第8話 理由も聞かされず突然に
「・・・ぱい!クマ先輩!」
耳に高音が響き、驚いて声の主の方へと顔を向ける。
隣を軽快に歩くライちゃんが呆れた顔でこっちを見ていた。
彼女の白い息が空へと上がる。
「・・・!、っくりしたあ。何だ、急に」
「急にじゃないっすよ、全く。講義中もでしたけど、今もずーっとボーッとして!話聞いてなかったでしょ!」
ふわふわなニット素材マフラーに顔を埋めながら抗議の声を上げるライちゃん。グレーのアウターが彼女の綺麗な金髪を目立たせていてオシャレに気を使ってるんだな、なんて考えていた。
4限が終わった後の大学構内はそれなりに人がいた。数十分もすればもっと閑散とするだろう。
学生たちは次の5限の講義へ赴くか、サークル、部活、ゼミ、バイト、飲みなど疎らに散っていく。
16時を過ぎた学生達は各々が好きなことをするため講堂にずっと残ろうとなんてしない。
ただでさえ人生の夏休みとさえ言われている大学生達が何をそんなに急ぐのだろうとたまに思う。
1月も中旬になり、もう数週間すれば試験だというのにここに残っている学生達はそんなこと考えていないのだろう。
「ごめんね。何の話だっけ」
「もお・・!ここ一週間ずっとこんな感じらしいじゃないですか。ケンジ先輩も言ってたっす」
少し生意気だが可愛らしい後輩が呆れているのか、心配しているのかわからない表情でこっちに訴えかけてくる。彼女は一個下であるが遠慮なんてしない。
ここ一週間、俺はずっと調子が悪い。
『久しぶりね、ハルカ』
真っ暗な空の下、急に現れた久しい彼女の顔を思い出す。
『私はハルカに会いたかったけど、ハルカは私に会いたくなかったよね』
『ごめん、ちょっと触るね』
『私はいわゆる魔女』
『私が、必ず何とかする。ハルカを危険になんて晒させない』
『またね、ハルカ。あなたに久しぶりに会えて、嬉しかった』
あの日、柊と出会ってからちょうど一週間が経つ。もうずっと頭の中であの日のことが反芻されている。
あので出来事は夢だったんじゃないかと一日に数回は思う。
夢のような光景が目の前に広がっていたこともそう思わずにはいられなくなってしまう。
青白く輝く手、瞬間移動、閃光、魔法研究会とやらのキュー、そして、魔女を名乗る柊。
こんなにも鮮烈に覚えているというのに、何の証拠も証人もいない。
ただでさえ儚げな印象を持つ彼女と2、3年ぶりに出会い、そして別れるまで一時間もなかった。
またね、と言って消えた柊は、あれから姿を表さない。
「あれっすか。もしかして、元カノさんのこと考えていたんすかあ?」
「なっ、そんなわけないだろ!」
ライちゃんから急に元カノという言葉が出てきて、俺は変に否定してしまった。
まるで好きな人を言い当てられて拗ねる中学生みたいだと自分で言ったくせに恥ずかしい。
どうしてライちゃんがそのことを?
