描写[花金企画]
パソコンの前で悩んでいると背後からにょきっと腕が生えてきた。美味しく焼けたシフォンケーキのような肌が遠慮なく絡みついてくる。浮いた血管が好きだな、と人差し指で撫でながら、わずかな息苦しさを楽しむ。指をつつっと動かすと、くすぐったいのか、うなじに息が当たって熱い。
湿った息は、実体を伴って首筋をたどっていく。
「ごめん、今ムリ」
「パソコンしてていいよ。こっちも勝手にやってるから」
「気になる」
抗議のつもりで身体をよじる。けれど、両腕の力が逆に増すだけで効果がない。
「ムリだってば」
「なんだよ、そんなに仕事が大事なの?」
「仕事じゃないよ。趣味の方」
「小説の方か」
「そー」
「それで、さっきから何を悩んでるの?」
耳元に囁かれる低い声が心地よくて、うん、と小さく答える。
「俺が手伝える?」
「ムリ」
「聞いてみないと分からないじゃん」
「……主人公と彼女のイチャらぶシーンだよ?」
「ふんふん」
「ようやく心が通じてそういう雰囲気の描写に悩んでるの」
「わかった」
「――あぶっ」
後ろから抱きつかれたまま引き倒される。相手の胸に後頭部を当てて、天井を見上げるような姿勢で若干腹筋が痛い。ぷるぷる震えていると、囁くように言われる。
「力、抜いて?」
「抜いたら重いよ?」
「軽いよ。ちゃんと食べてる?」
力を少しずつ抜いて、体重のすべてを預けながら、今日食べたものを思い返す。
「あ――」
「呆れた。今日も食べてないんでしょ」
「仕事忙しくて」
「言い訳ダメ」
姿勢的に顔が見えないけれど、きっと口を尖らしてるんだろうなと笑ってしまう。
「笑ってないで。終わったらちゃんと食べてよ。今のうちに頼んでおく?」
そう言って、スマートフォンをいじり始める。身体から腕一本分の温もりが消えて、寂しさを覚えてしまうけれど調子に乗らせないように黙る。その代わり後頭部をグリグリと押しつけてみる。
「あれ? その気になった?」
「なってない」
「だって、ほら――描写の練習」
「練習にならないんだって」
ギリギリ届かなくなったパソコンの画面を眺める。趣味で書き始めたラブコメもの。可愛い女の子との出会いもすれ違いも、雨宿りで下着透けちゃうなんていうイベントもすべて妄想。女の子のなにもかもが想像つかない。
「そっかなあ、置き換えればいいだけじゃないの?」
「ていうか、そもそも自分のことに置き換えたくないし」
「じゃあ」
パソコンの横にスマートフォンが置かれる。腕一本分の温もりが戻って来る。
「ね?」
「……いいよ」
どうせ、もう集中できないし。オレは、上にあるチョコレート色のツーブロックに手を伸ばしてグイッと引き寄せる。
甘い沈黙。
「……なんか腹減ってきたなあ」
「たくさん頼んだんだから、ちゃんと食べてよ?」
俺のこともね? なんて言うから、オヤジかよって笑ってしまう。自分たちを男女の恋愛に置き換えることはできないけれど、デザートのような甘い気持ちは描けるんじゃないかなって思った。
「どしたの?」
「んにゃ、ガトーショコラみたいだなって」
「なにそれ」
ご飯の前にデザートなんて贅沢だなってこと――という言葉は言えなかった。
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