マジョリティ[花金企画]

 外は蝉がやかましく鳴いていたのに、ロッカーの感触は嫌にひんやりとしていて。窓から差し込む光も音も、なにもかもを拒むようで。


 それはまるで、私たちの心のようで――


 ・・・


『同窓会のお知らせ、荷物に入れておいたからね』

「入ってたね。捨ててくれてよかったのに」

『そんなこと言ってないで。出会いがあるかもしれないわよ』

 電話口の母は鼻息も荒く、こちらの耳まで湿ってしまいそうだ。

『荒木さんと別れてからご無沙汰なんでしょ?』


 ゴブサタ、という母の言葉に思わず片眉を上げる。そうねえ、なんて答えながら何てことない風に冷蔵庫を開ける。さっきも確認したばかりのそれは、やっぱり空っぽに等しい。


『母さんはいいんだけれど、あなたが寂しい思いをするのはツライわ。やっぱり女性の幸せは結婚にあると思うのよ』

「そうねえ」

『……ともかく捨てないで、ちゃんと見なさい』

「はあい。明日早いからそろそろ切るね。救援物資ありがと」

『買い物もろくにできない仕事なんていくら女性の社会進出が――』

「切るね」


 まだなにか言っているのが聞こえたけれど、『通話終了』をタップする。明日が早いのは本当なのだ。仕事が好きなわけではないけれど、だからといって辞めるわけにもいかない。


「ゴブサタ、か」


 母の言葉を口に出してみると笑いすら込み上げてくる。そのままベッドに横になって、無意識に近い動きでSNSのアプリを開く。寿退社した元同僚の子どもの顔がドアップで映し出される。写真には『ばあばにアイス買ってもらってご機嫌』と添えられている。子ども嫌いと言っていた元同僚。彼女だけじゃない。中学の時の同級生、大学の時の先輩、バイトの後輩。みんなこぞって『幸せ』をアピールしている。

 見ている側からすれば、みんな同じに見える。変わり映えしない画面。他人の子どもの名前も成長も、覚えていられない。でも、母のような人間マジョリティの考え方では社会的に見てそれが『幸せ』なのだろう。


 アプリを閉じようとして、机の上の葉書が目に入り、ふと思い直す。


「同窓会ねえ……」


 虫眼鏡のマークをタップすると同時に、私の意識は高校時代に飛んでいた。


 ・・・


「好きだよ」


 部活終わりに急に後ろからそう言われた。みんなはもう着替えて、暑苦しいロッカールームから出て行って、私たちは二人きりだった。

 聞き間違い、あるいはなにかを聞き逃していたのかと、私はリボンを着けながら振り返った。思った以上に近くにあった顔に、反射的に後ずさった。


 彼女はもう一度ゆっくりと、私の目を見つめて言った。


「ずっと好きだったの」


 そう言って、彼女の手が私の肩に触れた。夏だからではない熱が伝わってきた。背中が後ろのロッカーについた時、思わずその温度差に顔をしかめてしまった。


 何も言わなかった。ただ蝉の鳴き声がやかましかった。私たちの唇が重なったことも、どこか別の世界で起きたことのようだった。


 ・・・


 あの後のことはよく思い出せない。なぜ今まで忘れていられたんだろう。指先で名前を打ち込むと、すぐに写真が何枚も画面に映し出される。『幸せ』そうな彼女の顔に口元が思わず緩む。


「そっかそっか」


 スマートフォンをベッドに置いて、テーブルの上の葉書に手を伸ばす。ちょうど真ん中あたりをつまんで、ゆっくりと左右に裂いていく。チリチリ、と虫が羽を擦るような音が耳をくすぐる。紙を重ねてもう一度ちぎる。音は重ねた分だけ鈍くなって少し力も要るようになる。もう一度、そしてもう一度。


 ハラハラ、とちぎった葉書をゴミ箱へ降らせる。


「シャワー浴びよ」


 あの日、音も光もなかった世界はもうどこにもない。たしかに感じた熱はまだ冷めないのに。私の心のようで――やけに心地よかったのに。


 

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