「ええ?怪しいっすね。手紙もらったあの日からクマ先輩様子おかしいっすもん。っていうか、まだちゃんと元カノさんのこと聞けてないんすけど!あの生真面目で女性との付き合いなんてくだらないとでも良いそうなクマ先輩を仕留めた女性がいたなんて教えてくださいよお!どんな人なんすか一体!」
「あ・・・そっか。そうだったな」
まくし立てるライちゃんの剣幕に押されながら、そういえばと思い出す。
全てはあの封筒が始まりだったな。
そういえば、あの封筒は何の意味があったんだろうか。
『手紙、ちゃんと届いたかい?』
キューと対面したあの日、確か言っていた。柊が魔法で読めるようにして初めて内容がわかったけど、俺が魔法を使えるとでも思っていたのだろうか。
『初めて見るけど、昔からやり口は変わっていないようね』
確か柊がそんなことを口にしていた気がする。気が動転していてその時は無視してしまったけれど。
あれは一体、どういう意味だったんだろう。
「先輩!クマ先輩!またボーッとしてる!」
「!、ご、ごめん。で、何の話だったか」
「はあ・・・ホント、大丈夫っすか?何があったか知らないっすけど、調子狂いますって」
白い息がライちゃんの口から大きく出てくる。どうやら心配してくれているようだ。
最近女性に情けない姿を見せることが多いな。
「今日サークル出ますかって話っすよ。試験ももうすぐで皆んな忙しくなるだろうし、クマ先輩全然顔出してくれないからたまには出てくださいっすよ」
「ああ、サークルか。そうだなあ、久しぶりに皆んなとも会いたいし行こ・・・ん?何だあそこ?」
「どうしたんすかって・・・何すか一体?めっちゃ人集まってるっすね」
十字路を曲がってサークル棟の方面へ向かおうとした矢先、正門方面の先で人だかりができているのを視認した。
数十人の学生が群がっていた。女性もちらほらと見えるが圧倒的に男性が多い。
「ちょっと見に行きましょ、クマ先輩」
ライちゃんにコートの裾を引かれてサークル棟とは別方面の正門へと歩き始める。
「是非!僕たちの放送研究会へ!今から入会でも全然歓迎します!」
「タトゥーカッコ良いね。どこで入れたの?」
「どこの大学?それともモデルさんか何か?お困りなら力になるよ!」
「おい、やめろお前達!うちの大学の品性が疑われるだろ!すみませんね。こいつらはしゃいじゃって」
「お前も鼻の下伸ばして接近しようとしてるだろ!捕らえろ!」
集団に近づくにつれ、何とも滑稽な誘い文句や怒号が聞こえてくる。
うちの学生が騒がしいのは今に始まったことではないが、一体何が起きているんだ。
話をかいつまむ限り、誰かが集団の中心にいるみたいだが・・・。
「あ、来た来た」
「・・・ん?」
ゾロゾロ・・・
ある声を合図にしたかのように、集団に変化が生じた。
モーゼの十戒を例に出すのはあまりに失礼だが、まるで海が割れるみたいに群がっている人達が人一人分が通れる道を作り出した。
その道を悠々と歩く見慣れた彼女がこちらにやってくる。
「うわ・・・綺麗・・・モデルさんっすよ絶対。・・・ん?どうしたんすか、クマ先輩」
俺の横で彼女の美貌に惚れ惚れとしているライちゃんをよそに、変な汗が出てきた。
スタスタと周りの目も気にせず一直線に歩いて・・・俺の目の前で止まった。
「待ってたよ、ハルカ」
この一週間俺を悩ましていた元凶が無表情で俺を見つめていた。
ポカン、っとライちゃんが口を隣であんぐりと開けていた。
年
「ひ、柊?ど、どうしてここに」
一週間前と変わらない、季節外れの薄着を身に纏っていた。
頃の学生諸君はその肌の露出に興奮冷めやまない様子だったが、
俺の存在を認めるとあんぐりとライちゃん同様に開けていた。
肩にありありと見えるタトゥーがどうしてか胸を締め付ける。
こんな形でまた再会するとは思ってもおらず、俺は言葉が出てこなかった。
「これから時間あるかな?急で申し訳ないんだけれど」
「じ、時間?いや、この後はサークルが・・・」
「どうぞどうぞ連れて行って下さい!クマ先輩何断ろうとしてるんすかどう見ても断って良い雰囲気じゃないでしょう!」
先ほどまで静止していたライちゃんが早口でグイグイと俺を押す。一体どうしたんだ急に。
「貴女は・・・いえ、ありがとう。少し歩くから、行こっか」
「行くって・・・あ、ちょっと!」
まだ状況が飲み込めていないでいると柊が手を握ってきた。冷たく細い手に引っ張られ、ポカンとしている集団をよそに正門を出る。
再会は喜ばしかったが、相も変わらず何が何だかわからず振り回されるばかりだ。
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「め、めっちゃくちゃ綺麗な人だったあ・・・。あれ、ケンジ先輩!今の見たっすか!?クマ先輩が謎の美人と・・・ケンジ先輩?」
「今のは・・・東堂柊?どうしてあいつが・・・」
「え、ケンジ先輩も知り合いなんすか?」
「知り合いってほどではないが・・・どうしてまたクマの前に現れたんだ」
「あんまり、良い人じゃないんすか?」
「あいつは・・・クマに大きな傷を残した、悪魔のような女だ」
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