元カノが魔女だった話
沢野沢
第1話 3年
「これでさよならだな」
俺の口から出たのにまるで自分の言葉じゃないみたいだった。
はっきりと口に出したはずのなのに、白い息と共に目の前で一瞬で消えてしまって届いていないんじゃないかと思った。
「・・・そう」
だけど、彼女にはちゃんと届いた様だ。届いてしまった様だ。
そんな時でも彼女の表情は崩れることはなかった。
心の中で、俺は・・・ホッとした気がした。
「手、出して」
彼女は右手をこちらに伸ばす。学校指定カーティガンの袖口から雪のように白く細い手が伸びていた。
彼女の意図を悟った俺は、同じように手を伸ばし、手を結んだ。
「さようなら、___ 。いつまでも・・・元気で」
「・・・ああ。さようなら、___ 」
確かに感じる暖かな温もり。
手を繋ぐことは、俺と彼女にとってとても自然なであり、特別なことだった。
ただ、別れの挨拶として手を繋ぐことは初めてだった。
例年に比べ温かったからか桜が3月初旬だというのに咲いた。だが、その日は打って変わって例年通りの寒さで俺は彼女の白い吐息を見ていた。
「・・・」
彼女は踵を返した。もう用は済んだとでも言いたげな背は、いつもと変わらない様に思えた。
最後の最後まで、俺は彼女が何を考えているのかわからなかった。
そして最後まで、彼女を美しいと思った。
わずか数メートルの彼女との距離が今断絶した。数歩行けば目の前にいるのに、もう近づくことはないだろう。
・・・いや、元々彼女と俺は近くはなかったのかもしれない。勝手に俺が近づいていたつもりだった。
頬を突き刺す様な冷たい風が、彼女の真っすぐで綺麗な黒髪を靡かせる。どんな瞬間だって、彼女は絵になるな、なんて考えてしまった。
もう、一生そんなことは考えることはないんだろうなともこの時思った。
遠くへ遠くへと彼女は消えて行く。
俺と彼女の、どこにでもあるありふれた別れ話は、ここで終わった。
______________
「見つけたぞ」
「・・・ん、うん?」
重い瞼をなんとか開けてあたりを見渡す。
空席を開けられないほどに大学生で溢れていた大講義室は数える程の人数しかいなかった。
その数人さえ、荷物をいそいそと持って退出しようとしている。
「し、しまった。俺、いつの間にか寝ていて・・・」
暖房の良く聞いた部屋だったからだろうか、スヤスヤと寝落ちして、夢を見た。
夢特有の荒唐無稽なものではない。何か、一つのエピソードを体験した。
もう何の夢かは思い出せない。
ただ、あまり思い出すべきではないかもしれない。
かすかに胸に残るのは、何だか懐かしいということと、何だか悲しいという感情。
きっとあまり良い夢ではなかったんだ。
思い出そうとするだけ良いことはない。
「それよりも・・・」
さっき、誰か俺の耳元で声をかけたやつがいた気がしたが、気のせいだろうか。
男か女かもものの数秒前だというのに忘れてしまった。
そいつの声でようやく目を覚ましたんだが、左右を見ても誰もいない。
「・・・って、ケンジのやつ、どこいったんだ。寝てる俺を起こさずにどっか行きやがったか」
寝落ちする寸前までの記憶を呼び起こす。
金曜2限のこの講義は友人のケンジと受けている。いつもなら講義終わりにそのまま一緒に食堂に行くのだが、置いて行ったな、あいつ。
いつもはケンジが居眠りをかまして、授業終わりに講義内容を教えろと懇願してくるくせに。
一つため息をついた後、足元に置いていたリュックを掴む。この講義室にずっといても仕方がない。食堂か、あるいは図書室にでも行こう。ケンジはもしかしたら彼女の元にでも行って既に昼食にありついているかもしれないし。
全く、一声かけてくれれば良いのにと、未だケンジへの悪態が止まらないまま荷物の準備をしていると、あるものに目がとまった。
「・・・?何だこれ?」
今回の講義で一切使用することのなかったノートパソコンとレジュメの間に、一切の汚れのない真っ白な封筒が挟まっていた。
レターサイズの、中に便箋が入っているだろうとてもシンプルな封筒だったが、紙質からしてとても高級なものだった。
講義の始まる前にはこんなものはなかった。それは確かに覚えている。
開封が手付かずであることを示すスタンプみたいなものがご丁寧に押されている。
初めて見た。
「・・・は、る、か、く、ま、だ、に」
紙の端に黒く書かれていた文字のようなものが筆記体で、ローマ字で名前が書かれているのに気づくのに数秒かかった。そして驚いた。
「・・・俺の名前だ」
なぜ?いつ?誰が?
