第2話 再会

『メトロ霊山線切幡行き最終列車間も無く発車致します。閉まる扉にご注意ください』


誰も乗っていない車両の扉が聞き慣れた音を立てて閉まる。

地下鉄のホームに降り立ち、後に残されたのは見渡しても俺一人。

電車が暗闇の中へ消えていき、シンと静まり返ったホームを一人歩き出す。

地下とは言え空気は冷たい。ポケットに手を突っ込まないと乗り切れない寒さだ。


終電に間に合ってよかった。時給は良いけど夜遅くまで作業が続くバイトは身体の負担がとても大きくてヘロヘロだ。明日は幸いにも何も予定のない土曜日のため一日中寝っ転がっていよう。


『昔の記憶を思い出させたみたいで・・・悪かったな・・・』


変に数時間前のケンジの謝罪の言葉が頭の中で反芻する。

大学に入って元カノの話をケンジとするなんて思ってもいなかった。

俺も、ケンジもその話題に触れようとしなかったからだ。


俺は何も気にしていない、なんてケンジに言ったくせに、今もこうしてずっと彼女のことを考えている。

今まで封じ込めていた記憶が呼び起こされて、脳内を支配しているみたいだ。


・・・元気でやっているだろうか。


・・・考えるな。考えたところで関係ないんだから。


無人の地下道を歩く。

家の最寄駅で毎日のように使用すると言うのに地下道が俺はあまり得意ではない。

薄暗いトンネルみたいな道は誰もいない妙な孤独感、そして延々と同じ道を歩き続ける錯覚に陥る謎の恐怖感を掻き立たせる。

特にホラー映画を見た次の日に歩こうものなら、水滴が落ちる音にさえ肩を上げて反応してしまう。その後の虚しさったら無い。

何も起きるはずなんてないのに。日常の一風景にすぎないのに。



イヤホンをして音楽で気を紛らわすのが最適解かもしれないが、生憎と今日に限って忘れてしまった。

地下鉄の反響音も終電を過ぎて聞こえはしない。バカみたいに反響する自分の靴音のみ聞き続けるしかない。


ただ、そんな今日も昼時の話のせいで変な妄想を掻き立てる暇がなかった。


思春期の男子じゃあるまいし、別れた彼女のことをいつまで引きずってるんだ俺は。

彼女と最後に会ったのは3年前の今くらい。

それなのに、少し話題に上がったくらいでそれ以降どれだけエネルギーを割いているんだ。

・・・もう3年も経つのか。いや、まだ3年か。

色褪せないな、彼女の眩しさは。

・・・また感慨深げに思い出そうとしてしまった。

もう済んだ話、終わった話だというのに、一度彼女のことを考えたら忘れようとしても忘れられない。

こういうのを、女々しいというのかもしれないな。


「・・・」


何か、何か別の話題を考えよう。このままじゃ堂々巡りだ。

確か、今日は不思議な出来事があったはず・・・。



「手紙、読んでくれたかい?」



そうだ、手紙だ。俺宛の差出人不明の手紙。ご丁寧に封筒にまで入れてくれて。

そのくせして何も書かれていない。一応リュックに入れてはいるが、帰ったらどうしようかな。


「・・・え?」


ハスキーな声が、狭い地下道に反響していた。

目の前に長い金髪の男が数メートル先に佇んでいるのに、俺はようやく気が付いた。

見るからに純日本人じゃない。ヨーロッパ圏の顔の骨格をしている。

距離からして10mほどだろうか。

サングラスをかけていてもわかる。男は俺を品定めするように見ていると。

咄嗟に、その場に停止した。


「・・・あれ?日本語間違ってるかな?日本語を話すのは10年ぶりだからなあ」


表情も手の動作もオーバーに行う男はとても不気味に思えた。


「いや、そうじゃなくて、どうして、手紙のことを・・・」


「おお!日本語通じてるね!良かった良かったあ!レイモンドに呆れられちまう」


サングラスを外し、愉快そうに男は笑う。

紅い目をしていた。眩しいくらいに金色の髪と、見たことのない美しい瞳は人間じゃないみたいだと思った。

そして、俺は男の目を見て息が止まりそうになった。

