No.42:バレンタインデー


 …

 ……

 ………



 あれ?

 何か鳴ってる。


 真っ暗な部屋の中で、僕はベッドから頭を起こす。

 ベッドサイドテーブルのスマホが光っている。

 長い呼び出し音。

 音声通話だ。


 誰だろ?こんな真夜中に。

 画面を見ると、「咲楽さん」と出ている。

 時刻の表示は01:53。


 咲楽さんとは、前にLimeの連絡先を交換した。

 ひょっとして……すみかさんに何かあったのか?


 スワイプして、スマホを耳にあてる。


「もしもし?」


「よう、少年。すまない。起こちゃって悪いな。ちょっと手伝ってくれないか」


「どうしたんですか?」


「うん、すみかが酔いつぶれちゃってさ。部屋に運ぶの手伝ってほしいんだ」


「ええっ?」


 僕はいっぺんに目が覚めた。

 すみかさんが酔いつぶれたって?

 基本的にすみかさんは、一切お酒を飲まないはずだ。


「事情があってな、今日はちょっとを飲まされちまったんだよ。もうじきそっちに着くから、頼めるかな?」


「あ、はい。もちろんです」


 僕は飛び起きて、パジャマの上からダウンを羽織る。

 しばらくして、外に車の音が聞こえた。

 僕はドアを開けて、外に出た。


 黒の大きなワゴン車だ。

 スライドドアが開いて、小柄な女性が降りてくる。

 咲楽さんだ。

 着ている服は、普段通りのカジュアル服だ。

 ただメイクが、バッチリ決まっている。

 多分仕事用のメイクだろう。

 一瞬誰だか分からなかった。


「少年、すまない。中からすみかを出すの、手伝ってくれるか?」


「はい」


 二人でスライドドアから、車の中に乗り込む。

 すみかさんがコートを着たまま、目を閉じて座っている。


「すみかさん、家に着きましたよ」


「ん……んー、あれぇ、翔くんだぁ」


「はい、家に入りましょうね」


 すみかさんは、完全に酔っ払っている。

 僕と咲楽さんで、すみかさんを何とか外に担ぎ出す。


「翔くーん、抱っこぉー」


「はいはい」


 すみかさんはもう完全に幼児化している。

 仕方がないので、お姫様抱っこで部屋に運ぶことにした。

 いやしかし……酒臭いな。


「やったー、お姫様だっこだー。翔君、王子様?」


「咲楽さん、荷物持ってドアを開けてもらえますか?」


「わかった」


 咲楽さんは運転手の人に、少し待ってもらうように話をした。

 咲楽さんはすみかさんの荷物を持って、部屋のドアを開ける。


 玄関ですみかさんの靴を脱がして、そのまま奥へ運ぶ。

 咲楽さんがすみかさんのベッドの掛け布団をめくる。

 僕はゆっくりすみかさんをベッドの上に降ろした。


「翔君、気持ち悪いー」


「すみかさん、大丈夫ですか?」


 咲楽さんが、キッチンからお水を持ってきてくれた。


「すみか、飲むか?」


「んー、飲むー」


 すみかさんが体を少し起こして、コップからコクコクと水を飲む。

 そしてまたベッドの上に倒れこんだ。


「何かあったんですか?」


「ん? ああ、今日バレンタインのイベントがあったんだけどな」


 そういえば今日は、正確には昨日はバレンタインデーだった。

 テーブルの上にすみかさんのチョコレートが置いてあったっけ。

「いつもありがとう」とメッセージも書かれていた。


「ちょくちょく来る太客がいてな。一晩で百万単位でお金を落としていくから、お店としては大事なお客さんなんだけど、何しろ酒癖が悪くてな」


 一晩で百万単位って……僕には想像できないけど。


「周りのキャストも飲まないと、機嫌が悪くなるんだよ。いつもは他の子にヘルプに入ってもらってるんだけど、その子が今日休みでさ。代わりにすみかが入ったら、こうなっちまった」


 僕は知らなかった。

 今日は特別かもしれないけど、こんなに大変な思いをしてすみかさんは働いているんだな。


「多分これで吐かなければ、もう大丈夫だと思う。少年、任せていいか?」


「あ、はい。大丈夫です」


 咲楽さんだって、明日お昼間の仕事がある。

 僕は咲楽さんを玄関まで見送った。

 じゃあよろしくな、と言って咲楽さんは帰っていった。

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