Chapter-5 僕の世界は美しい-I



"マルが巨塔から罷り出た"


黒塗りの石柱が並ぶ大僧院。

天族が気紛れに現れては, 機密を試し,

自らを崇敬する下種達と戯れる場。


捥がれたヒヤシンスが撒かれ,

踏まれた花弁から滲み出た蜜が,

白塗りのタイルに斑点を産んでいた。

版図を種々の薄板で再現した床絵には,

視界下部を流れる見えぬ歴史がある。

毛氈の幾何学に宿る繊維達の王国は,

扉の下に敷かれている。

平時には各地からの巡礼者が馳せ参じ,

幾千の傍流, 闘いを思い浮かべては

《液》を昂らせるのだ。


あの巨大なる人外皇国からも,使節が...。


そんな情報は,今はどうでも良い。

非常時なのだ。

僧院の主たる天族が舞い戻られた。

複数の支配領域の中でも,

特に好んで滞在される大僧院に,再び。


断雲と陽光が次々と切り替わる。

吉兆とは程遠い。

僧院に拡がる動揺は,

やがて騒擾となり静けさに終わりを告げる。

中央庭園が柱廊の間より見える,

瑩然としたロビー。

扉が開き, 小さな人影が駆け抜けた。


"誰が連れて行ってしまったの?"


永訣の惜別にも似た,

悲哀を交えし柔らかい声。

マルの黒帽とはまた違う,小柄の白帽。

首飾りが乾いた音を立てながら揺れている。

その天使の翼は,濡烏よりも深潭の黒に近い。

名は,スワン。




天使は涙を流しながら,呟く。

"消えた。マルが,消えた"




–−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



数人の神官が後を追いかけている。

"黒翼様,鎮まり下さいませ!"

天族は鎮まらない。

並べられた椅子を蹴り倒し,駆け回っている。

チェスの劣勢に癇癪を起こし,

盤ごと放り投げる小児にも似て。

主に賓客が庭園の花々を鑑賞する時に使う

小椅子8つが,転がった。

天族は軽く飛翔し,再び中央庭園に。


"また花を捥がれに戻られたのですか!?"


マグノリアに類似した樹木は

庭園に清潔な空気を運んでいる。

栄養豊かな土壌を滋養に,

甲虫は聖域を這い続けている。


その甲虫が踏み潰された。


根が絡み付いた人形の頭部が,

腐葉土より露呈している。


その人形が踏み砕かれた。


"黒翼様!"

制止を振り切り,

いや,踊るように退け,天族は踊躍する。

焦燥する神官はふと,

彼のあどけなさに恍惚を覚え,立ち止まった。


弄花の末に荒れ果てた園。

摘み続ける上位種。


端麗な相貌。

鋭く,生気を感じられぬ白肌。

宵を溶かした黒髪。

そして, 穏やかな羽音を立てる黒翼。

小さな手が再びヒヤシンスの茎を捥ぎ,

僅かに蓄えられた蜜は飲み干された。


美しい。


美し過ぎる。


存在自体が藝術性の賜物である者は,

花を玩ぶだけで,かくも流麗。

本物の藝術を目前にした者のみが感じる,

あの冷厳な透明さ...鉱物を響き合わせた様な音の清閑さがあった。


下種の思惑を何ら介さぬ独吟が始まる。


全てを察し,

神官は既に侍っていた

同胞達の列に加わった。


縦に筋が入った双眼は紅く,鮮血を思わせる。

艶と少年美に満ちた唇が言葉を発すると,

金刺繍混じりの聖布が揺れた。


"聖歌定式も消えた"


天族は明晰なる余りに,

知識や能力を音節に転じ奏でられるという。

黒翼は意識を反芻させながら,

死の音節を解読する。

エノク文字で構成された,

四桁の文字列が彼の中で奏でられていた。


最大の協力者...白翼の天使が,

巨塔から忽然と飛び去る迄は。


"マルの形相の秘密を,やっと読み解ける節まで来たのに,消えた"


再びヒヤシンスを捥ぎ取り,

儚げに床絵へと投げ捨てる。


"誰が消したの?数十年に一度,来るか

来ないかの定式だったのに"


独吟は続く。花弁が着地したタイルの座標は,

丁度巨塔の位置を示していた。



"天界に還れ無いから,美しい音階と藝術で地上を染めてあげるのに"



聖歌定式が繰り返される。

3日前に解読された物だ。

《汝 魂の方舟を 拒むか

汝 観察者の意に 服すか

汝 反逆者の肢に 挑むか

汝 詩嚢の友を 欺くか

汝 玉璽の座を 得るか

汝 摂理の障壁と 至るか》




託宣にも近い,

天族のみ真意を解するとされる,黙示の羅列。

黒翼は, "汝"の正体を知りたがっていた。


"誰が《摂理》を邪魔するの?"


