5 クラスが違うといいこともある

 入学式から3週間、そろそろ部活に入る人間はあらかた部活を決めていた。

 中学時代運動部だった反動なのか、俺は運動部に入る気が一切ない。


「部活決めた?」

「合唱部と美術部は見学しに行ったよ」


 いつもの徒歩15分の帰り道、俺と鈴木さんはそんな事を話していた。

 俺たちの会話は大分自然になってきた。鈴木さんはクラスに仲の良い女子の友達ができた事を話してくれたりして、その様子は凄く嬉しそうだ。


「合唱部ね、歌うのは好きなんだけど、全員女子だったからちょっと怖くて」


 心なし俯いて彼女は言う。彼女の顔の横の髪がさらりと流れて、その表情を隠す。

 その言葉は俺にとってちょっと意外だった。

 

「全員女子だと怖い? 男子ばっかりの方が怖く感じない?」


 入学初日に俺を捕まえて「付き合って下さい!」って言ったときの彼女は凄い勢いだったけど、あの時以外はおとなしくて、結構引っ込み思案。人見知りも割りとする。

 きっとあんな出来事がなかったら、3年間喋らなかったかもしれない相手だ。


 男子ばかりの部活――文化部だとそんなのはあまりないけども――そっちの方が向いてない気がするんだけどなあ。


「女の子はね、集団だと怖いよ」


 そんな事を呟いた鈴木さんの声は俺が今まで聞いた事がないような暗い声で。

 俺は思わず自転車を止めて彼女を見つめてしまった。


 三歩くらい進んでから、鈴木さんは俺が驚いて立ち止まっている事に気付き、慌てて作り笑いを浮かべる。

 彼女の作り笑い、わかるようになったんだ、この3週間で。

 俺、ずっと彼女の事見てるから。


「そういえばね、今日英コミュで小テストあったよ。明日とかC組でもあるかも」

「うわ、マジで? 帰ったら勉強するよ。サンキュ」

 

 俺がお礼を言うと、やっと彼女は本物の笑顔を浮かべた。



 俺は帰宅してから必死に英語コミュニケーションの復習をして、その途中でシャーペンを持った手を止めて鈴木さんの事を考えていた。


 ――女の子はね、集団だと怖いよ。


 あの言葉、いつもの彼女と違った。

 暗くて、恨みすら感じる声だった。


 ひとつ心当たりがあるとするなら、中学時代に見たいじめのことだ。

 女子グループの中でハブられた子がいじめの対象になって、登校拒否をしていた。

 その席の主が学校に来ない机に行儀悪く脚を組んで座って、クラスのリーダー格の女子が悪口を言いふらしていた事を思い出す。


 俺から見ても胸クソな光景だったけど、何もできなかった。机はひとつ空いたきりで新年度を迎え、女子グループはバラバラになって、いじめられていた子もようやく保健室登校ができる様になったと聞いたけど、それ以上の事は知らない。


 

 もし、彼女が中学時代いじめに遭っていたら。


 ――近くの学校嫌だったから。


 どうしよう、繋がる。いじめてきた奴らと同じ学校になんか行きたいと思わないだろう。


 俺は仮説にしか過ぎないその考えにゾワゾワしてしまった。

 しばらくシャーペンを回しながら考えた後、その思考に蓋をする。


 少なくとも、今の彼女はいじめに遭っていない。

 新しい人間関係を作って、前向きに高校生活を送ろうとしている――はずだ。


 俺は――。


 ずっと座る人がいないまま教室の中に置き去りにされた机が脳裏にちらつく。


 もし何かがあったら、鈴木さんを守る。

 優しい鈴木さんを、俺の彼女を、絶対に守る。



 鈴木さんの予言通り翌日は英コミュの突発小テストがあって、事前に情報を仕入れられていた俺はなんとか危なげなくクリアする事ができた。

 

 昨日考えていた事は触れない様にして、俺はその日の帰りに殊更明るい声で彼女に話しかけた。


「今日うちのクラスでも小テストあったよ。ほんと助かった!」

「やっぱりそうだったんだ。ふふ、よかったね」


 お礼を言う俺に向ける彼女の笑顔は本物。春の日差しのような、ほんわりした笑顔だ。こっちの胸まで温かくなるこの笑顔が、俺は好き。


「それで、さ。今度買い物にいかない? 俺英語苦手で参考書とかも買わなきゃなーって思ってて。それに……と、図書館とかよりは喋れるし、さ」

「……うひゃぁー」

「ちょっ? 鈴木さん?」


 奇声を上げてしゃがみ込んでしまった彼女に俺は慌てて自転車を止めた。

 これは……あれだ。図書館デートしたときに服を褒めたときの反応に似てる。

 

「大丈夫? 俺、変なこと言った?」

「ううん、ごめんね、違うの。なんか、どうしよう、凄く嬉しくて。……あのね、鳥井くんがそうやって、私に気を遣ってくれるところ、凄く優しいなっていつも思うの。いやぁー、言っちゃった!」

「え、別に気を遣って誘ってるんじゃないよ? 学校だとあんまりゆっくり喋れないし……その、ほら、『お試し』をどっちの方向に卒業するにしてもさ、お互いの事知らないと」

「う、うん、そうだね。ショッピング、楽しみだな。ちょうど、新しい服も欲しかったの」


 赤くなった顔を見られたくないのか、彼女は顔を覆っていた。でもばっちり見えてる。耳が赤くなってるのがばっちり見えてるよ!


 通学用のカバンを中身が潰れそうなくらい抱きしめて、鈴木さんは早足で歩き始めた。わかりやすい照れ隠しだ。

 

 やばい、デートに誘われただけでこんなに喜んでくれるのってなんなんだろう。

 誘ったこっちがめちゃくちゃ嬉しいんだけど。

  

「実を言うとうちの姉にさ、鈴木さんの事バレちゃって。ちょっとからかわれたけど、次はショッピングに行け、ってアドバイスしてくれて。なんか、姉が言うには俺って服の見立てが割とうまいんだって」

「そうなんだ、凄いね! あのね、本当にイメチェンしたくて、でもやっぱり自分で選ぶといつも同じような服になっちゃうから。え、選んでもらえると、凄く嬉しいな」

「それじゃ、ちょっと電車に乗るけど藤川まで行かない? あそこだと駅前のOPEが凄く服が多いし……知ってる人に会う確率も低いし」

「日曜日でいい? 凄く楽しみ。……あのね、私、入学式の日に思い切って鳥井くんに告白して良かった」


 そんなことを言う彼女の顔が、今にも泣き出しそうに嬉しそうで。

 ふたりで歩くゴールの川左駅は目の前なのに、俺はそれ以上足が進まなくなって。


「……俺、多分あの時鈴木さんに告白されなかったら、3年間喋らない相手だったかもなって思った事がある。あの時はビビるほど強引だったけど、普段おとなしいし」


 彼女が俺の言葉に振り向いた。戸惑いながら俺を見つめる目が揺れている。

 その目をまっすぐ見返して、俺は今の本当の気持ちを彼女に告げた。


「だから、今こうやって話したりするようになって、少しずつ鈴木さんの事知る度に、『あの時声を掛けられて良かった』って思うんだ。――昇降口の26番目でも」

「あ――」


 彼女は何かを言いたげに少し声を出したけど、それ以上の言葉は続かなかった。

 昇降口の26番目でもいいんだ。きっかけがそれでも、それが「運命の人」の印だったなら。


 困っているときの癖で眉を寄せてもじもじしている彼女に、とびきりの笑顔を見せて俺は言った。


「日曜日、楽しみにしてるから。……じゃあ、また明日」 

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