時間[花金]
「わたしは……超越した。わたしは! 神だぁあ!」
缶チューハイを片手に叫ぶ。ここはわたしの部屋だ文句はあるか、とばかりに。
画面越しの親友は手羽先のハチミツ煮をかじっている。相変わらず料理がうまい。見た目からして絶対美味いのが分かる。なぜリモート飲み会なんだ。
『はいはい。酔いの限界を超越なさったんですか? 神さま』
「うー……その手羽先美味しそう。持って来てよ」
『話が飛んでるし。酔っ払いめ』
親友は楽しそうに言って、鳥の骨を口から引き出す。親指で唇についたタレを拭って指を舐め取ると、それを焼酎のウーロン茶割りで流し込んでいる。超絶美味しそうである。今からでも相手の家に乗り込みたいくらいだ。
『――ぷっはぁ。いやあ、今日はうまくいったなあ』
「あぁ……悪魔や。あんたぁ、悪魔やでぇ」
『んで、今日はなんでそんな腐ってるの? ペース早くね?』
「……上司がねえ」
右手に握った缶チューハイを見ながら話す。缶の周りに水滴が浮かんでいる。布巾持ってくるの忘れた。まあ、いいか、と親指でひんやりとした感触を楽しむ。……そろそろネイル行かないとなあ。
「『女の子は結婚早い方がいいよ』って『消費期限があるんだから』って」
『ぶっ……きたなっ』
画面の向こうで親友がウーロン茶を吹いたらしい。画面外に置いてあったっぽい青い布巾で自分の服とテーブルを軽く撫でている。ついでにウーロン割のグラスをぬぐいながら、あきれ果てたような声を出す。
『ひどいな、その上司。嫌われてるだろ? 職場で』
「めっちゃ嫌われてる」
『人がいつ結婚しようがてめえの勝手だろうがって思うのにね』
「うん……でも、本当にそうだなあって落ち込んじゃった」
『なにを?』
「消費期限の話」
『……どうして』
「んー。子ども産むなら、とか」
『今は40でも産んでる人いるじゃん』
「そうだね……それでも実家に帰るたびに親が老けてるのを見たり、まわりが結婚して幸せな家庭築いているのを見るとさ。誰かに『もう時間がないぞ!』って言われてるみたいでなんか焦っちゃうんだよね」
『誰かって、上司に?』
「んー」
ぺこぺこっ。
右手の缶が空っぽになってる。お代わりを取りに行きたいけど、なんか腰が重くて、ただ缶を握ったり放したりを繰り返してる。ぺこぺこっ。
「神さまかな」
『神さまぁ!?』
素っ頓狂な声を上げて、親友が『ちょっとごめん』と画面外に出ていく。キッチンの方向だ。冷蔵庫を開く音。氷が、からんからんってグラスに落ちる音。そして、しばらくしてもう一度、からんと一回。多分、ステアで焼酎とウーロン茶をかき混ぜた音。それを聞きながら、わたしはイカソーメンでリボンなんか作ってる。
『お待たせ』
「おかえりー」
『――で、神さまがどうしたって?』
「神さまがわたしの消費期限を心配してくれるなら、わたしが神さまになるって話」
『あー。そこに繋がったわけね』
「時間に囚われずに生きたいねって話」
『急に深イイ感じになってるじゃん』
ウーロン割のグラスを傾けて、親友の
『――時間ってのはさ』
親友の落ち着いた声音に、リンゴのタルトから思考を戻される。
『まあ、消費期限とかよくわかんないけど。時間が人を変えるし、人を救ってくれるんだよなあ』
わたしたちみたいに? なんて言葉が出かかって止めた。酔いで鈍った理性では、油断するとなにが出るか分かったもんじゃない。それに、一旦とっちらかったら、それを収められる自信がない。
『お前みたいな神さま、じゃねえや、友だちがいて良かったとオレは思うよ』
「……うん、わたしも。アナタみたいな人間が近くにいて良かったよ」
ぺこぺこ、ぺぺこっ。
空になった缶で不気味なリズムを刻む。画面の向こうから、からんという音とともに親友の声が聞こえる。
『もう一本持ってきたら? 切れた?』
「んーん。あるよ」
『じゃあ、仕切り直そうぜ。なんかしんみりしちゃったし』
「そうだねー」
よいしょっと床に手をついて重い腰を上げる。画面からは『ババアかよ』なんて声が聞こえたけど、聞こえないふりをして冷蔵庫に向かう。いや、聞こえないふりをしていたというより、もう違うことを考えていた。新宿のこと。
――仕切り直そう。
それはあの日、新宿駅で言われた言葉だ。友人から恋人になった時も。恋人から友人に戻った時も。新宿駅だった。性格が全然違うんだから当然だよなんて周りに言われながら、それでも今でも居心地がよくてそばにいる。もう何年も変わらずに。
冷蔵庫から缶チューハイを取り出す。冷たくて気持ちいい。
「時間はなにをくれたんだろうね……わたしたちに」
扉を閉める。これで酔っ払いの独り言は、冷蔵庫に閉じ込めた。
――さあ、仕切り直そう。わたしたちはすべてを超越したんだ。
「ただいまー! 神さまのお戻りだよ」
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