第14章 狂乱の涼風
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夏休みも半ば。高原の都市の短い夏休みは、あっという間に過ぎてしまう。
それは子供の頃から変わらない慣習であるとはいえ、夏の人気観光地であるこの地で、外から夏休みを満喫するために訪れる観光客のゆとりのある笑顔を見ていると、何だかちょっと悔しい。
とはいえ、自分達だって短いが充実した夏休みを諦めてはいない。
河野優茉と瀬川絵梨は、朝早くから駅を訪れていた。
駅で落ち合った二人は、ネットで予約しておいた東京行きの新幹線のチケットを手にしたあと、せっかくなので、そのまま県都にショッピングに行こうと約束していた。
帰省客とは逆方向とはいえ、旧盆をまたぐ週末に新幹線の指定席を取れた幸運を喜びながら、翌週末のイベントに思いを馳せて会話も盛り上がっていた。
「木次くんが教えてくれて良かったね」
「ええ。ネットで予約できるというのは聞いていましたけど、実際にどうすればよいか、よく分かりませんでしたもの。おかげで念願の夏イベントに初参加ですわ」
アルバイト禁止の石高なので、二人は上京のためにおこづかいを貯めていた。潤沢な資金、とまではいかないが、何とか日帰りで行けることになった。
朝一番の新幹線でも、実際に会場入りするのにはかなり乗り遅れるのは仕方ない。
次の機会には前泊して参加できるよう、またおこづかいを貯めていくことにして。
「あら? あそこにいらっしゃるの、森本先輩と……巽先輩ではなくて?」
絵梨が改札の向こう側の人影を見て、優茉の袖を引っ張った。
「え? あ、ホントだ。珍しい組み合わせ……って、何で?」
真美にも巽にも、それぞれ恋人がいる。これはもしや、見てはいけない場面に遭遇してしまったのかも、とドキドキワクワクしたが。
「あら、あれは、確か、高天先輩のお友達……サッカー部の前のキャプテンでしたわよね?」
「ああ、吉村先輩ね。なんだろう? 先輩達みんなでお出かけ?」
「巽先輩はともかく、三年生の先輩方は夏期講習だって仰っていませんでした? お盆までかかるって聞いておりましたけど。何か、特別な講義に参加する、とか?」
「他の先輩、いないみたいだし……あ、行っちゃうね」
東京行き新幹線の入線を予告するアナウンスが流れ、三人はホームへ向かっていった。
「なんだろうね? 二学期になったら、巽先輩か珠美先輩に訊いてみようか?」
「珠美先輩には来週のイベントの報告もいたしますしね。その時訊いてみましょう。そうだ、先輩にも何かお土産見つけましょうね」
二人は再びイベントの話題に集中して、珍しい組み合わせの上級生達のことは、意識から遠のいていった。
「まさか新幹線で行くとは思わなかったわ……うわっ」
新幹線に乗り込み、座席に腰を下ろす。そのゆったりした座り心地に、真美は小さく驚愕の声を上げた。
「スゲー! グリーン車ってこんななんだ?!」
正彦も同じように座り、膝を曲げ伸ばししてみる。
普通車に比べてゆとりのある座席は、そこそこ体格のよい正彦にとっても快適だった。
「さすがに貸し切りには出来なかったんで、静かにしてくださいね」
「あ、ごめん。グリーン車初めてで」
「そうなんですね。たいして金額変わらないから、この方が快適ですよ」
……それは、あんたんちだけでしょ?!
