2
拉致された加奈を無事取り戻した、その夜。
駆け付けた斎の指示で、ひとまず唐沢家に移動した。
「大急ぎで入館手続き取ったのに、な」
斎が苦笑しながら、状況説明を求めてきた。
到着してみたら、加奈は自ら建物の外に出て、英人の腕に保護されていた。
ただし、その方法は尋常ではない。その場にいなかった斎にも、それは分かった。
鉄骨のまだそれほど築年数の経っていないビルを、内側から破壊するなんて。
しかも。
破壊された場所は、ビルの三階だったという。加奈は、そこを飛び降りて、出てきたらしい。
……飛び降りる、という表現が合っているのか怪しいが。
俊の目の前で、破壊されたビルの瓦礫の上に、宙に浮かんでいた、加奈。
目は開いていたけれど、呆然としていて、英人の腕の中で、すぐに意識を失ってしまった。いったい、何が起きたのか、分からない。
ただ確実なのは。
加奈を拉致した、犯人の正体と、その暴虐。
「あの部屋にいた二人は?」
「残念ながら逃げられた。いや、居場所は分かっているんだけどね。大学の研究室の、自室にこもっている。正直、ああいう場所は、うちも手を出しにくいんだ。壁が破壊された部屋は、空き室だったらしいし。週末の夕方で、丁度雨も降っていて、一般の目撃者はいない。まあ、ガスの配管トラブルによる爆破事故、とでも収めるだろうね」
大学側にも、アキラを擁護する存在がいる、ということらしい。
「アキラ、という男は、罪には問えないのか?」
「難しいね。まず、証拠がない」
「目撃したのに? それに、三上さんが目を覚ませば……」
「そして、壁を破壊して逃げ出しました、って? 公にしたところで、面白おかしくマスコミに取り上げられて社会的に抹殺されるか、今度は公安のESP研究所に拉致されることになるよ」
「ESP研究所なんて、そんな作り話……」
「うん。作り話ってことになっているね。一応」
斎がにんまり微笑む。が、その目は笑っていない。
国際的な要人SPも養成する唐沢宗家の、その中枢にいる斎が、こんな目をして話す、ということは。
俊は、背筋がぞっとした。不可思議な力を持っているのは、俊も同じだ。そして、健太や英人も。
少なくともここ一年、様々な出来事が起きている中、今まで平穏に過ごせているのは、唐沢宗家の、斎のおかげと言っていい。
「まあ、行方が知れなかった須賀野の居場所が分かったのは、収穫だ。で」
斎は、有無言わせず同行してきた少年――木次政宗に、視線を送る。
「木次君。君は、須賀野の、須賀野時宗の、実の弟なんだってね?」
わずかの間に、調べ上げてきたらしい。確信をもって問う斎に、政宗は黙ってうなづく。
「残念ながら、血のつながった、兄弟です」
「残念ながら?」
オウム返しに訊き返しながらも、斎の顔に疑問符は浮かんでいない。
「アイツは、兄の時宗は、僕が中学に入った頃から僕とは絶縁しています。うちの親が離婚して。僕達は別々に引き取られました。僕は、母に引き取られました」
離婚の原因は、父親のギャンブル癖による借金で。
母親が必死で働いても、それを湯水のように使い、とうとう暴力を振るうようにまでなった。ようやく離婚に踏み切ったが、父親は長男の時宗を手放すことを拒んだ。
愛情ではない。妻の代わりに、今度は高校生になった時宗を働かせ、収入を搾取する心づもりだったらしい。
兄が荒れ始めたのは、それからしばらくして。中学までは優等生で、政宗の憧れの兄だった。けれど、不良のまねごとをして、母親に小遣いをせびるようになった。息子を働かせようという父親の思惑は外れたが、結果的に息子を通して、別れた妻に寄生する生活は変わらなかった。
危機感を抱いた母親は、政宗を連れて、密かに家を出た。おかげで政宗は転校を余儀なくされたが、ようやく平穏な生活を手に入れた。元々母親も、別れた夫の過剰な搾取がなければ平均以上の収入がある専門職であったので、職場の協力を得て新たな勤務地で生き生きと働き始めた。
そんな母が、ある時、誰かと電話をしていた。
「……大丈夫よ。……が大学に行くときには、ちゃんと学費を出してあげるから。だから、ちゃんと真面目に、学校へ行ってね」
全ては聞き取れなかったが、相手が兄であることは分かった。
母親が、自分と同じように兄を大切に思っているのは、政宗だって、理解している。
けれど、納得できない。その日だって、忙しい母の手助けになるようにと、友人の誘いを断って早く帰ってきたのに。いつだって、自分は母親のために、がんばってきたのに。
母にとって、兄は、中学生の頃の、優秀で誇らしい兄のままなのだ。