その目は品定めをするような目なんかじゃなかった。俺を見ているようで俺を見ていない。


ただただ・・・怖かった。


「・・・」


一歩、二歩と後退していく。自然と、男から距離を取ろうと体が動いていた。

このままではヤバいと本能的に感じているのだ。


「まあまあそんな怖がらないで!ちょっと協力してもらいたいことがあるだけだからさあ!」


後退した距離を大股で一瞬で詰め寄られる。飲屋街のキャッチのように軽薄に誘っているのに、俺を逃すことはしないという気迫が感じられた。


ガシッ


「・・・っ!」


声にならない声が出てしまった。

いきなり男は俺の左手を掴んできたのだ。


「ちょ、な、何をしてるんですか!」


「左手じゃないか・・・とすると右手かな?」


乱暴に左手を振り下ろされ、今度は右手を持ち上げられる。


「け、警察を呼びます!離してください!」


トンネルに俺の抵抗する声が反響する。

心臓の高鳴りが嫌でも感じてしまう。

意味のわからない現状を受け入れることができず、とにかく目の前の男から離れたいという一心で男の腕を左手で引き剥がそうとする。


「んー、お、右手にあったか!・・・へえ、なるほど」


男の腕は細く、筋肉質のようには見えない。なのに、どれだけ力を振り絞っても男の腕から右手が解放されることはなかった。

ブツブツと、俺の腕を見て何か言っている。


こいつ、ヤク中か?

とんでもない奴に絡まれてしまった。

相手のされるがままに訳のわからないことを呟かれて、夢なら覚めて欲しい。


状況が一変した、一変してしまったのは、男の一言からだった。


「それじゃ、その腕に隠された力、露わにしなきゃな?」


男の手が、青白く光りだした。


「・・・は?何を言って・・・ったあああああああああ」


何だ?なんだ何だナンダ何だ!?

痛い痛い痛い痛い!


「・・・・!!!!」


声を出せぬほどの激痛。

右腕に走った痛みは経験したことのない感覚だった。

燃やされる。刻まれる。切られる。撃たれる。打たれる。

どれも経験したことはないが、きっとその痛みを凌駕する痛覚。


そして、この男の手・・・見間違え何かではない。本当に光っている!


「にしても、君みたいな青年が力の持ち主なんてねえ・・・。上手く人間社会に溶け込んでたもんだ!数十年誰も君の力に気づかなかったなんてよっぽどだ。なのに、ここで急に周囲に見せつけるみたいに君が力を解放するもんだから、うちのお偉いさん達も焦ってて、それがもう面白くて面白くて!」


「・・ぁ、・・・ぇ」


何を・・・言ってる。何の話をしているんだ?

嗚咽のような声を吐き出しながら目の前の男のことを必死に考えようと脳が回転していた。

だが、日本語を話していると言うのに、男の言っていることが一つも理解できない。

力?そんなもの持っていない。解放するような大層なものもない。


今持てる力の全てを持ってしても、目の前の男はピクリとも動かない。


「まあまあ!慌てないで!詳しくうちの本部で色々聞かせてもらう前に、君の力を俺に見せてくれよ。第一発見者の特権だ!」


目の前が白く霞んできた。

青白い光だけが目に映る。

冷や汗がしたたり落ちる。

何もすることができない。

力が抜けていく。

俺の中の何かが、終わっていく。


ドクンっ


いや、俺の中の何、かが・・・溢れ、て、くる。


『・・・げなさい』


「・・・え?」


『今すぐそこから逃げなさい。地上まで走るの』


突如聞こえた女性の声で、意識が戻ってきた。


男の方を見やる。さっきから薄気味悪い笑みを浮かべているだけだ。

この男からじゃない。そして男には聞こえていない。


俺の頭に響いているんだ。


突然の出来事に新たな突然の出来事が舞い降りて頭がショートしそうになるが、

何だか、妙に懐かしい声だった。


そうだ。逃げないと!


