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「まあ、こんなことになるかとは思っていたわ……」
真実のため息交じりのつぶやきに、加奈も無言でうなづいた。
「えー? このくらいが、美術部らしくていいんじゃない?」
「アンタが言うな! この疫病神!」
何となくフォローっぽい言葉をいう斎を真実が怒鳴りつける。
まあ、これも、美術部の日常風景よね。
今度は心の中でうなづいて、加奈は真実にお説教されて逃げ回る斎の姿を眺めた。
……あれ? もしかして、斎君って、もしかして?
真実から逃げ回る斎が、妙に嬉しそうなことに、今更ながらに気付く。
でも、これは言わない方がいいわよね? 見込みがあるならまだしも、真実にはすでに決まった相手がいるのだし。
加奈の恋人の井川英人が、真実の恋人の
幼馴染の二人は、特に英人は、つらい幼少期を送っていたこともあり、その頃の心の支えだった健太に今も依存気味だ。珠美など(というか珠美だけだが)は、「男の友情っていうには度が過ぎます! きっちり手綱を握っていてくださいね! 真実先輩も被害いきますから!」と妙な心配までしていたが。
健太の真実への溺愛ぶりを見れば、健太と英人の間にあるのは、恋愛とは別の親愛関係であることは分かるし、友達というより仲の良い兄弟のような関係性なのだろう。
ともかく、真実に対する斎の思いは、現状では叶わない。それこそ、真実と健太の仲が破綻しない限り。そうなったら、周到な斎のこと、人のいい真実など、簡単に篭絡してしまうに違いない。それは、何となく気の毒な気がする、真実が。
このことは、自分の胸だけに秘めておこう……。
真実を思って密かな決意を固める加奈だったが。実を言うと、美術部で加奈以外の全員が、すでに周知の事実だったりする。当の真実は、別として。
それはさておき。
現在真実を怒らせているのは、つい先ほど終了した体験入部兼展覧会での出来事である。
四十名を超える参加者に、当初予定していたような制作体験を行うことは困難になり、急遽グループを分けて、展示物を解説がてら、部の説明を行うことになった。
五人いる三年生と、適宜二年生がサブに入り、五つのグループに分けて案内を始めた。最近はだいぶ向上してきたとはいえ、元々口下手な俊には美矢が、同じく入部して一年に満たない和矢と真実には、それぞれ巽と珠美がサポートに入った。が、この狭い美術室では、どうしても騒がしくなる。
まだ、美術部の活動に関する質問でにぎやかになるのであればよかったが、……まあ、これだけの人数が集まれば、どうしても興味本位の人間も混じってくる。興味も大切な動機ではあるし、制作をするその人に興味を持つことも、きっかけとして決して悪いとは思わないが。
その興味が、完全に美術からかけ離れた上、それなりの大騒ぎになったりすると。
……思い出すわ、一年前を。
正確には、十ヶ月前、ではあるが。
昨年の五月に転校してきた遠野兄妹が美術部に入り、その後、和矢目当ての女子グループが強引に仮入部してきたことがある。それ以前は、卒業した前部長の山口先輩が、妙な眼力で動機不純な入部希望者を体よく追っ払ってくれていたのだが。その不在のスキをついて入部していた女子達が、和矢を囲んで嬌声を上げて大騒ぎする、という日々が続き。堪忍袋の緒が切れた俊と斎に撃退される、という事態になった。
まあ、そのメンバーの一人だったはずの真実が、結果的には真面目な気持ちで入部してくれたわけで、だから興味本位が全面的にいけない、とは言えないのだが。
ともかく、その再現を見たような事態に、今回もなったわけである。
今回は、キレたのが俊ではなく、斎だけ、という違いはあるが。
元々面倒くさがり屋で言葉少ない斎ではあるが、美術に関しては、むしろしゃべりすぎるきらいがある。と言っても、怒涛の持論の展開になるので、興味がない人間にとっては、ちょっと苦痛になるくらい、話まくる。
唯一和矢だけは、嬉々として聞き入る。クールジャパンが大好物の和矢にとっては、かなり興味深い内容なのだという。
春休み行われた奈良・京都への修学旅行では、クラスが違うのになぜか自由行動は斎と(強引に連れていかれた俊と正彦、真実と加奈もいたが)べったりで、時間とお金が許す限り、ひたすら斎推薦の国宝やら重要文化財やらを見学に行き、ひたすらその蘊蓄を聞かされた。さすが、斎の目に適う素晴らしい逸品ぞろいではあったが、……さすが、にゲンナリしてしまった。真実がいなかったら、とても耐えきれなかったに違いない。