ブルジョア発言へのツッコミをグッと堪えて、真美は深く座り直す。
金額はともかく、一時間強の車中を安楽に過ごせることはありがたかった。
このあと、十時間以上の空の旅が待っているのだ。飛行機に乗るのは初めての真美にとっては、それだけで気力が激減しそうだった。
そうでなくても気合いを入れて臨まなければ、斎に一方的に転がされてしまいそうで、対面前からすでにゲンナリしているのだ。
多少でもリラックスして過ごしたい。
「でも、てっきり空港まで車で行くのかと思ったわ」
「たまたまチャーター便の利用空港が首都圏だったんで。それなら鉄道を使うのが、一番早くて確実ですからね。それに、この時期の高速道路は、不安要素が多いですから」
真実達の前の席に座り、身を乗り出すようにして巽が答えた。
「それもそうか。でも、グリーン席とは言え、よくこの時期に空いていたわね」
「そうだよな。朝イチ……じゃないけど、まだ七時なのに、普通車スゴイ混んでいたし」
「あ、一応緊急時に備えて、一日何便かは座席をキープしてあるんですよ」
「あ、そう……」
理由はよく分からないが、キープすると言ってもタダではないだろうに。
そう指摘するのも、むなしい。
唐沢宗家の散財(巽に言わせれば必要経費と言われるだろうが)については、もうため息しか出ない。
「で、夜にはイギリスに着くのよね? すぐに会えるの?」
「会えると思いますよ。ああ、笹木さんは、無事捕獲したって連絡来ています」
「捕獲って……まあ、無事ならいいや。ていうか、連絡取れるの?」
「取れると言えば、まあ。でも、一方的にこちらの状況確認をして、指示を伝えて来るだけなんで。『健太は無事捉えたよ』って、あちらの状況はそれだけですから」
「それ、ホントに健太が無事なのか、全然分かんないじゃない?! 健太の体調は大丈夫なんでしょうね?」
「命に別状はないと思いますよ。高天先輩も大丈夫そうでしたし。本当に危なければ、先輩が察するでしょう?」
確かに健太が力を引き出した(と巽が言っていた)あと、一時的に疲弊していた俊だったが、一休みして遠野家に向かう頃にはかなりしっかりした動きになっていた。そっと寄り添っていた美矢を安心させるための虚勢かもしれないと思ったが、「ひとまず大丈夫だろう」という正彦の言葉を信じて、また遠野家には加奈も付き添ってくれるというので、そこで別行動を取ることにした。
夜に美矢から、「やっぱり俊はイギリスには行けない」と連絡がきた時にも、体調は悪くないと聞いてはいたし。
飲み物を買ってくる、と自販機のある車両に正彦が向かった後、真実は巽に「本当にぶちのめしていいのね?」と尋ねた。まあ、巽以上の猛者だという斎に、本気で腕力で敵うとは思っていないが。
「かまいませんけど、兄さんにダメージを与えたいなら、色っぽく媚でも売って、『好きにして』とか言って迫ったらどうですか? あの天邪鬼は、途端に興ざめすると思いますよ」
わざわざ席を立って後ろに回り、通路側の正彦の席に座ると、ニヤニヤと巽は答えた。
「あんたね、その顔やめなさいよ。今までの純真な巽君はどこ行っちゃったのよ……確かに斎君の性格ならその可能性は高いけど、逆に本心じゃないと見抜かれて、そのまま襲われたらたまったもんじゃないわよ。おまけに『自分から誘ったくせに』とか言われて、丸め込まれそうだし。……まさかそれを狙っているんじゃないでしょうね?」
「まあ、それはそれでありかと……いて!」
飄々と本音を口にした巽の腹部を真実は横殴りにするが、その腕は簡単につかまれてしまった。けれど、後ろから正彦に頭を叩かれたらしい。
「もう。頭ばっかり狙わないで下さいよ。脳細胞壊れたらどうするんですか?」
「そんなに力入れてないだろ? って言うか、あんまり森本をからかうと、珠ちゃんに言いつけるぞ?!」
「何か、珠美をそう呼ばれると、かなりムカつくんですけど」
巽は後頭部を撫でながら、追い出されるように自席に戻る。
「お前がいいって言ったくせに。まあ、嫌なら加西って呼ぶけど。その代わり、ちゃんと援護しろよ」
「まあ、道中の身の安全は保障しますけど。兄さんに対しては、あんまり期待しないで下さいね。そもそも僕は逆らえないので」
「分かってるよ。その時は俺も体を張るから」
「いや、それこそ期待できないんですけど。まあ、吉村先輩もお気に入りトップクラスなんで、身の安全は保障されるでしょうけど」
「『身の安全』って、何度も……できれば精神衛生にも配慮してくれよ」
