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 武芸に秀でた唐沢宗家の真の顔。


 暗殺を生業とする一族が、忍術や修験道の鍛錬の影で、密かに培ってきた知識と経験。


 それが、毒殺の技術だった。


 それを薬学に応用し、唐沢宗家の医療研究部門は表に出ることなく医学の発展に寄与している。その多くは、傀儡となる研究者の手で世に広まり、それは唐沢宗家が国家から様々な権限を得るための一つの、そして多大な武器となっていた。

 

 まさに「毒も薬も使いよう」というわけであるが。けれど、本質は、毒使い。


 自らの身体と精神を使い、様々な毒物を、針先程の加減で調整し、糧としてきた。

 そんな唐沢宗家の次期総領たる斎にとって、アールグレイに仕掛けられた幻覚剤など、ありきたりな毒物に過ぎなかった。

「噂には聞いていたけれど、現代でもそんな無謀な試みを続けている集団があるとはね」

 今日は元の栗色の髪に戻しているため、英人に似てはいるが明らかに別人と分かるアキラの言葉に、斎は苦笑する。

「時代遅れだって? まあね。そんな生命の瀬戸際をかけて幼い子供を危険にさらすような真似、非効率だよね」

「効率は悪いが……効果は絶大、ということなんだね、この結果を見れば」

「あくまで旧来の毒物にだけ、という話さ。化学的に合成されたものまでカバーできるわけでもなし。まあ、その手の類は、データさえ揃えば対応もしやすい、という面もあるし。こんな、オーソドックスでありきたりなものを改良されるのが、一番やっかいだね」



 斎はコン、とティーカップの縁を爪ではじいた。

 半分ほど残された紅茶は、すでに冷めてしまっている。軽い衝撃で波紋を描くその表面からはすでに湯気は立っていない。

 ティーカップ半分、それだけ口にすれば、成人男性であっても十分すぎる量の幻覚剤を投じたはずであるが。


「でも、なかなかいい仕事しているね。ダチュラの原料は手に入りやすいとはいえ、ここまで幻覚剤としての純度を高めて、なおかつ致死性を下げるのは難しかったんじゃないのかい? まあ、使い方によっては、かなりの需要がありそうだけどね」


 チョウセンアサガオの名で知られるダチュラは香料として用いるが、かつては幻覚剤として使われていた。別名を天妙華とも言う。


「残念ながら、一般の裏ルートには卸していないんだ。金策が目的ではないからね。あの手の連中に関わるのは、リスクも大きいし。それに、その手の効用はあまりない」


 世界中に席巻する裏組織の重要な資金源となりうる薬物は、扱い方を間違えれば諸刃の剣となる。その上中途半端な作用しかないこの薬剤はいたずらに混乱をもたらすだけだろう。

 麻酔薬にも応用された歴史のある天然の幻覚作用を持つこの植物自体は、そのまま体内に取り込めば強い幻覚作用をもたらすが、同時に不快な身体作用が出現し、場合によっては死に至る強い有毒性をもつ。多幸感や快感が少なく、正直ドラッグとしては使えない。ある目的のため幻覚作用だけが強く出るように組織の薬品開発部門が研究していたものをアキラは手に入れていた。快楽よりも幻覚の方が多く、服用の仕方を間違えると、バッドトリップの連続となるが、うまく調整すれば耐性もつく。

 もっとも、アキラがそれを常用していた目的は、ごくまれに得られる快楽でも現実逃避するために幻覚でもない。


「催眠効果、か。確かに、安易な幸福感を求めるだけのやつらには扱いづらいし、あまりメリットもない、が。これを悪用したら、色々マズいことも起きそうだな」

「何をいまさら? こんな微量の芳香を嗅ぎ分けるくらいだ。自分達だって扱っているんじゃないのかい?」

「まさか。唐沢宗家は不法行為はしないよ」

「超法規的組織のトップにしては面白くもないジョークだな」

「国家を守る正義の礎の一つだからね」

「……正義、ね。君からそんな言葉を聞くとは思わなかったよ」


 アキラが集めた関係者の情報では、井川英人も笹木健太も高天俊も、反吐が出るくらいお人好しで、善良だった。

 研究所育ちの英人や健太が、どうしてあそこまで善良に育ったのか。少年期の生育環境も金銭面では不足はないとはいえ、情緒面ではかなり不遇だったと報告がある。

 もちろん、英人の場合は精神症状に至るような虐待を受け、その結果善良な本体と解離した悪辣な「シバ」という人格を生み出しているが。

 アキラから見たら、衝動を抑えられない子供のまま成長しただけの身体の大きな悪ガキみたいなものだった。

 それに比べると、斎は、底が知れない。

 ほどほど性悪で、唯我独尊のマイペース人間、というのが一般的な評価らしいが。


 そんな一般人レベルの性悪さではない。少なくとも周囲をすべて敵に囲まれた状態で、にこやかに微笑む程度の余裕がある。

 店員も客も、全てアキラの手配した組織の人間だ。

 本来の店主も、すでに篭絡してある。

 特製の幻覚剤も必要ない。一般人は金銭で十分片が付く。


 なのに、この余裕はなんなのだ?

