最期の口紅

ビビビ

最期の口紅

 今から遙か未来、性別なんて関係なく、誰もが化粧をするようになった世界でのこと。強欲で有名なスズキ博士は研究室でほくそ笑んだ。この世界でもこの男は、肌は荒れ、ひげは伸ばしっぱなし、もちろん化粧なんてしていない、清潔感がない格好をしていた。そんな彼の手には一本の口紅が。スズキ博士はその口紅を大事に箱にしまうと、その箱と一本のワインを引っ掴んで、軽い足取りで研究所を飛び出した。





 向かったのは、今注目を浴びている科学者のキムラ博士の自宅だった。立て続けに二度インターホンを押す。出てきたキムラ博士は若く、休日でも清潔感にあふれる好青年だ。女性人気も高い。キムラ博士はスズキ博士の突然の訪問にもにこやかに対応した。


「お久しぶりです、スズキ博士。突然どうされたんですか?」


「聞いてくれたまえ。いや、詳しくは話せないのだが、私は素晴らしい発明をした。誰かに祝杯を上げてほしくてね。ほら、上等なワインも持ってきた」


「それはおめでとうございます。大したお構いもできませんが、どうぞ中へ」


 キムラ博士は快くスズキ博士を招き入れた。





 彼らは乾杯をし、他愛もない話をしながら酒を飲んだ。スズキ博士が持ってきたワインは美味く、度数の高いものだったので、キムラ博士は終いには寝てしまった。

 それを確認したスズキ博士は、口角を吊り上げて、例の口紅を取り出した。もともと塗ってあった口紅の上から、バレないようにキムラ博士の唇に塗った。

 スズキ博士は満足そうに頷いて、泥酔しているキムラ博士に話しかけた。


「キムラ君、最近の調子はどうかね?」


「それはもう絶好調ですよ。研究も軌道に乗って、雑誌にも載って、顔の良さも世間に騒がれて」


 キムラ博士の唇がひとりでに動き、そう言った。スズキ博士はもう一度不気味に微笑んだ。


「ああ、知ってるよ。それなら、奥さん以外に愛人の一人や二人、いるんじゃないのかい?」


「実は一人だけ」


「ほう、どこの誰だね?」


「彼女は大学時代の同級生でーー」


 キムラ博士は淀みなくすべてを話した。スズキ博士は最後に、その女性との次の予定を聞き出して、キムラ宅をあとにした。

 後日、某週刊誌にはキムラ博士が女性と腕を組んでいる姿と、女性の身元の詳細が届いていた。





 それからというもの、スズキ博士は口紅を使って他人を蹴落とし、自分を押し上げた。あるときはゴシップを聞き出して強請り、またあるときは研究の情報を聞き出した。完全なアリバイを仕立て上げ、殺しをしたこともあった。

 スズキ博士は大きな富と名誉を得た。





 スズキ博士が隠居する時、彼の息子にこの口紅を託した。彼は言った。


「息子よ、これは私の人生最大の発明だ。これを塗った人は正直に質問に答えてしまう。相手が眠っていようがなんだろうが関係ない。確実な情報を得ることができる。私はこれを使って富と名誉を得た。お前も上手く使いなさい」


「もしかして、十年前の殺しは父さんですか」


「勘が鋭いな。そうだ。あいつはこれの存在を知ってしまったからな。

 死人に口なし。もうバレる心配はない」


 スズキ博士は下品な笑い声を上げた。

 息子は口紅をじっと見つめたあと、無言でそれをポケットに仕舞った。





 数年後、ついにスズキ博士の悪事が疑われ始めた。徹底的な捜査にスズキ博士は追い込まれ、せめて名誉は失うまいと自殺した。

 手首から血を流すスズキ博士を見て、刑事が悔しそうに言った。


「くそ、もうすぐで尻尾を掴めそうだったのに」


 すると、背後で黙っていたスズキ博士の息子が遺体に近づき、しゃがみこんだ。刑事が慌ててそれを止める。


「おい、勝手に触るんじゃないーー」


「父さん。今まであなたがしてじたことを、全部話してもらいましょうか」


 すると、スズキ博士の、真っ赤に染まった唇がひとりでに話し始めた。


「私は今まで数え切れないほど多くの人を陥れた。私の発明はほとんどが他社の発明だ。週刊誌にゴシップを流しもしたし、挙げ句、殺しもした。全てはこの口紅で」


 刑事達は目を丸くした。どこからかやって来た、ハイエナのような記者が抜け目なくメモを取り、週刊誌に電話を始めた。

 スズキ博士の息子は立ち上がり、スズキ博士を見下ろして言った。


「こういう使い方もできるんですよ?これさえあれば、死人に口なしなんて、通用しない」


 横たわるスズキ博士の死体は、唇だけが悔しそうに歪んでいたそうな。

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