No.03:「み、見えてた?」


「本当にお腹がすいていたんですね」

 緊張を抑えて、僕は笑って言った。


「うん、家を探していたら道に迷っちゃってね。この暑さの中で朝から何も食べていなかったから。しゃがみ込んだところまで覚えてるんだけど……」


 彼女はなにか思い出すように視線を上げる。


 なるほど、少し理解できた。

 最初はしゃがんで休んでいた。

 ところが力尽きて、あの体勢になったと。


 9月の半ばとは言え、今日の最高予想気温は35度。

 そりゃあ朝から何も食べてなかったら倒れるよな……


「でも生きててよかったです。壁に背中をつけたまま、しゃがみ込んで動いてませんでしたよ」


「ええーー、ほんとに?」


 彼女は目を大きく開け、顔を少し紅潮させる。

 そして……視線を自分のスカートに落とす。


「あの、ひょっとして……み、見えてた?」


「えっ? あ、あの……足は、はい。でも中の方までは」

 

「えー、最悪ーー。私、足太いから絶対見られたくないのにー」


 足?


「足、ですか?」


「そう。最近体重増えちゃって」


 でも気にするところは、そこじゃないような……。


「いや、まあ足もそうなんですが、なんと言うか……少しかがんだら、下着とかも見えそうでしたよ」


「下着? ああ、パンツのこと? それは別にいいんだけど」


 それは別にいいのか?


「いや、よくないんじゃないかな」


「だって下着って着衣じゃない。着衣は見られても平気でしょ? 水着だってそうだし。でもそっかー、太もも見られちゃったかー。それは恥ずかしいなー」


 この人、何言ってるの?

 下着に対する貞操観念がおかしい。

 それとも僕がおかしいの?


「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか」


「ちょっと、確認しなくていいですから!」


 テーブルの下でスカートを捲って確認する彼女を、あわてて止めた。

 もちろん僕にはテーブルの影で見ることはできなかったけど。

 テーブルがあってよかった。


「これ、可愛いんだよ! 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」


「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」


 DT高校生には、刺激が強すぎる。

 とりあえず話題を変えることにする。


「結構危ないところだったんですよ。変なオッサンが来て、全身舐めるように見てましたから」


「えー本当に? それは嫌だなー。やっぱり足見られたのかなー」


 絶対足には興味がなかったと思うよ。


「僕、ドアの陰で様子を見てたんですけど、やばいと思って……」


「そうだったんだね。本当にありがとう。なんだか今考えたらゾッとする」


 ゾッとするタイミングが遅いよ。


「私、すみか。桐島きりしますみかっていうの。君、名前聞いてもいい?」


「あ、はい。瀬戸川せとがわしょうっていいます」


「翔君だね。助けてくれて本当にありがとう」


 彼女は姿勢を正して、頭を下げた。


「翔君、それ城京じょうけい一高の制服だよね?」


「よくご存知ですね」


 城京じょうけい大学第一高等学校……それが僕の通う高校の正式名称だ。


「こう見えて、お姉さん英語の高校教員免許持ってるからね。この辺りの高校の事だったらちょっと分かるかも」


「そうだったんですね」


 ちょっと意外だ。

 とりあえず、ただの痴女ではなかったみたいだ。


「一応これでも、早慶大学出身だから」


「マジですか?!」


 今日一番の大声が出てしまった。

 早慶大学といえば、日本で私立最難関と言われている名門大学だ。

 偏差値だって70前後。

 僕なんか逆立ちしても入れないだろう。


「あー、疑ってるなー。じゃあ証拠を見せてあげようじゃないか」


 彼女は笑いながら、ポーチから財布を取り出した。

 中からカードみたいなものを出して、僕の方に差し出す。

 僕は受け取って、それを見た。


「早慶大学 学生証」と書いてある。

 桐島すみか

 有効期限が今年の3月末で切れていた。

 卒業して半年ぐらい、ということになるのか。


 てことは、僕より学年が6つも上?

 全然そうは見えないな。

 顔も童顔だし、いいとこ大学生だ。


「本当だったんだ……」


「そう。でも今就職浪人中」


「え、そうなんですか?」


「そうなの。まあいろいろあってね……」


 彼女の顔が急に暗くなった。


「えーっと……この辺りは何しに来たんですか」

 話題を変えた方が良さそうだ。


「え? あ、そうそう。家を見に来たんだよ。今住むとこ探してて」


「引越しされるって事ですか?」


「うん、ていうか前住んでるところ、追い出されちゃって」


「はい?」


「えーと……お店の方が、家賃を払ってなかったみたいでね……」


「お店……ですか?」


「そう。私、夜のバイトしてるのね。キャバクラってわかる?」


「聞いたことありますけど」


 もちろん行ったことはない。

 けど……この人だったら、めちゃめちゃ人気があるだろうな、


「日中できるだけ就職活動と勉強にあてたくてね。だから夜時給のいいバイトってことで働き始めたの。そのお店はワンルームのアパートを寮っていう名目で、安い家賃で提供してくれたし、とても助かってた」


 彼女は一度、水を口にした。


「でもお店もこの不景気で、あんまり儲かってないみたいでね。そのアパートに家賃を払ってなかったらしくて、私たちも出なきゃいけなくなっちゃったの」


「そりゃ、大変ですね」


「そうなの。だからおとといからネットカフェ暮らし」


 社会人って、大変だな。


「それで住むところを探してたら、シェアハウスの住人募集の案内をネットで見つけてね。その家を見に来たってわけ」


「それで迷って行き倒れて、今に至ると」

 僕は話を拾う。


「翔君、いいところ住んでるんだね。一人で住んでるの?」

 彼女は部屋を見渡して、そう聞いてきた。


「はい、まあ、そうですね」


「そうなんだ……えっと、翔君アルバイトとかしてるのかな?」


 一瞬彼女が空気を読んでくれた気がした。


「ええ。マックドーナッツでバイトしてます」


 マックドーナッツは言わずと知れたファストフード店。

 ハンバーガーからドーナツまで、取り扱い商品の多い日本最大のファストフードチェーンだ。

 通称マクド。


「へー、どこのマクド?」


「駅前のです」


「あの本屋さんの並び?」


「そう、そこです」


「今日はバイトないんだ」


「ええ。明日は学校が終わってから7時までシフトが入ってますけど」


「そうなんだ! じゃあ私、明日行くね」


「え? あ、はい。是非どうぞ」


 それから僕たちはお天気とか学校の話題とか、たわいもない話をした。


「じゃあ、そろそろ行くね」

 彼女は立ち上がった。


「あ、はい。気をつけて下さいね」


「本当に助けてくれてありがとう。あと、ご馳走様でした」


 玄関で彼女は深々と頭を下げた。

 玄関から出て行ったところで一度振り向いて、笑顔でまた頭を下げた。

 彼女は胸のあたりで「バイバイ」と小さく手を振った。

 胸が少し高鳴った。


 明日本当に来るのかな?

 ちょっと楽しみにしている自分がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る