幻想[花金企画]
「ちょっと、帰るの遅くなる時は連絡してってば」
寝る寸前に帰ってきた午前様の旦那に一言モノ申す。旦那は、ハーッとわざとらしいため息を吐いて玄関に服を脱ぎ捨てて、風呂場へ直行。するとさっそく文句を言って来た。
「なあ、風呂冷たいんだけど」
「だーかーらー。帰って来るって事前に連絡くれたら追い焚きできんの!」
「あり得ねえ。風呂も嫁も冷てえ」
旦那はそう言ってバタン! と強めに風呂場のドアを閉める。シャワーの音がする。言い返す気力もなくなって、私はベッドに潜り込む。
結婚して3年目、最近こんな感じ。最後に一緒に寝たのっていつだっけ。それすら思い出せない。
私は、ただフツーの幸せが欲しかっただけなのに。
・・・
「やだあ、亜紀ちゃん。それって倦怠期だよ」
「やっぱそう?」
翌日、ランチで少し愚痴ってみると、同僚の美優ちゃんがコンビニのサラダをつつきながら言う。
「美優ちゃんとこは、相変わらずラブラブなの?」
「うん。翔くんは今日も愛妻弁当だよ。お弁当箱もね、洗って帰ってきてくれる」
「いいなー」
「結婚する時に話し合ったの。一日一回は『愛してる』って言って欲しいとか、ケンカしてもハグして仲直りとか、隠し事はしないとか、それこそ飲み会の途中とか帰る時とかにはちゃんと連絡するとか」
「え、飲み会の途中も?」
「うん。だって寂しいし」
「うはーむりー」
倦怠期か……。なんか現状打破する努力必要なのかな? 『愛してる』って言うって? そこまで考えて、私はぶんぶんと顔を振った。
「むりー!」
・・・
結局、私はその後ネットで検索した『倦怠期の乗り越え方』を実践することにした。まずは、『挨拶をする』。そして『オシャレをする』。
「……お帰り」
「どした? なんか初めて見るパジャマじゃね?」
「かわいい?」
「え? あ、まあ、そりゃあ」
「そっか」
心の中でガッツポーズをしながら、次の『感謝を忘れない』を実践。いつもならいろいろ言いたいところだけど、落ち着いて。
「お風呂追い焚きしてあるから。お仕事お疲れ様。いつもありがとう」
そう言って両手を出す。
「服、もらうね」
旦那は、おう、と言いながら服を脱いで私に渡す。床に脱ぎ散らかされる前にもらってしまえば、それほど腹立たない。これは新たな発見だった。
「亜紀」
「んー?」
「明日から、帰る時、ちゃんと連絡する」
思わず旦那を見る。なんか照れたように旦那はお風呂に入って行く。
「俺の方こそ……ありがとう」
なんだ簡単なことだったんだ。なんて思いながら、昨日の今日でご機嫌になっている単純な自分に笑ってしまう。
・・・
「亜紀ちゃん、旦那さんとどう?」
「あーなんとかね」
翌日のランチで美優ちゃんに聞かれて、我ながら単純すぎて軽く濁す。いつもコンビニのサラダを食べてる美優ちゃんが珍しく手作りのお弁当をつつきながら言う。
「あたし、離婚するかも」
「え?」
「これ、翔くんのために作ったお弁当なんだ。あたし、料理苦手なの。美味しくないの。でも、奥さんになったら愛妻弁当作るものだと思ってたし、彼もそう思ってた。……毎日食べてくれてるんだと思ってたんだけど、捨ててたんだって」
「……」
「ついでに洗ってたんだって、彼女が」
美優ちゃんは淡々と話す。
「結婚した時のね、約束が重かったんだって。全部守っていくのが辛かったんだって――馬鹿にしてるよね。隠し事しないっていう約束破ってるのに」
「美優ちゃん……」
「でもね、実をいうとホッとしてるの。もうお弁当作らなくていいんだなって。ほんと、くだらない幻想の毎日にはお腹いっぱい」
心から安堵したような穏やかな表情で笑う美優ちゃん。
「ご馳走様」
そう言って、美優ちゃんは空っぽになったお弁当箱の蓋を閉めた。
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