頭がこんがらがっているのは、寝起きという理由だけではない。
間違いなく俺宛の手紙。だけど何の心当たりもない。
もう一度読み返しても俺の名前がローマ字表記で書かれている。
ただ、自分への手紙にしては俺がこの手紙を受け取るのは何だか身分不相応な感じがしてならない。
洋画やファンタジーの世界でしか見たことがない封筒にただ戸惑うしかなかった。
「・・・」
考えても仕方ないから丁寧にスタンプみたいなものを剥がす。
中身は・・・やはりと言うべきか、便箋が一枚入っていた。
「・・・何だ、これは」
「おーい!クマ!・・・って、流石に起きてたか!飯行くぞ!」
手紙の内容に呆然としていると、馬鹿でかい声を発する友人が近づいてきた。
就活のために染め直した、とありありとわかるような黒髪は茶髪だった頃のケンジのイメージが強すぎて未だに慣れない。
「ケンジ。どこに行ってたんだ」
「お前を起こそうとしたらミサキ達から電話がかかってきてな。そろそろ来るはず・・・お、来た来た」
「熊谷くん、ヤッホー!うわ、この講義室あったかいねえ!」
「クマ先輩、今まで寝てたんすか?額が真っ赤っすよ」
騒がしいのがさらにもう二人来た。
ケンジの彼女ミサキさんと、後輩のライちゃんだ。
黒緑の長い髪をなびかせるミサキさんと、大学デビューしましたと言わんばかりの鮮やかな金髪を跳ねさせているライちゃんは見てるだけで眩しく感じた。
「ああ、クマのやつ珍しく講義中の寝やがってな!」
「へー、本当に珍しいね!熊谷くん真面目なのに」
「確かにあの恐ろしいほどに生真面目なクマ先輩が・・・って、そんなことより早く食堂いきましょうよお!私お腹空きましたあ!」
甲高い声が大講義室に反響する。こんな距離なのにわざわざ大声を出さんでも良いのに。耳が遠いと思われているのだろうか。
「・・・ん?クマ、こんな封筒さっきまで持ってたか?」
ケンジが机の上に置いてあった封筒を指摘する。俺がケンジの立場でも、こんな場違いな高級そうな封筒が友人のそばにあれば聞かざるを得ないだろう。
「ん?うわ、シーリングスタンプだ!私久しぶりに見た。日本だと結婚式の招待状とかでしか見かけないよこんなの。あるいは・・・特別な人に渡すものとか!」
「え!ミサキ、それって・・・!」
「え、クマ先輩誰かからもらったんですか?もしかしてラブレターとかですか!?」
俺と対面してから1分も経っていないのにミサキさんとケンジは二人して封筒に興味津々だし、ライちゃんは手紙の内容を問い質そうとしてくるし、騒がしいったらありはしなかった。
「・・・そんなんじゃない。何なら、これがどう言う意味を持つのか教えて欲しいくらいだ。ほら、見てみてくれ」
封筒の中に入っていた便箋を騒がしい3人全員に見えるように前に広げた。
「「「・・・何も書いてない」」」
「そう。俺の名前だけは書かれていたから俺宛なのは確かだが。・・・もしかして、ケンジ達のいたずらか?」
疑いの視線をケンジ達に向けるが、3人はポカンとしていた。
「俺ら?いや、知らねえよこんな手紙。いたずらにしては意味もわからなすぎるし」
ケンジに続いてミサキさんとライちゃんも右に同じと言うように首を縦にふる。
嘘かどうかの判断はつかないが、まあ、こんなこといたずらとしてやっても何も面白くないし、違うか、と考えた。
「名前・・・ハルカクマダニ・・・。え、熊谷くん、ハルカって名前だったんだ!」
封筒をじっと見ていたミサキさんがびっくりしたような声で俺を見やる。
「私も初めて知ったっす!ハルカ・・・女性みたいな名前だったんすね!へえ!へえ!」
「皆んな熊谷くんのこと苗字かクマって呼ぶもんね。でも、ハルカって、すごい可愛い名前!」
そんなに俺の名前が珍しいのか、女性陣はきゃっきゃとはしゃいでいる。誰かの名前でここまで盛り上がれるなんて、幸せだろうなと心から思う。
「俺もすっかり忘れてたわ。高校の時から皆んなお前のこと・・・あ・・・」
何か思い出したように、ケンジは口を噤む。
やってしまった、と言わんばかりの表情をしていた。
「ん?ケンジ先輩、最後の『あ』は何の『あ』っすか?」
鋭いライちゃんはケンジの言葉を見逃さなかった。
「いやあ、そのお・・・」
「・・・なあんか、隠してるっすね」
「そ、そんなことはないけど・・・よ」
ちらっ、ちらっとケンジはこっちに目線を送ってくる。
なぜ俺に視線を送るのだろうか。一瞬、わけがわからなかった。
「もしかして、誰かだけ、熊谷くんのことを『ハルカ』って呼んだ人がいたの?」
ミサキさんがケンジに詰め寄る。
「お、親だよ!く、クマの親!家族だったら、呼ぶだろうなって思って・・・」
「そうなの?熊谷くん」
「そうなんすか?クマ先輩」
二人の視線が今度はこちらに飛んできた。
「あ・・・」
そうか、思い出した。思い出してしまった。
ここ最近は大丈夫だったのに。
ケンジより先に気づくべきはずの本人が、ようやくわかった。
繋がるように・・・さっきまで見ていた夢も思い出した。
『さようなら、ハルカ』
人生で、親以外で俺の名前を呼んだのは、ただ一人しかいない。
「・・・カノだ」
「え?」
「唯一ハルカって呼んでいたのは、俺の元カノだよ。」
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