矛盾[花金企画]

「結局のところ、仕事なんでしょう?」


 その瞳に宿る感情は――悲しみか、怒りか。


 僕は、部長との通話を急いで切り上げる。今日もデート中に、仕事の連絡が立て続けに入ったのは事実だ。でも仕方がないじゃないか。仕事なんだから。


「お待たせ」

 携帯電話を背広のポケットに仕舞って、僕は彼女に向き直る。彼女は俯いたまま。僕は、もう一度言う。


「お待たせ」

「どうせ――」


 彼女は弱弱しい声を出す。


「あなたは、私より仕事を取るんでしょう」

「まさか」


 ほら、と僕は携帯電話を取り出して差し出す。


「君に携帯電話を預けたっていい」

「でも、会社に行かないといけないんでしょう?」

「僕が大切なのは君だけなんだ。本当は今すぐ君を抱きしめたい」


 だけど外だから、と続ける。彼女はそういうことを嫌がる。


 そう、ここは駅の改札前。終電も近く、人の流れは途切れない。改札前で言い争っている僕たちを無視する人間もいれば、じろじろと見てくる人間もいる。


 久しぶりのデートで食事を楽しんだ後、彼女の家に向かう予定だった。だが、僕の携帯電話にはいつも通り、仕事の連絡が引っ切り無しに届いていた。最初は、「いいのよ」と言っていた彼女も徐々に不機嫌になっていった。


 そして駅に着いた時に、上司からの電話を受けたことが、「結局のところ、仕事なんでしょう?」という彼女の先ほどの言葉につながっている。


「君に嫌なことを言わせてごめん。仕事も、君も大事だって分かってる君に……天秤に掛けさせるようなことを言わせたのは僕だ」


 僕の言葉を一つも聞き漏らすまいと、彼女の目が僕を見つめる。


「これ以上、君を不安にはさせたくない」

「……」

「ちゃんと渡したかったけど」


 今ここで渡すね、と反対のポケットから小さな箱を取り出す。これで彼女とふたり、幸せになれる。


「これって――」

「給料三か月分だよ」

「そんなつもりじゃ……」


 彼女は箱を受け取らずに、僕から距離を取る。


「結婚なんて考えられない」

「でも、僕は本気なんだ」

「ちょっと待って。私には無理!」

「どうして?」

「プロジェクトを任せてもらったばかりなの……」


 焦っているのか彼女は早口で小声だ。女性が仕事を続けていく上で『結婚』は厄介だ。出産や育児、時短の可能性があるというだけで、責任あるポジションから外されるのが社会の実態だから。


 僕は思わず口にする。あの禁句を。


「君は――僕と仕事、どちらが大事なの?」


 どうやら僕たちは矛盾の中で生きているようだ。

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