「かつて新教と旧教が対立した時、最前線に立つことになったある女信徒の最期の一幕」

龍宝

『信仰の誉れ』




 荒々しい音を立てて、礼拝堂の門が開け放たれた。


 まさに礼拝の真っ最中だった信徒たちを掻き分けて、武装した一団が最奥部の説教台を目指して進む。


 壇上には、白を基調とした聖衣に身を包んだ、一人の女が立っていた。




「——ダリア・エスポスティだな」




 先頭の男が、手にした長剣を突き付けて言った。


 その場が、静寂に包まれる。


 つい先ほどまで鳴り響いていた重厚なパイプオルガンの音色も、りすぐりの信徒からなる聖歌隊の透き通るような歌声も、ぱたりと止んでしまっている。


 いきなりの闖入ちんにゅう者にざわめいていた信徒たちは、息を呑んで壇上の金髪で見目麗しい女——ダリアの返答を見守っていた。


 ややあって、ダリアは一同の視線を受けたまま、手元の大判な聖典を閉じた。




「私が、ダリア・エスポスティです」




 どこからか、嘆きのような声が上がった。




「お前には、魔女の嫌疑が掛かっている。ジンブルクでの裁判に出頭するように、と司教と市長が仰せだ。我々は、お前を連行せよ、と命を受けている」


「私は、魔女ではありません」


「何を。これは、妖しい集会の現場ではないか。言い逃れなどできるものか」


「あなた方の信じる神に、祈りを捧げる場です。決して、邪教などではありません」




 落ち着いた調子で釈明を続けるダリアに、男がもういいと遮った。




「邪教でなくとも、異端の者の言葉など、聞く耳を持たん。違うというなら、裁判の中で釈明してみるのだな」


「名も知らぬ隊長よ。あなたは今日の行いを後悔する日が必ず訪れるでしょう。……ですが、私はあなたのために祈ります。我らの主が、あなたの過ちをお許しになるように」


「黙れッ! 魔女になぞ祈られたくはない! ——連れ出せ‼」




 隊長の合図で、後ろに控えていた兵たちがハルバードでおりを作るように、ダリアの周りを囲んだ。


 方々で、エスポスティ様、と声が上がる。


 どよめきが、礼拝堂に満ちた。


 追いすがろうとした幾人かの信徒を、隊長が長剣を頭上で振り回して威嚇する。


 武装した兵が相手とはいえ、頭数の多寡は明らかだった。


 いよいよ信徒たちが衆を頼んで強行しようとした瞬間、ダリアが言った。




「やめなさい。もういいのです」


「ですが――」


「この者らは、まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私を捕えに来ました。ですが、私が何らの罪を犯さず、主の仰せの通りに清い身でいることは、あなた方の知る通りです。どうして、私が強盗だなどと言えるでしょうか」




 それで、信徒たちは足を止めた。


 隊長や兵たちが、そうと悟られない程度に、安堵の息を吐く。




「——エスポスティ様。何か、我々に言葉をいただけませんか」




 礼拝堂を出たダリアの背に、門まで追ってきていた信徒の一人が声を掛けた。


 鬱陶しそうにしている隊長に構わず、ダリアは振り返って言った。




「聞きなさい。私たちの神である主は、唯一の主です。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなた方の神である主を愛しなさい。それから、隣人を自分のように愛しなさい。はっきり言っておきます。この二つが、あなた方にとって何よりの信仰なのです」