「で、ここまでして僕をおびき寄せたんだ。何かしらの目的があるんだよね?」

 アキラの思考を見透かしたように、斎はあからさまな探りを入れてくる。


「ここまでしてと言われてもね。第一、誘ったのは君だろう?」

「僕は純粋に、モーションをかけてきた美しいお嬢さんの気持ちに応えただけなんだけどね。まあ、そのことを知った君が、何かしらのアクションを起こすのは、想定内だったけどね。しかも、僕と彼女が接触してから、強引に彼女を操るために、幻覚剤を使っただろう? この短期間で体臭から薫るほどの量……いくら何でも非道だと思うけど」

「有毒成分は省いてある。時間が経てば、やがて消えていく。優秀な頭脳の持ち主を廃人にする気はないよ。安心してほしいな」


 恵麻は、シアの大切な友人だ。帰国して新学期が始まる頃には、幻覚剤の影響は薄れているだろう。


「本来は、使う予定じゃなかったからね。こんなものに頼らなくてもよかったはずなんだよ。君と、出会ったりしなければ、ね」

「なるほど。僕に興味を持ったことで、精神操作が危ぶまれたってことかな? 須賀野時宗の件といい、君達・・は、錬金術だけでなく、妖術も使うわけか」


「魔術、と言って欲しいね。古来、魔術と薬学は切っても切り離せないものだ。ただ、それだけでは、人の命を殺めることはできても、存続させるのは難しい」

「『賢者の石エリクサー』か。未だにそんなものに固執しているんだ、君達は」

「まあ、古い方々にとっては、垂涎の技術なんだろうね」

「他人事みたいだな。僕からしたら、ホムンクルスの方がよっぽど面白そうだけどな」

人造人間ホムンクルス? 案外子供っぽいんだな」

「まあ、君にとっては、老害を掌で操るための、体のいいエサでしかないんだろうね。その割には、組織のために頑張っているみたいだけど」

「僕にだって、逆らえないものはあるのさ。現世のしがらみってヤツだよ」

「なのに、そこを踏み越えて、英人に手を出したのは? もっとスマートな手管もあっただろうに。わざわざ恨みを買うような真似をして」


「ああ、だって、嫌いなんだ、アイツが」


「それで自分の欲求のためなら、利用できるものは何でも使う気なんだ? 君、本当にアンバランスだよね。英人を苦しめるためだけに恋人に手を出すとか、危ない橋を渡ったかと思えば、友人を薬漬けにして僕を誘い出すとか、用意周到なんだか行き当たりばったりなんだか。ノーベル賞を狙える頭脳だって聞いていたけど、やり口が刹那的なのは、やっぱり精神的に幼いってことかな?」


「さあ? 残念ながら、肉体年齢だけはどうにもできないからね。それに、一応念入りに準備はしてきたんだけどね。それをやすやすと裏切ってくれて。加奈の場合も、あんなに早く反応が出るとは思っていなかったよ。英人の執着が凄まじいのか、でも、力の出方は高天俊に似ているらしいし。まあ、神の依代たるあの二人はともかく、一応は『ただの人』の君が見事に躱してくれて、その方が僕は怖いよ」


「『ただの人』ね。そういう固定概念が、そもそも間違いだと思うよ。僕も、考えてみた。英人や俊の力を組織が欲しがるのは分かるけど、君の執着の仕方は、そぐわない。現世功徳的な、俗物感がないんだよね。というか、君、本当は自分の研究にも、あまり執着していないだろう? 上席研究員の名前で発表された論文、かなりの割合で君が関わっているよね? なのに共同研究者にも名前を出さないで。君がゴーストになるとか、そういうゴマすりをするタイプにも思えないし」

「べつに。あのレベルの研究にこだわりはないよ。飽きたから、続きを任せただけだし。最後まで仕上げるのは案外面倒なんだよ」

「興味がなくなると、途端に手放してしまうあたり、鏡を見ているようで嫌だな。まあ、だからこそ、分かるというか……君も、力を持っているだろう?」

「さあ」


 曖昧な返答のわりに、アキラには迷いは見えない。

 そんな返答も想定内だというように、斎は淡々と会話を続ける。


「うちの遠見の目を灼いた光……あれを人工で作る出すためには、かなり大きな装置が必要だ。ところがそんな機材が動いた形跡は全くない。となると、これは人知外の力が働いた、と考えるしかないんだよね」

「一般論ではないな」

「ああ。そういうものがあるかも、と思わないと説明できないよね。そして、僕は人知外の力そういうものが『ある』と知っている」

「なるほど。君はあの教団のキーパーソンを守っているふりをして、実は手の内にしているんだよね。遠野和矢と、その友人たちを。でも、それに何のメリットがあるんだい? 少なくとも、表舞台に立つのは君の家のモットーではないだろう?」


