No.19:悪夢


 期末テストが終わって、解答用紙も全て戻ってきた。

 全体順位は、前より50番近く上がっていた。

 学年で100番以内まで、もうちょっとだ。


 何よりも英語の得点が良かったのだ。

 高校に入ってからの、最高得点だ。

 なんと亜美や智也よりも、高得点だった。

 これは自分史上、初の快挙だった。


 すみかさんも喜んでいた。

「翔君は、やればできる子なのよ!」

 すみかさんに言われれば、本当にできる気がしてきた。


「また教えてあげるね」

 すみかさんは、笑って言ってくれた。

 もう……いろいろと教えて下さい!


 バイト終えて、アパートに戻ってきた。

 すみかさんは、もうバイトに出たあとだった。

 一人で食事の用意をする。

 今日のメニューは、ブルコギとサラダだ。


 一人で食べる食事は味気ない。

 やっぱりすみかさんと食べた方が、ずっと美味しいや。


 宿題をやってから、シャワーを浴びる。

 テレビを少し見て、そのままベッドに入る。




 まただ。

 僕はまた夢を見ていた。

 最近は見てなかったのに……。

 あの悪夢を。





 家族4人が乗った乗用車。

 父さんが運転、母さんは助手席。

 僕と妹は後部座席。


 ドライブからの帰宅途中。

 国道の県境の橋に差し掛かる。


 右から中央分離帯を越えてくる大型トレーラー。

 激しい衝突音。

 窓ガラスの割れる音。

 飛び出したエアバッグ。


 車が左に飛ばされていく。

 時間にして2秒ぐらい。

 内臓が口から出てきそうな、あの浮遊感。

 水面に落ちる衝撃。

 あっという間に浸水してくる川の水。


 呼んでも返事のない両親。

 隣の妹と目があった。

 早く脱出しないと!



『お兄ちゃん!』


愛莉あいり!!!」



 僕は目を覚ました。

 息が上がっている。

 額に汗をかいている。

 またか……



 ……あれ?



「翔君」


 ベッドの横にすみかさんがいた。

 僕の左手を握ってくれている。


「すみか……さん?」


「翔君、大丈夫?」


「すみかさん……どうして……」


 僕は驚いて、体をすみかさんの方へ向けた。


「今何時ですか?」


「えーと、2時過ぎぐらいかな」


「すいません、起こしちゃいましたね」


「ううん、いつもちょうど寝るくらいの時間なの。お店から帰ってきて、シャワーを浴びるとこれぐらいの時間だから」


 パジャマを着たすみかさんは、ゆっくり微笑んだ。


「翔君ね……この時間になると、よくうなされてたんだよ」


「えっ?」


「それで……すっごく苦しそうに手を伸ばしてくるの。でもこうやって手を握ってあげると、また眠ってたんだ。今日は私がシャワーから出てくるのが遅かったから、起きちゃったね」


 すみかさんは、まだ僕の手を握ってくれている。


「そうだったんですね」


 最近夢を見なくなった理由がわかった。

 すみかさんが……こうやって手を握ってくれてたからだ。


「翔君……あいりちゃんって、ひょっとして妹さん?」


「言ってましたか? 名前……」


「うん。すごく苦しそうにね」


 僕は一つ大きな深呼吸をした。


「すみかさん、国道をずっと北に向かうと県境に大きな橋があるんですけど、分かりますか?」


「うん、わかるよ」


「2年前に、そこで大きな交通事故があったんです」


「うん、なんとなく覚えてる。車が何台も巻き込まれた事故だよね……まさか」


「大型トレーラーが対向車線を飛び越えて突っ込んできたんです。僕ら家族が乗ってた乗用車に」


 すみかさんが息をのんだ。


「僕らの車は、ピンポン玉みたいに橋の外へ弾き飛ばされました。川の水面で、数秒は浮いていたんですよ。でも水がどんどん入ってきて……」


 僕はゆっくり息を吸い込む。


「父さんと母さんは、呼んでも返事がなくて。僕はとっさに脱出しなくちゃと思って、シートベルト外したんです。隣の妹も意識があって、シートベルトを外そうとしてたんですけど……」