 連行されていくダリアに、声を掛けた信徒が泣き崩れた。


 ほかの者も、こらえ切れずに嗚咽おえつを漏らしている。


 日が暮れて夜になっても、礼拝堂に信徒たちの嘆きの声が止むことはなかった。








 広場に設けられた裁判所の中央に、ダリアは立っていた。


 正面に、司教や市長、判事の座る席があり、四方を見物に来た町の住民に囲まれている。




「——ダリア・エスポスティ。当審問所は、以上の証明から、あなたを異端と見さざるを得ない」




 判事の一人が、手元の紙に眼を落しながら、高らかに告げた。


 連行を命じられた隊長が言っていた「魔女」の嫌疑は、開廷から散々に繰り返された問答によって、如何にダリアが教義に精通しているかを証明するだけの結果に終わっていた。


 民衆の期待した魔女裁判は、すでに異端審問の場に変わっている。




「よって、審問官ボニファティウス・ベルツの名において、ダリア・エスポスティを死刑に処する」




 周囲の民衆からどよめきが上がる。


 都市の外から来た女が魔女でなかったとしても、いざ死刑になるとなれば、俗な民衆にとってはそう大差ないものなのだろう。




「……何か、言い残すことはあるかね」




 一同を制するように、司教が言った。


 この期に及んで、ダリアに物申す機会を与えるというからには、おそらく正統な信仰に戻るならここが分水嶺であると、暗に示しているに違いなかった。




「私の主への信仰に、恥じるものなど何一つありません」



「何度言えば分かるのかね。問題は、そこではないのだ。君が聖典の写しを作り、教会のあずかり知らぬ礼拝堂などを建て、信徒らに教えを説いていることがけしからんと言っているのだよ。聖職者でもない、ただの女である君が、だ」




 判事の一人が、いら立たしげに繰り返した。


 この男にしても、人が死ぬところを見るのは本意ではないらしい。




「——けしからぬ、というのであれば、教会が信仰を統制しようとしている現状の方でありましょう。聖典にあるように、同じ信仰を持つ隣人同士に、社会的な身分以上の差はないはずです。それなのに、あなた方は主から特権を授かったかのように――ひどい者は、主の代弁者のようにふるまっている。これをおかしいと思わずに、いったい何を疑えとおっしゃるのですか」




 ざわめきが、一層激しくなった。


 名指しで批判の矢面に立たされた聖職者たちは、ある者は怒りに顔を赤らめ、ある者は呆れ嘆くように額を押さえている。




「信仰の下に、すべての民は平等なはずです。それでも、聖典に書かれた主の御言葉を、人の子がじ曲げようとするのであれば、私は異端の罪状も甘んじて受け入れましょう。あなた方の言う正統な信仰にこうべを垂れるよりは、主の従順なしもべとして、我が主からの死をたまわって御許みもとに携挙される栄誉を選びます」



「これ以上、その異端の女を喋らせるな……‼」




 裁判所に配置されていた兵たちが、ダリアの周囲に駆け寄ってくる。


 この地域における審問会での死刑といえば、絞首刑である。


 異端の烙印をされた者を吊るすべく、ハルバードを手に手に殺到する兵たちを見回して、ダリアは声高に続けた。




「信仰は、人の子の聖職者によって左右されるような軽いものではありません。ただ聖典のみを信じ、民の一人ひとりが、己の心の中に主を受け入れることこそが正しい信仰の在り方なのです」



「黙れ! うぬぼれた女めが! 信徒が個人で主とつながれると言うならば、まずは自分が救われるよう祈りを捧げてみろ!」




 方々から、石と罵りの言葉が飛んだ。


 拘束されたダリアが、絞首台に移される。


 興奮した民衆と審問官たちを正面に、ダリアは一通り祈りを済ませてから、一同を見渡して言った。




「はっきり言っておきます。あなた方は、必ず主の御業みわざによって報いを受けるでしょう。私だけでなく、幾人もの善良な正しい信徒を虐げるあなた方は、天の国に挙げられることはない」



「刑を執行せよ……!」






「——私と、私の写した聖典を読む者、そして私の仲間たちが、あなた方の前に幾度も立ちふさがりましょう。ただ主の御言葉を守るつるぎとなって」






 ガタンッ、と足場が外される。


 首の骨が折れるまでのひと刹那、ダリアが主を賛美する一節を叫んだ。


 その直後、にわかに空が暗闇に包まれて、一条の落雷が市庁舎の垂れ幕を引き裂いた。


 人々の驚くまいことか。


 敬虔な信徒、ダリア・エスポスティの壮絶な死に様はうわさになり、瞬く間に各地を駆け巡った。








 その後、三十年にもわたる戦争の結果のことである。


 正統とうたわれた聖職者たちを庇護していた王国は、ダリアたちが唱えた新たな信仰の形——聖典主義ともいわれる新派を信じる集団と、それを受け入れた周辺国の聖戦と称した侵略を受けて滅亡するに至った。


 かくて、理論的に整理された聖典主義は各国の国教と成り代わったのだ。


 悲劇の殉職者、ダリア・エスポスティは、後世に信仰の守護者として人々の記憶に長く残ることになる。




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「かつて新教と旧教が対立した時、最前線に立つことになったある女信徒の最期の一幕」 龍宝 @longbao

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