 日本の裏社会で暗躍する影の存在、それが日本一の暗殺集団、唐沢宗家だ。

 そんな組織が得るには、あまりにも強大すぎる力。

 そのパワーバランスの崩壊は、闇社会の勢力を、全て敵に回しかねない。


「メリット? そんなものあるわけないだろう? ただ、面白んだよね。そんな強大な神の力に翻弄されながら、必死で歯を食いしばって、『ただの人』であろうとする彼らを見るのが」

「……悪趣味だな」

「なんとでも。だから、君も面白いよ。力の発現を見ると、太陽に近しいとは思うけど、でも、違うね。そんな晴れ晴れしい存在じゃない」

「固定概念に縛られているのはそっちじゃないのか? 僕が何かの力を持っているなんて、君の想像でしかない。僕は、神の依代なんかじゃない」

「そうだね」


 否定をあっさり首肯する斎に、アキラは逆に疑いの眼差しで見つめる。


「デーヴァ神族が、自分の力を発現するために依代を選ぶのは、単純にその力を人間ごとき器では受け止められないこともあるんだけど、さらにいうと、そもそも無理なんだよ」

「?」

「ヴィシュヌ神の伝説を紐解いても、彼の物語にでてくるのは、ヴィシュヌの化身であって、転生者ではない。デーヴァ神族は、そもそも転生できないんだ。だって、不死だからね?」

「……君は、どこで、それを?」

 

 アキラの疑問には答えず、斎は続ける。

「ただし、それはデーヴァ神族に、不死の神族に限った話だ。死のある神族ならば、転生は不可能ではない。もちろん、デーヴァ神族と同じように、器となる人間にはその魂全ては受け止めきれないから、一部ということになるかもしれないけどね。『魂の欠片の転生者』というところかな?」


 アキラは黙りこくったまま、斎の言葉の続きを待つ、が。


「ちょっと失礼。……ああ、ありがとう。うん、予定通り。僕も向かうよ」


 斎のスマホが振動し、着信を知らせた。敵中であることなど意にも介さず電話に出て、そのまま移動の意思を伝える。


「誰が、このまま帰すと?」

「別に、許可が必要とは思わないけど? だいたいこんな山中のレストランを指定された時点で僕が何も対策を取らないわけないだろう?」

「……この近辺に、関係者以外は近寄れない」

「あのさ、すでに僕が単独でここに来たことで、考えてほしいな。車の運転もできない高校生が自力でここまで来るとしたら、誰かの送迎かタクシーか、徒歩だよ? まあ、歩いてきたけどね」


 ちなみに一番近いバス停からこのレストランまで、坂道を5キロメートルほど登る必要がある。


「毒のことばっかり気にしているけど、うち、本業は武術だからね。10キロや20キロ、遊びの範疇だから。でも」

 悔しそうなアキラの顔を見て、ますます意地悪く斎は微笑む。

「別に、送ってくれるっていうのなら、お言葉に甘えようかな」

「な! 何をバカな! そう簡単に開放してたまるか」

「ふーん。でも、そうしないとまずいんじゃない? あ、そろそろ君のところにも連絡が入るかな。あ、恵麻さんのところかもしれないね」


 斎が言い終わる前に、恵麻のスマホに着信を知らせるメロディが響く。

 アキラに促され、今までぼんやりと二人のやり取りを眺めていた恵麻が応答する。

「……はい。え? ……」

 

 困ったようにアキラの顔を見つめ、恵麻はスマホを手渡す。

「シア、から」

 アキラは飛びつくようにして恵麻からスマホを奪い取り、電話を替わる。

 早口の英語で、対応し、しばらくして通話を終え、大きなため息をつき。


「……やってくれたな」

「はあ? 不慣れなイギリスからの旅行者を、丁重に保護しただけだよ」

「一切の連絡手段を妨害して、か?」

「さあ、電波状況が悪かったんじゃないのかい? こちらは出迎えまで派遣しているのに、心外だなあ」

「……よりによって、井川英人に対応させるなんて」

「あ、やっぱり、そこ、ハマったかな? 君の大嫌いな男に大切な婚約者、任せたくないよね? さ、速攻で送ってもらおうか?」


 突然来日したシアが、現在唐沢斎の采配の下、井川英人の出迎えを受けているとの連絡を本人から受け。


「……あいつだけには逢わせてはいけない、のに」

「早く引き離したかったら、行動あるのみ、だよ?」


 悔し気に斎を睨みつけ、アキラは恵麻のバッグからレンタカーのキーを取り出す。


「おや、免許あるのかい?」

「もう、18歳にはなった」

 誕生日が来てすぐに手続きをした。まさか、こんな風に役立てたかったわけではなかったのに。


 何もかも見透かしたような斎の笑顔を蹴飛ばしたい衝動を抑えて、アキラは斎と恵麻を連れて外に出た。



 出口にある花棚にラッパをさかさまにつるしたような、満開のエンゼルトランペットの花が、日中の日差しに萎れかかっている。

 まるで、自分の今の姿のようだと、忌々し気に見つめると、花が数輪、風もないのにちぎれて落下した。



 あたりに、濃厚なダチュラの香りが散らばった。

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