No.43:僕の知らない女の人


 すみかさんのベッドに戻る。

 まだコートを着たままだ。


「すみかさん、コートを脱ぎますか?」


「うーん、翔くーん、脱がせてー」


「はいはい」


 僕はコートのボタンを全部外す。

 すみかさんは、赤いドレス風のワンピースを着ていた。

 僕がいままで見たことのない服だ。

 いつもは仕事が終わってから、お店で着替えているんだろう。


 首の部分がチョーカー風のカラーになっている。

 そして胸の部分が、おもいっきりV字にえぐれている。

 ウエスト部分を絞っているので、胸の大きさがいっそう強調されていた。

 胸の谷間もくっきりと形成されている。

 スカートの丈も膝上で短く、下着が簡単に見えそうだ。


 顔にもくっきりとメイクが施されている。

 いつものあどけない表情のすみかさんは、どこにもいない。


 それは僕の知らない、すみかさんだった。

 夜の世界で働く、一人の女の人だった。


 僕はすみかさんのコートを、ゆっくり脱がせてあげた。


「メイク、落とさなくていいんですか?」


「うーん、めんどくさーい。あとでやる」


「はいはい」


「翔くん……」


 すみかさんは、僕の手を握ってきた。


「もうちょっと、そばにいてくれる?」


「はい、いいですよ」


「もー、あの客さー、お酒じゃんじゃん飲ますんだよー。嫌だって言ってんのに」


 すみかさんは愚痴りだす。


「そんでさー、もう胸とかお尻とか、ペタペタ触ってくんの。そういうのダメって言ってんのにさー。そんなに触りたかったら、そういう店に行けっての!」


 僕は怒りを覚えた。

 すみかさんの……胸やお尻を触るだって?

 ふざけんなよ!


「うー、翔くーん、気持ち悪いよー」


「はいはい、大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃないよー。ううっ、ぐすっ、辛いよー」


 すみかさんは泣き出してしまった。


「本当にさ。私、なにしてんだろうね。なんでこんなことしてんだろうね」


 愚痴が止まらない。


「もうねっ、お昼間のお仕事もねっ、全然ダメなのっ。グスッ……募集もないの。応募してもねっ、全然なの。面接にさえ進めないんだよ」


「そうだったんですね」


「教師になるのって、もう無理なのかな。もう心が折れそうだよ……」


「すみかさん……」


 僕はすみかさんの手を握ったまま、掛ける言葉を探した。


「すみかさん、今日はもう寝ちゃいましょう。疲れてるんですよ。明日はいい日になりますから」


「翔くん……」


 すみかさんはそのままメイクをしたまま、スースーと寝息を立て始めた。


 すみかさんの寝顔を見ながら、また言いようのない感情が沸き起こる。

 あのとき感じた感情と同じ。

 何もできない子供の「悔しさ」だ。


「僕はこの人に、何をしてあげられるんだろう」


 そんなことを考えずには、いられなかった。

 答えなんて、出てくるはずがないのに。

 答えが出ないことなんて、とっくに知っているはずなのに。


………………………………………………………………


 翌朝、僕はすみかさんのベッドを遠目から垣間見た。

 布団がわずかに上下している。

 よかった、生きてる。

 肩口を見ると、パジャマを着ている。

 ということは、明け方近くに1回起きたんだろうな。


 夕方学校から戻ってくると、すみかさんは洗濯物を畳んでいた。


「あ、翔君おかえりー」


「ただいまです。気分はどうですか?」


「うん、もうすっかり大丈夫だよ。ありがとう。それから……昨日はごめんね」


「全然です。でもすみかさん、元気になって良かったです」


「うん。でも昨日、翔君にいっぱい愚痴っちゃった」


「覚えてるんですか?」


「うん、なんとなくだけどね。なんか、恥ずかしいや……」


「僕は夜のお仕事がいかに大変なのか、よくわかりましたよ」


「まあそうだけどね。楽ではないけど、悪いことばっかりでもないからね」


 すみかさんは、緩く笑顔を浮かべた。

 その表情は、いつものあどけなさが残るすみかさんの顔だった。


「食欲はありますか?」


「うーん、普通ぐらいかな」


「夜は鍋にしませんか?」


「うん、いいね! 作ってくれる?」


「はい。シメにうどんを入れましょう」


「うわー、いいなー」


 僕はこのすみかさんの笑顔が好きだ。

 泣いてる顔なんて見たくない。

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