真実は、初めはおとなしく聞いていたが、そのうち斜め上の返答やら相槌で混ぜっ返して有耶無耶のうちに話の腰を折り……気が付くと違う話になっていた。そうして、話を打ち切ってくれたこと多数。真実以外がそんなことをしたら、斎も怒ったかもしれないが、一応真剣に聞いてくれている真実には苦笑するしかなかったらしい。一種の才能である。
そんな、美術部員でもなかなか苦行な「唐沢斎・美術を語る」ショーに、新入生が耐えられるはずがない。かと言って真実のような(本人は無意識だと思うが)うまい合いの手が入れられるわけでもなく、結果、斎の話を無視して、おしゃべりを始めてしまい。
『高校生にもなって、たかだか五分、十分の話も落ち着いて聞くことができないなんて、君達は何しに高校にきたわけ? 義務教育じゃないんだよ。座っていれば、それでいいなんて思ってるわけじゃないよね? まあ、興味がない話なら、それも仕方がない。だけどね、せめて他人の邪魔はしない、というくらいの気遣いはできないのかな? ああ、ゴメン、そんな気遣いができるようならそもそもしないよね? 高校生にもなって静かに話も聞けない、見た目だけは大人みたいな、中身幼稚園児の君達に言っても仕方がないことだったね。あ、でも幼稚園児だって、十五分くらい黙っていられる子もいるもんね。君達は、幼稚園児以下なのか。困ったな。高校に入学するには、中学を卒業していないといけないんだよ? もう一度、幼稚園からやり直してきたらどうだい?』
……そのようなことを、流れる滝のごとく、あるいは打ち寄せる怒涛のように一気に話すと、あっけにとられている新入生に背を向けて、制作途中の作品がある粘土板に向かってしまった。
たかが二歳差とはいえ、一年生にとって三年生は雲の上の存在に近い。怒鳴りつけたわけではない。淡々と、静かな声音で、でも怒気を抑えた無感情な視線で披露される斎の毒舌は……かなり怖い。そしてフォローもなく、背を向けられてしまっては、残された一年生はなすすべもない。
ちょっと、涙ぐんでいる子もいたもんね……トラウマにならないといいけど。
斎の毒舌を浴びたのは、斎の担当するグループだけであったが、狭い美術室の中での出来事である。他のグループの一年生にもその声は聞こえており、沈鬱な空気は伝わっていた。慌てて巽がフォローに向かい、他の四人は何とか説明を終わらせたが、その空気は払拭できず、開始時の期待と緊張で上気していたのとは真逆の暗い表情で、参加者は帰っていった。
そして、現在は元の閑散な美術室に戻っている。
「あの、私達、ここにいても、いいんでしょうか?」
真実に追い回される斎を生暖かい目で見守っていた加奈に、一人の少女がおずおずと話しかけてきた。その横には、同じように不安そうな瞳の少女がもう一人。少し離れて男子生徒も一名いる。
「あ、放っておいてごめんなさい。今、皆呼ぶから」
貴重な入部希望者の生き残りである。十分にケアをしなくてはいけない。
「あ、大丈夫です。生で唐沢<兄>先輩の毒舌が聴けて、まさに
……『美術の花園』なんて作品、誰か展示していたかしら? 一堂にってことは、連作?
あと、前半、何か不思議な言葉が聞こえたような……。
「ちなみに、私の推しカプは、『和×俊』なんですが。やっぱり、ここはあえて、硬派な俊先輩が和矢先輩にあの手この手で篭絡されていくというシチュエが美味しいと……モゴモゴ」
「はいはーい、それ以上のお話は、あっちの珠美お姉さん担当ですよー。……『腐』トークは、ここでは禁止ね?」
頭が真っ白になって固まっている加奈から、いきなりきわどいトークを始めた一年生を真実は羽交い絞めにして引きはがし、耳もとで小さく囁く。
「モガッ……承知いたしました。リアタイ観賞で思わず理性が飛びました。続きはCLSで……あ、私、CLSと兼部なんですが、よろしいでしょうか?」
「それはいいけど。こっちの活動も真面目にやってね?」
固まったままの加奈に代わって、真実が諭してる姿を見て、だんだんと加奈の思考が回復してくる。
……おしかぷ? って何だろう? 聞いたことあるような気もするけど。そうだ、確か斎がおススメの仏像や工芸品を『僕の推しの……』とか言いながら説明していたような。でも『かずしゅん』って何?
「……あー、加奈先輩? それ以上考えない方がいいですよ? 知らない方がいい世界も、あるんですよ? ……下手にハマると、井川さんとの関係にも響きますよ?」
こそこそと耳打ちしてくる珠美の助言に従い、これ幸いに、加奈はそれ以上の思考展開をシャットダウンし……ようやく平静を取り戻すことができた。
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