No.25:幼児退行


「ただいま、って、あれ?」


 翌日バイトから戻ってきてドアを開ける。

 かすかな違和感。

 すみかさんの靴が、そこにはまだあった。


 夜の7時半。

 いつもならすみかさんは、もうバイトに出ている時間だ。


 部屋の電気をつける。

 すみかさんのベッドが、膨らんでいる。


「すみかさん、具合悪いんですか?」


 僕はすみかさんのベッドに近寄る。

 すみかさんが横になっていた。


「あ、翔君……おかえり」


 すみかさんは力なく、うっすらと目を開けた。


「熱でもあるんですか?」


「うん、体がだるくて」


「熱、測りました?」


「まだ」


「ちょっと測ってみましょう」


 僕は勉強机の引き出しから、体温計を出してきてすみかさんに手渡した。

 すみかさんは寝たまま布団をめくって、赤いパジャマの前のボタンを外しだした。


「ちょ、ちょっと、すみかさん」


「もーいーよ、見ても。面倒くさい……」


 すみかさんは左手でパジャマの襟を掴んで引っ張った。

 淡い水色のブラに収まった形のいい豊満な乳房が、半分くらいパジャマから飛び出す。

 脇に体温計を差し込み、また前のボタンを合わせ始めた。


「もう……少しは警戒心ってものを持ってくださいよ」


「翔君は変なことしないもーん」


 しないもーん、って。

 すみかさん、熱を出すと幼児退行するのか?


 ピピッと音が鳴った。

 体温計を取り出す。

 38.2度。

 こりゃしんどいはずだ。


「バイトはお休みするんですよね?」


「うん、さっき連絡入れといた」


 僕は常温のスポーツドリンクとストローを取りに行った。

 キャップを開けて、ストローを刺す。


「はい、横向いて飲んでください」


「ありがと。翔君、優しいなー」


 横を向いて、ストローから少しずつスポドリを飲む。

 熱があって、顔が少し上気している。

 可愛らしくて、なんだか色っぽい。


「薬、飲みました?」


「飲んでない。持ってないし」


「じゃあ僕の、あげますから。でも空腹のままじゃ良くないですね。おかゆとか食べられますか?」


「え? う、うん。でも大変だからいいよ」


「大変でもなんでもないですよ。冷凍ご飯あっためて、電子レンジでおかゆ作るだけですから。ちょっと待っててくださいね」


 僕はキッチンへ行ってエプロンをする。

 冷凍ご飯をレンジで解凍して、それから耐熱容器に移す。

 お水を少し多めに加えて、また電子レンジに入れて加熱する。


「おかずは何がいいかな」


 豆腐をキッチンペーパーに包んで、耐熱容器に入れる。

 レンジからおかゆを出して、豆腐と入れ替える。

 豆腐をレンジで加熱して水を抜いて、ひき肉と一緒にごま油で炒める。

 調味料で味を整えて、最後に卵を落としてかき混ぜる。


 トレイにおかゆと炒り豆腐をのせて、すみかさんのベッドまで運ぶ。


「おかゆと簡単な炒り豆腐作ったんですけど、食べられますか」


「えー、ほんとに? ありがとー。うれしーな」


 すみかさんは一瞬起き上がろうとして、動きを止める。

 僕の顔を見て、また横になった。


「すみかさん?」


「あーん……」


「え?」


「その……食べさせてほしいかな、って……」


「……」


 ダメだ。

 この人、完全に幼児退行している。

 でもその上目遣いは反則だ。

 メッチャ可愛い。


「仕方ないですね。ちょっと待ってて下さいね」


 僕はキッチンからタオルを持ってきた。


「おかゆ熱いですからね。えーっと、ふーふーします?」


「うん」


 すみかさんは子供のような笑顔を向けてきた。

 ずっと一人で頑張ってるから、甘えたいのかな。


 僕がスプーンでおかゆをとって、ふーふーして食べさせる。

 ふーふー、ぱくっ、を繰り返す。

 ときどきスポドリを飲んでもらう。

 炒り豆腐を食べてもらうと、「これ、美味しいね」と言ってくれた。

 野菜を全く使わなかったけど、よかったのかな。


 すみかさんはお粥を完食した。

 炒り豆腐は少し残した。

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