地域の名門校に進学して、夫に虐げられる中、心の拠り所としてきた兄が、そのまま母の心を占有している。
実際には、父親と同じように、腕力に身を任せ、有り金を攫って行く暴君であるのに。
だからこそ、政宗は兄と同じ高校に、石町原高校に進学することを希望した。兄と同じ優秀さを示せば、今度こそ、母は自分だけを見てくれるはず……。
なのに。
兄は、突然行方不明になった。元々素行が悪く、繁華街のいかがわしい店にも出入りしていたという。何かの事件に巻き込まれたのだとしても、どうせ、兄自身が悪いに違いない。政宗は、そう達観していたが。
母は違ったらしい。毎日警察に赴き、兄の行方を捜してくれるように依頼した。
仕事も休みがちになり、ふさぎこむ日が多くなった。兄の行方は杳として知れず。
しかし、ある日、多額の現金と共に、兄から手紙が届いた。パソコンで打ち込まれた手紙が、本当に兄の書いたものなのか分からない。だた、最後にされていた署名は、確かに兄の字だった。
自分は新天地で頑張っている。こうして収入も得ている。もう、戻る気はない。探さないでくれ。
そう、手紙には記されていた。
兄からの突然の離別宣言に、母はショックを隠せなかった。もはや政宗の前でも隠すことなく、兄の名を呼んで、泣き暮らした。その間、母の収入は目減りしたが、皮肉にも兄から送られてきた現金が、政宗の生活を支えた。
念願かなって、高校に合格した、その日。政宗の報告を受けて、本当に久しぶりに、母は目の前の息子の顔を見てくれた。
「そうよね。私には、政宗が、いるのよね」
まるで、初めて気が付いたように、そう言った。
政宗は、心の痛みを押し隠して、優しく微笑んだ。例え、兄の代わりでも、母が自分を見てくれるのならば、そうして再び平穏が訪れるのならば、こんな痛みは平気だ。
ようやく得た、母との穏やかなくらし。充実した高校生活。おそらく、人生で一番、楽しい今、だったのに。
「まさか、またアイツが、現れるなんて。しかも、三上先輩を、あんな目に遭わせて。僕は、許せません。僕は、もうアイツを、須賀野時宗を、兄とは思いません。合法的に裁けないというなら、非合法で構いません。……斎先輩には、それができるんですよね?」
暗い瞳で、政宗は斎に問う。
「……うっかり巻き込んでしまったからね。おまけに、関係者の身内だ。放置、というわけにもいかないしね。僕の指示に従えるというなら、可能な限り、君の要望に応えよう。ただし、僕に絶対服従だよ?」
「望むところです!」
ほんの一瞬、政宗の瞳に光が射し。その後、巽に連れられて、帰宅した。
「納得いかないって顔だね。俊?」
「さっき、木次君が言っていたこと……合法的に裁けないなら、非合法で、って、本気なのか?」
「ものの喩えだよ。可能なら、きちんと法の手に委ねたいって、思うよ」
「可能なら、か」
不可能なら、非合法な手段も問わない、ということと、同義だろ?
色々言いたいことはあるが、今までも斎の『非合法』な手段で助けられてきたのも事実である。
「ああ、俊が何を悩んでいるのかは分かるけどね。念のために言っておくと、僕が今まで取ってきた措置は、厳密には法に外れているわけではないんだよ? 大きな声では言えないけどね、うちは、唐沢宗家は、ある程度の司法権限を、国から委譲されている。これは国家機密レベルなんで、よそで言わないでくれよ? 唐沢宗家が国とした契約なんだ。唐沢宗家が培ってきた知識と技術を国に提供するためのね。そのため、唐沢宗家のある一部には、他にも特別な権限が与えられている。それが何なのかは、今は説明を省くけど」
「そこまで言って、省くのか?」
「うん。きっと聞いたら、俊が悩むのが分かるから。まあ、おいおい。ともかく、そういった意味で、唐沢宗家には超法規的措置が許されているし、他者が知りえない秘密も、集まってくる。……俊、三上さんを助けたのは、君だよね?」
「え?」
「君達が、君や、英人や、健太が、特殊な力を持っていることは、分かっているんだよ。僕が、英人の中のシンヤから、何も聞いてないと思うかい? もちろん、君の、中学生の時の出来事も、知っている」
「……斎、お前……」
いつから? その疑問を、口にする前に。
「いやあぁぁーっ!」
突如、響きわたる声。
それは、あまりにも悲痛な叫び。
「三上さん?!」
加奈の声だ。
意識を失ったまま、別室で美矢と真実が見守っていたはず。
そして、英人も。
「目が覚めたみたいだね。この話は、またあとで」
微笑みながらも幾分顔をこわばらせる斎に、俊も承諾した。
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