「・・・ああああ!」


「!、まだ意識が・・・!いいねえ!」


油断していたのか、振り絞った力で強引に抜け出すことができた!


駅員さんがいる改札まで行って助けを乞うより、地上へ出た方が圧倒的に早い。

ここから男がいる方へまっすぐ100mほど突っ切り、延々に続くような地上階段を上り切れれば出口だ。


訳がわからないが、突如響いた言葉に従うのが一番だと思った。

体の硬直が溶けて、俺は正面に向かって全速力で走り出した。


「おっと、やっぱ逃げるかい!いいね、そうでないと!」


男自身は俺を捕まえようとはせず、先ほどと同じように笑っていた。

男の声に気にする余裕もなく、地上階段めがけて突っ走る。


捕まったら絶対に良くない展開が待ち受けている!

全力で走ってるつもりの足をさらに前へ前へと出していく。


恐怖と緊張と100mの全力疾走で息は絶え絶えで、視界もうっすらとなってきたが、

それでも足を止めるわけにはいかなかった。

あの男にまた捕まって、その後どうなってしまうのかを考える方がよっぽど怖かったからだ。

それに・・・さっき頭に響いた声に従えば、どうにかなるんじゃないかと思ってしまった。


地上へのエスカレーター、エレベーターはもう動いていない。

スポーツ選手でも足に響くような急な階段を二段飛ばしで駆け上がる。


後ろは振り向かなかった。振り向けなかった。

振り向いた瞬間、ヤツがいたら多分足が止まるだろうから。


もう少し・・・もう少しだ。


「残念、ハルカクマダニ。御終いだ」


「・・・え・・・」


すぐ後ろで、金髪の男の声が聞こえた。

思わず、後ろを振り向く。


そこには平然とした顔で笑う男がいた。

深淵というものを見たことがないけれど、そう言うしかないくらいに底が知れない笑顔を見て、俺は再び固まってしまった。


男はいつでも俺を捕まえられた。

俺を逃すつもりなんてなかったんだ。


地上まで後数段上がれば、と言うところだったのに。


「大人しくしてもらうよ。なあに!目が覚めた頃には俺らの本部に着いてる頃さ!だから今は眠っといてくれ」


男の言っていることは最後までわからなかった。

ただ、俺の日常が全部消えることはわかった。


男の言う通り、終わりだ。



「いいえ。終わるのは貴方よ、キュー」


「!」


眩い閃光が辺りを覆った。

あまりに眩しくて、俺も目を覆わざるを得なかった。


シュウウウウウ


聞いたことのない、何かが蒸発するような音。


「まさか地下道全体を結界にするなんて思わなかったけれど、出口付近まで来てもらえば問題ないわ」


さっきの女性の声だった。

どこか懐かしい、だけどもう聞くことはないだろう声。


「へえ、俺の名前も随分知れ渡ってきてるようだな、魔女よ」


金髪の男、キューが余裕気な声で地上出口に立つ女性に話しかける。


魔女・・・本や映画でしか聞かない言葉。

數十分前までの俺に聞かせてやりたい。ファンタジーの世界にいつの間にか来てしまったらしいと。


ただ、そんな俺にとってトンチンカンな言葉は、階段を段々と降りてきて、はっきりとわかり始めた彼女の顔でかき消された。


あの日と変わらない、いや、あの日よりも綺麗になったその姿。


「久しぶりね、ハルカ。私はハルカに会いたかったけど、ハルカは私に会いたくなかったよね」


「・・・どうして」


この日何度目かの疑問符が頭に浮かぶ。


あの日、別れた時と変わらない綺麗な髪。

東堂柊とうどうひいらぎ


元カノが、そこにいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る