柱廊の壁側,直線上に侍る神官は,

恭しくも微笑みながら見守っている。

あたかもそれは,

花畑で戯れる童を見守る親の面影にも似て。

童が描く雄大な構想は,

外部から見れば単なる児戯なのだ。

されど, 天族への揶揄は赦されない。


侍る神官に紛れ,

栗色の髪が切り揃えられた

少年はまだ見習いである。


神官の大義, 諸種族の仲介儀礼, 古典読解,

《魂の部屋》へのアクセス方法を始め,

様々な権益を学ぶ身であった。


(黒翼様は可愛いな)


少年は大僧院での機密研究を始めてから,

その天使を初めて見た。

天使が発する黙示の意味を理解する筈も無く,その素振りに微笑する。


それは天族に対する

愛玩の意を含んだ嘲笑であった。


(無意味な言葉を発せられているのが

また可愛らしい。まるで阿呆みたいだ。)


人間が 瑣末な知の枠組みで

上位種の思惑を測ろうとした 驕慢。

その表層思考を 黒翼は聞き逃さなかった。


"無意味, 阿呆とな?"


【右より四列の神官, 不忠。

《破門》執行勧告。】


機械の音声が流れた。

童に似つかわしくない, 無骨な声だ。

首飾り...髑髏を象ったチェーンの留め金から聞こえてくる。

先程まで目を細めていた

神官は真っ青となり。

指先に,硝煙にも似た黒き瘴気が宿り。


"お前か"

手袋を嵌めた指先から,能力が発動された。

矛先にいた神官見習いの少年の髪が抜け落ち,歯が次々とタイルに。

何が落ちたか確認しようとする眼球もとろけ,

拾おうとする手からは爪が剥がれ,

指の肉が落ち,骨が剥き出しに。

断末魔すら赦されず,

少年は斃れ,静かに溶け続けた。


侍女の絶叫が響く。

両隣にいた神官の衣が少年の漿液に濡れた。




天族機密 --EXCOMVNICATIONIS--




《破門》。

スワンの能力の1つであり,

最も恐れられている機密。

指差された,血液或いは人外液を宿す対象は

必滅の運命を辿る。

対象の魂を根底から破壊し,

輿地に崩壊した残骸を晒す技である。

人間であろうが,人外であろうが,

等しく屍へと転ずる。

生命を象る《摂理》からの追放。

それは,自己崩壊を意味していた。



庭園より飛翔し,

どろどろに溶けた少年の頭蓋骨に

天使は飛び乗る。


"この翼が見えないのかな?

卑賤なるお前達は,僕に何を望んでいる?"


両手を広げ,

小さな髑髏から落ちぬように

態勢を整えている。


"世界を掌る種族に仕えるというのは,

こういう事だよ"



ある敬虔な幼児が

大僧院に無断侵入した際には,

親の目前で《破門》を下し, 屍を渡した。


ある神官は反逆派からの流れ者でも無いのに,詩の技法が下手であると《破門》された。


好人物だからとて,

助命を聞き入れられる事も無かった。


怒りを鎮めさせようとする西方の香焚き共は

最も黒翼が嫌い,即座に骸へと転じた。

香の作用で刹那の鎮静を得るは,

脆弱な人間の発想だ, という理由で。


語るまでも無いが,

ヒトと天族の関わりには長い歴史がある。

天族は諸勢力において

崇敬され,慕われ,憎まれ,君臨していた。

先の大乱で派閥が分断してからは,

今も積極的な干渉が続いている。

誰もが知ろう,《種族位階》の礼節も

数年前より厳格化された。


一人間の小さな観点からすれば,

天族とは憧憬と畏怖の象徴である。

特に天族は派閥の各支配領域,

その枢要として機能する僧院の

管轄範囲では,事実上の支配者であった。

由緒正しき神官の家系にて産まれ,

正統派として上位種に傅く。

それは何よりも栄誉であった。

ましてや遥か高みの黒翼が主ならば。

そして,神官達は信じていた。

見返りとしての天族機密,《領有》の秘奥を。


だが天族からすれば。

何千何万という崇拝者に傅かれる黒翼にとり,

彼ら人間は常に補充される以上,

その扱いには慣れているに決まっていた。

勝手に崇敬し,

勝手に離れる有象無象の都合なぞ,

黒翼は考えない。

気に召した魂の持ち主を除いては。



虚栄の袈裟を纏うた人間は,

いとも容易く《破門》の前に斃されり。



されど,

そんな黒翼も死の独吟を控える者が現れた。

ロビーの扉が開き,

蛇を思わせる双眼をした青年が来た。

恭しく頭を下げるその青年は,

龍族であった。

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