「そんなの、精神衛生阻害されまくっている僕に求めないで下さいよ。斎兄さんといい、和矢先輩といい」
「それこそ、俺らは無関係じゃないか? まあ、あの二人の被害にあっていたことは……同情するけど」
斎と、斎に負けず劣らず腹黒な面を惜しげもなく晒していた和矢に同じように絡まれていた正彦は、自宅でも二人の玩具にされていた巽を気の毒には思っていた。
まあ、ここにきて斎が憑依したかのように暗黒面を見せる巽には辟易しているが。
「……和矢君も、帰国しちゃったのよね?」
「美矢ちゃんにでも聞いたんですね? まあ、まだ国内にはいると思いますけど。おそらく、この前の新幹線で、空港に向かっているはずです。チケット譲ったんで」
「何か、変な感じだよな、お前ら。チケット融通したり、情報共有したり、協力するくせに、でも敵対関係なんだろ?」
「唐沢宗家は和矢先輩に敵対していませんよ。斎兄さんだって。だって、あの人、和矢先輩も好きですから。ただ、愛情の示し方が変なだけで」
「激しく同意するけど、お前も言うよな」
「今更ですよ。正直、あのひねくれものの兄さんが、森本先輩にだけ、割と『普通に』執着するのが不思議なくらいですよ。ですから、唐沢宗家としては、森本先輩に折れて欲しいんですよね。将来離婚しても構いませんから、ひとまず兄さんの子供、作ってくれませんか?」
「あのね……そういう女性を、子供を作る機械みたいに言わないでよ。あんたと珠美が結婚すれば……あ、これも同じだ……ゴメン」
珠美に跡継ぎを産んでもらえば、と言おうとして、真実はそれが自分に言われた言葉と違わない内容であることに気が付く。
「いいですよ。そもそも、珠美は承知ですし。唐沢宗家としては、兄さんが望めば、珠美でも森本先輩でもいいって言う時代錯誤がまかり通っているのは事実ですし。ただ、僕が譲れないだけで」
「だからって、森本を人身御供みたいに差し出すなよ」
「代わりに私を、って言うのは頭に来るけど……巽君にそこまで想われている珠美は、幸せだね」
巽と珠美が単なる幼馴染カップルでないことは、薄々分かっている。けれど、家で決められた政略結婚だとしても、『珠美でなければ』という巽の想いは、昨日十分に伝わった。
「……そうだといいんですけどね」
皮肉げに口元を歪めて、巽は微笑んだ。その笑顔が、妙に胸に刺さる。
珠美は……珠美だって、きっと巽君のことを大切に想っているよ。
そう言いたいのに、口にしてはいけない気がして、真実は押し黙った。そのまま、車窓の景色を眺める。すでに見慣れぬ風景に変わっていた。
このあと、さらに遠い異国に赴き、斎と対峙して健太を取り戻すのだと思うと、身震いした。武者震いなのか……見知らぬ土地へ向かう恐れなのか、よく分からない。
けれど、絶対に取り返す。そう決意を固め、真実はグッと拳を握りしめた。
口元を引き締め、車窓に向けられた真実の横顔を、正彦は切ない想いで見つめた。
真実は気付いていないけれど、珠美は……きっと、身代わりでも斎の下に行きたかったのかもしれない。
こんなに想っていても、想われていても、叶わない。
ひたすら健太を想う真実が、その真実に想われる健太が、羨ましい。
相思相愛な二人に、どこか嫉妬めいた思いを抱きながらも、これからイギリスに着くまでの時間、真実の隣にいられるのは、嬉しい。
グリーン車じゃない方がよかったな。
ゆったりとした座席は、快適そのものではある。普通車より幅のある座席が、その距離が、今は恨めしい。
ほんの偶然でも、真実に触れられたら、いいのに。
斎や巽のようにさらけ出せない自分の黒い欲望を押し隠し、せめて至近距離の真実の顔や姿を脳裏に焼き付けようと思いながらも、目が合いそうで怖い。
横目でチラチラと真実を捉えながら、時々顔を赤らめる正彦から目を離し、巽は前に向き直ると座席に深く腰掛けた。
悲し気に伏せられたその眼差しが憐れむのは、正彦なのか、自分なのか。
暗い地階のホームに入り、突然車窓に映し出された自分の顔を見て、巽は思わず目を逸らした。
次に屋外に出たら、到着だ。
次の道程に、巽は意識を切り替え、ふと和矢のことを考えた。
そろそろ、和矢は出国したかもしれない。このまま、
自分を散々弄んだ意地の悪い先輩を懐かしむような思いに、巽は苦笑した。
屋外に出て突然明るくなった車外の光に目を細めると、アナウンスが終点到着を告げた。
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