 僕の手を握ってくれている、すみかさんの手が震え始めた。


「ぜんぜん外れなくって。僕、ボタンを何回も押したんですけどね。すみかさん、知ってました? シートベルトって引っ張られた状態だと全然外れないんですよ。僕、本当にボタン押したんです。妹のシートベルト、外そうとして。何回も何回も何回も。でも外れなくって」


 すみかさんの握る手の力が強くなった。


「水が頭まで来たんです。僕、苦しくって、息できなくって。仕方ないからガラスの割れた窓から一旦外に出たんです。それで水面まで出て、息を吸い込んでもう一回潜って探したんですけど」


 すみかさんの嗚咽が聞こえる。


「あの川、すっごく汚いんですよ。雨上がりでもないのに、水がものすごく濁ってるんです。全然下が見えなくって。何度も何度も潜って探したんですけど、全然車が見えなくて」


「もういいから!」


 すみかさんはベッドの上に乗って、僕の上に覆いかぶさって来た。

 そしてそのまま僕を抱きしめてくれた。


「翔君は悪くないよ! 辛かったね! でも悪いのは事故なの! その相手のトレーラーが悪いの! 翔君は被害者なんだから!」


 すみかさんは、大泣きしている。


「妹さんが亡くなったのは、翔君のせいじゃないんだからね! 自分を責めちゃだめだよ! 翔君は悪くないの! 誰か言ってあげなかったの?! 翔君、こんなに苦しんでるのに! 私が言ってあげるから! 何回でも! 10万回でも100万回でも言ってあげるから! 翔君は悪くない! 翔君は悪くないから! 自分を責めちゃダメだから! 翔君は悪くないんだよ!」


 すみかさんの涙が、僕の頬に落ちる。

 僕も泣いていた。

 声を上げて、赤ん坊のように……




 僕は許してほしかったんだと思う。

 妹を助けられなかった自分を、許してほしかったんだと。


 こうして誰かに抱きしめられて。

 一緒に涙を流してくれて。

「あなたは悪くないんだ」と。

 誰かに言ってほしかったんだ。

 そんな気がした。


………………………………………………………………


 翌朝。


 目が覚めると、僕の頭がすみかさんの胸の上にあった。

 あの後、僕は「寒いからふとんの中に入りませんか」と言った。

 すみかさんは、黙って中に入ってきてくれた。

 一晩中、僕を抱きしめてくれていた。

 母親に抱きしめられている気分だった。


 今になって、ちょっと冷静になってみる。

 あれだけ泣いてしまったことが、恥ずかしく思えた。

 おまけに、なにこの体勢?

 Gカップの枕って、どんな贅沢?


 僕は少し頭を動かした。

 すみかさんが、「んっ……」と反応した。

 やばい。

 これはよくない。

 主に下半身の充血が。


 僕はゆっくり起き上がる。

 すみかさんを起こさないように。


 そのまま着替えて、朝食を作る。

 すみかさんの分も作って、テーブルの上に置いておく。


 僕は学校へ行く支度をする。

 すみかさんはまだ、僕のベッドの上で寝たままだ。


「すみかさん、ありがとうございます。行ってきますね」


 起こさないように、小さい声で言った。

 僕は部屋のドアをそっと開けて、外に出る。


 

 

 事故があったあの日。

 水の上でもがいていた僕は、近くでブラックバス釣りをしていたボートに助けてもらった。

 すぐに警察と救急車がやってきた。

 翌日車が引き上げられ、三人の遺体が見つかった。


 葬儀を終えて僕は、しばらく学校を休んだ。

 慎一おじさんのところで生活しながら、心療内科に通った。

 そしてまた学校へ戻り、なんとか中学卒業にこぎつけた。


 今、僕は生きている。

 高校に通い、少ないけど友達もできた。

 そんな平凡な毎日を送っている。


「愛莉の分まで生きないとな」


 僕は少しだけ気持ちが前向きになっていた。

 気持ちのいい朝だった。

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