第9話 おめでとう

「どこに連れて行くんだ?」


「今はまだ言えない。もう少ししたら話せるから待ってて」


春がまだ遠い1月は5時をまだ回らないというのに薄暗い。電灯がポツポツと光りだす。

大学の門を出て10分ほど歩いた。

見慣れた街、いつもの風景だというのに、今は何だか別の世界にいるような感覚だった。

もう会うことはないと思っていた柊と再会し、今は柊に手を引かれるままにどこかに連れて行かれている。非日常にもほどがある。

一週間前に起きた非日常の延長戦にいるとでも言った方が良いのだろうか。


街ゆく人の視線を感じる。

老若男女問わず、彼女の存在に気づいた誰もが足を止め釘付けになる。

彼女はいつだって注目の的だ。


人の視線など御構い無しに柊は俺の手を取りスタスタと進む。

昔もこうしてしょっちゅうどこかに連れて行かれた。行く先も伝えられず、ただ柊の赴くままに手を引かれていた。


こんなにも可憐な女性に手を引かれることなんてなかった俺は初めの頃は心臓が爆発しそうなくらい緊張したものだ。我ながら初々しい恋を経験していた。


つい一週間前もこうして手を握られていたことを思い出す。

だが、状況が全然違う。

今こうして手を引かれるような関係ではない。


「柊、すまないが手を離してくれないか・・・少し恥ずかしい」


言いあぐねていたが、周りの視線もあって堪えきれず前を歩く柊に告げる。

ピタリと止まった彼女は、俺の顔を見つめ、そして握られた手を見つめた後、そっと手を離してくれた。


「・・・ごめん。昔の癖で」


「いや、いいんだ・・・」


次の言葉が出てこない。二人とも無言の時間が過ぎ、柊が再び歩きだす。

手を見つめる。彼女の体温が未だ残っている。彼女は何事もないかのように歩いている。


ここで柊と昔の話なんかをスムーズに喋れたらよかったのだろうか。

いや・・・良くない思い出まで溢れてしまいそうだから黙って付いて行くのが今は正解なんだろう。

俺と柊の関係はひどく曖昧で、仲良しこよしに並んで歩くことなんて今も、これからも無理だ。


ピタリ、と突然彼女が止まるものだから思わず転びそうになる。


一体どうしたんだと彼女に視線を移す。相変わらず無表情な彼女の心境を慮ることは難しいが、俯きがち喋り始めた。


「・・・ごめんね」


「え?」


「ハルカの隣にいた子・・・あなたと予定があったでしょ?急に私がやってきて連れ去って・・・ハルカにも、あの子にも悪いことをした」


「ライちゃんのことか?別に気にしなくて良い。また別日にだって会えるし」


「・・・そう」


随分と弱気な態度を見せてきて、俺は困惑した。

そもそも柊から謝罪の言葉が出てくることに驚いた。記憶にある限りだと、柊が俺に対して謝罪をするようなことはなかった。

柊も成長したんだなと感じた。


「そ、そういえば、どうやって俺の居場所がわかったんだ?これもまた魔法の力でか?」


空気を変えるように柊が答えられそうなことを質問してみた。

純粋にどうやって俺の大学を突き止めたのか聞いてみたいとも思っていた。


「・・・言ってたじゃん、あの日」


夕日に照らされた彼女は髪を抑えながら俺に告げる。

じ、っと、睨みつけられているのだろうか。感情を汲み取ることが難しい彼女の表情と声音だが、今だけは、怒っているように感じ取れた。


「え?」


言っていた?誰が?いつ?どこで?何を?

さっきの質問は地雷だったか。

てっきり魔法の力で俺の居場所を特定したのかと思ったが違うのか?

頭を整理しようとしても、柊の鋭い目に射抜かれているように感じてまともに思考もできない。

結局、柊の求めている回答は出てこなかった。


「すまん・・・あの日って?」


「・・・別れ話の日に、ハルカが言っていた。浪人して大窪大学を受験するって」


「あっ・・・」


言われてすぐに納得できるほどの内容で、どうして忘れていたのか不思議なくらいだったものだから思わず変な声がでた。


『ダメだった。浪人することにした。来年は大窪大学合格できるように勉強するよ』


あの日の場面がフラッシュバックする。

卒業式の終わった、誰もいない古びた校門の前。俺と柊だけしかいないかのような静かな空間だった。例年になく早くに開いたばかりの桜の花がゆっくりと落ちて行っていたのを思い出す。

つい最近夢にまで出てきたというのに、俺自身が彼女に告げたというのに言われるまで気づかなかった。


俺は驚くように彼女を見つめていただろう。自分自身が忘れていたことにも驚いていたが、柊はちゃんとあの日のことを覚えていたことに何よりビックリした。


だが、本当に申し訳ないが、何故怒っているように見えたかはわからなかった。


柊がまた正面を向いて歩きだす。

俺の手を引くこともせず、行く先もまだ告げず路地を進んでいく。

夕日に照らされる彼女の後ろ髪を追いかけるように、俺は柊を追いかけた。


「・・・言い忘れてた」


「ん?」


「大窪大学、ちゃんと受かったんだ。おめでとう」


「・・・ああ。ありがとう」


彼女との距離は、依然として遠いままに感じた。


________________________________________


「見つけたよ、へへ・・・」

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