒翼の牙城。

首伽藍が置かれた本拠地に, 後宮は存在する。

後宮入りを赦される人外は極めて限られ,

見聞きした機密の内容も黙秘される。

そこでは,人間ならば直視に堪えられない

"藝術"の歓迎を受けるだろう。

お昼寝とは,新たに伽藍へと加える

首級の選別を指し示す隠語であった。



助命された下級神官達は, 水浴びの為に

黒翼が中央庭園を離れるや否や,

命の恩人である龍に抱擁した。

椅子に座らせ, 手当をしようとする。

口元の血を拭き, 掌に接吻しようとする者も。



"大丈夫だ。暫しすれば治る。それより..."

サーヴェトラは彼らに忠告した。

人差し指を立てて。"拝聴せよ"のサイン。


"まともな人間ならば

天族に関わってはならない。

明日にでも故郷に帰るのだ。

次は, 助けられない"


果たして全員が首を縦に振った。


黒翼が戻って来た。上級神官と共に。

続いて, 食物を載せた大量の皿を運びに

侍従達が恭しく入って来る。


荒れ果てた花畑を前に,長机が置かれる。


黒翼の好物は, 大僧院付近の畑で獲れた,

質素な押し麦のスープであった。

加えて,焼き上がった粗いバーボフカに,

プティングも好まれた。

その全てに, 人間の血液が混ざっている。


平静を取り戻したサーヴェトラは

スワンの隣に座った。


"下種神官はどうしたの?"

"退出させました。邪魔になるかと思い"

"なあんだ, 2,3人いきなり殺を下してやれば

怖がる反応を見れたのに"

"...お戯れを"

"戯れだよ"


その時,

侍従の1人が水入り皿を落としてしまった。

耳障りな音と共に水滴が飛び散る。




赦され無かった。




"...!!申し訳ありません,黒翼様...ガァッ"


黒翼が軽く指差すと,

侍従は溶けながら爆散し,朽ち果てた。

弾け出た眼球が麦のスープに入ってしまい,

そのまま煮汁の具材となる。

龍族は半ば呆れ返り,

疲れ果て,不覚にも食欲を催してしまった。


(...もはや何も言うまい。今はただ,この場を乗り越えるのみ...)


浮き沈みを愉快に繰り返す眼球を前に,

龍族の口腔は唾液で満ちた。

黒翼は欲動に葛藤する龍を傍目から眺め,

舌舐めずりをする。

龍にとっても人間は糧に見えるらしい。

然し,此奴はまだ青臭い。

人間と分かり合えると考えているのだ。

人間とは賢い猿や豚の類である。

機密を貪欲に我が身に帯びたがる。

僭越にも,大乱の際は

天族を己が利権に収めんとした

不倶戴天の徒輩である。

中には自ら天族になろうとする輩までも。

だが,戮し方を極めれば,鮮やかなる

血肉の曼珠沙華を咲かせてくれる。

堕とされたならば,

その地の人間を贄にせしめ,楽しめば良い。

安い魂とて飾れば,機密を彩る象嵌となる。

伽藍に貴族から賎民の首級を並べても良い。

いずれ来たる帰還の頃合い迄,

藝術への犠牲として好きなだけ用いる。


それが先の争乱,

聖界派閥抗争にて天翔けた

己への褒賞なのだ。


眼球は押し麦の海をくるりと回った。


(人間は常に凡庸な状態からの脱却を望む。

太古より, 藝術に仮初の聖性を見出してきた。

王位を求め, 地上界に魂の支配権を撒き,

偽りの神と契りを結び, 反旗を翻してきた。

いよいよ最近では天族になろうとすらした。

だが, 全ては下種の発想の域を出ない)


"...そんな下種に殺を下すのは,僕だよ。

摂理の掌理者としてね"

"...黒翼?"


黒翼は人間種の首級を只管に積み続ける。

筋入りの眼を輝かせながら。

彼は生贄の味を既に覚えてしまったのだ。


"お昼寝の後, 第1位階天族に逢いに行くよ"

"畏れ多くも,お供します。して,何用ゆえ?"

"次の大礼賛祭についてだよ"


第1位階天族に謁見出来るのは,

スワンとサーヴェトラのみ。

美を追求し続ける人間が最後に見出すのは,

冷厳なる死の歓待である。

神官の屍からは甘い芳香が発せられ,

互いの漿液が混ざり合っていた。

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