25話 瀬戸際


「リリ……必ず俺がなんとかするから。今は上手くいくことだけ考えろ……」


「あ、あいよっ……! あたし、フォードなら絶対やってくれるって、そう信じてるからねっ……!」


「……」


 心配をかけまいとしてるのか、怖いだろうに笑顔を覗かせるリリの姿を見て、俺は胸が締め付けられるような思いだった。こんなに近くにいるのに、これだけ彼女の存在が遠くに感じることになるなんてな……。


 この邸宅へ向かうとき、リリの存在の大きさについて考えることがあって、やたらとしんみりとした気分になったんだが、あれは今思えば胸騒ぎの一種だったのかもしれない。


「猶予をやるだけありがたく思え、フォードとやら。私とお前たちの立場の違いというものを考えれば、このような目に遭わされただけでも万死に値するのだからな……」


「はあ……」


 なんとも傲慢かつ時代錯誤な言い分に、俺は呆れるしかなかった。スキルというものが洗礼の儀式によって万民に与えられるようになって以降、身分の差など能力次第でいつでもひっくり返せる時代になったというのに……。


「おい、何か文句があるのか……!?」


「いや、別に何もない……」


 なんせ人質が危険にさらされてるような状況だし、あまり彼らを刺激しないほうが得策だろう。


「それで、猶予とやらはどれくらい貰えるんだ……?」


「父上が亡くなるまでだ。それまでお前たちはここに残ることとなり、もし助けられなかった場合は、まずお前の目の前でこの子供を殺し、次にお前を兵士に引き渡した上、拷問後に公開処刑という形を取らせてもらう。と一緒にな……」


「……」


 本当に、アッシュたちは余計なことをしてくれたものだ。おそらくは、パーティー内で軍師的な扱いだったハロウドの入れ知恵があったんだろうが……。


 とにかく、この状況では何を言ったところで焼け石に水だ。マダランとかいう爺さんの状態を元に戻すしかない。


 そういうわけで、俺は患者のいるベッドのほうに再び目をやったわけだが、もういつ事切れてもおかしくない程度には衰弱している様子だった。


 この爺さん――マダラン――は、体が怠いってことでそれをなんとかしたくてアッシュたちのなんでも解決屋を訪れたわけだが、それを改善する手段としてハロウドが選んだのが【大興奮】というスキルだったはず。


 つまり、それによって体が元気になったように見えて、興奮状態のまま生活することで異変が起き、こうして寝たきり状態にまでなってしまったわけだ。


 これはまさに、その場凌ぎのいい加減な治療が原因ってことで許しがたい行為だが、今はそれについてとやかく考えてる場合じゃない。早くなんとかしないと……。


 一見、静かに見えてこの【大興奮】による興奮状態は今も続いているはずで、まずそれをいかにして抑えとどめていくかが重要になってくるように思う。もちろん、抑える術はもう知っている。


【降焼石】【目から蛇】【宙文字】【希薄】【視野拡大】【正直】【輝く耳】【声量】【歩き屋】【後ろ向き】


 これらの所持スキル群の中には、どこにも興奮状態を抑えるようなスキルなんて存在しないように見えるが、【分解】スキルがあれば話は別だ。


 まず、【宙文字】と【声量】を解体して組み合わせると【弾む声】になる。これは声がでかくなるだけじゃなく、跳ねるように活き活きとしたものになるっていう効果だ。吟遊詩人とかに向いているスキルだろう。


 これだけでは爺さんの興奮状態を治すのに役立ちそうにないと思われるだろうが、これと【降焼石】を壊してくっつけるとどうなるか。声が弾み、燃える……すなわち、声の方向性が興奮状態へとさらに近付くわけで、やはり【怒号】という、興奮したような荒れた大声をいつでも気軽に出せるスキルに変化するんだ。


 これと【正直】を崩して合わせても【声量】に戻ってしまう。興奮を鎮める、という効果のスキルを作るには焼け石に水ではダメで、氷水をぶっかけるくらいじゃないと成立しないということだ。


 そこで【怒号】と【後ろ向き】を【分解】して組み合わせると、【鎮静】という興奮状態を鎮める効果のスキルになるって寸法だ。ほかにも色々と試したが、これ以上適したものは見当たらなかった。


 こういう風に事前に作り方はわかっていたので、三秒もかからずに完成させて爺さんの眠るベッドへと近付いていく。スキルは基本的に距離があればあるほど弱まる仕様であり、ある程度近付かないとはっきりとした効果を期待できないからだ。


「――おいっ、それ以上マダラン様に近寄るなっ、若造めがっ!」


「えっ……」


 白髪頭の男に素早く回り込まれ、前を塞がれてしまった。


「わしはな、ご子息様から、マダラン様の主治医を任されておるのだ! 貴様如きがでしゃばるなっ!」


「そ、そんな――」


「――主治医っ! お前のほうこそ何もできなかった癖にでしゃばるな! お前は脈だけ測っていればよい!」


「ご子息様っ! 畏れながら……もう、マダラン様はご臨終へと近づいておりますゆえ……」


「な、何っ……!?」


「わしは主治医としてあらゆる手を尽くしましたが、それがダメであった以上、どのような治療も通用するはずもなく、そのような卑しい男に任せるなど、言語道断。早く人質を処刑するべきかと……」


 な、なんてことを言うんだ、この主治医の男は。あれか、俺に治されたら立場がなくなるから邪魔してやろうって魂胆なのか……。


「……ち……畜生……ちっくしょおおおおぉっ……!」


 子息が狂ったように叫び、壁を叩く音が響き渡る。


「あんなに元気だった父上が、最近になって体が怠いなどと言い出して……そのときに私がもっと気にかけていれば……そうしていれば、このような愚劣極まるなんでも解決屋なんぞに騙されることもなかっただろうに……!」


「ご子息様、いかがいたしましょうか。主治医の仰る通り、マダラン様があの様子では、もうこの子供を処刑してしまってもいいのでは……?」


 リリの首筋にナイフを当てている男がそう発言したことで、緊張感が一層高まっていく。


「……フォ、フォードォ……」


「……リリ、大丈夫、大丈夫だから……」


 俺はリリに向かって何度もそう言って安心させてやる。まもなく、マダランの息子が真っ赤な顔で振り返ってきて、心臓が破裂するんじゃないかと思うが、俺は平静を装った。


「まだ、まだだ。まだ間に合う……」


「……お、お前……主治医の言葉が聞こえなかったのか?」


「絶対に治せるから……」


「……本当に治せるんだろうな?」


「あ、あぁ、俺はその手段を持っている。だから頼む、俺に任せてくれ……」


「ふん。大した自信だな……。もう人質を殺してしまえと言いたいところだが、父上が亡くなった瞬間を見届けてからでも遅くはあるまい。よし、主治医、治療はこの男に任せるのだ!」


「え、えぇぇっ……!?」


「……」


 主治医が任を解かれて目を丸くしている。よしよし、なんとか子息にわかってもらえたみたいだし、これでもう大丈夫だとは思う。


 100%シミュレーション通りになるとは限らないとはいえ、この【鎮静】スキル以上に【大興奮】を治療するのに適したものはないはず。一刻も早くマダランを元の状態に戻し、人質に取られているリリを助け出さなくては……。

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