第25話 何のことだか判らないよ

「トール。君は、ヴァネッサのコピーを取らなければよかったと言うのかい?」


「う……」


 トールは詰まった。


「け、結果的に必要になったというだけで、あの時点では」


「そうだね。君の言う通りだ」


 彼は認めた。


「結果的に、最上の事態になったんじゃないかな。マリオットやジョバンニは、ヴァネッサが『死んだ』ものと思っている。彼らを追うことは、もうないよ」


「そう、か……そう、ですね」


 トールの顔が少し明るくなった。


「問題は、アジアート氏が実際にどこまでできるかということだけれど、言ったように、もう私の手を離れたことだ。パーツとデータの送付を最後に、二度と連絡は取らないということにしたし」


「何でですか!」


 反射的という様子でトールは噛みついた。


「……それを訊くの?」


 店主は片眉を上げた。


「判るだろう?」


「……う、わ、判ります」


 彼らの手段は、真っ当ではない。〈クレイフィザ〉店主は法を犯し、アジアートはその辺りを知りながら、「廃棄ロイド」及び「残っていた最新データ」の入手法を曖昧にする。だいたい、研修などとは名目だ。チェスに、或いはヴァネッサに同情したアジアートは、会社の金でそれを直してしまおうとしているのである。


 黙っていればばれないようなことではあるが、関係を保ち続けることで万一、何らかの調査が入っても馬鹿らしい。リスクを増やすことはない。そうした判断だ。


「あの、『一部データ』はどうなったんですか」


「うん? 何?」


「ですから、『たまたま残っていたデータの一部』です。氏に見せたんですか? 彼は何て?」


「何のこと?」


「……え」


「何のことだか判らないよ、トール」


 にっこりと店主は、性質たちの悪い笑みを浮かべた。トールは絶句した。


「ままままますたー。あなたって人は」


「私が、何。彼の立案した話が進めば、資金は順当に会社から出るんだ。私が恐喝する必要も、彼が恐喝されたふりで危機管理部から交渉金をもらう必要もない」


「それは、そうですけど! 機密データ、返さなかったってことじゃないですか!」


「『返す』ことにどんな意味があるの。コピーなんていくらでも取れる。いや、そんなものを取らなくても、私はあのデータを見たんだし、頭にたたき込んだよ」


 彼は自らの頭をとんとんと指で叩いた。


「もっとも、まるまる転用するつもりはない。参考にする程度だ。何しろ、ばれたらまずいからね」


「……そこは、クリエイターのプライドとして、とか言ってもらえませんか」


「うん。プライドもあるね」


「ついでみたいに言わないでください……」


 トールは肩を落とし、マスターは笑った。


「さて、アカシにも教えてあげて。ライオットも気にしているだろうから――」


「あ、そ、それなんですけど、マスター」


 はっとしてトールは遮った。


「ライオットが、パーツの確認を終えました。一部の基板が足りないそうです」


「うん?」


「チェスは慎重に拾ったらしくって、ほとんど粉々になったようなパーツもありました。だから、彼が見落としたとは考えにくいらしいんですが」


「うーん、パーツは売れるからね。カードと同様、盗られたんじゃないのかい。もっとも、落下した衝撃で役に立たなくなっているだろうけれど、ぱっと見には判らないものね」


「それにしては、丸ごと残っているパーツも多くって」


「それじゃあ」


 店主は両腕を組んだ。


「持っていったんじゃないかな。ジョバンニが」


「……そう、思います? やっぱり」


「ボスに対して、彼らを逃がしてしまったのではない、落ちて壊れたんだという証拠になるだろう。別に不思議じゃないよ」


「ならないと、思いますけど」


「どうして」


「そりゃ、マスターたちなら判るのかもしれませんけど。その基板がヴァネッサに入っていたなんて、どうして判るんですか」


「私だって判らないよ、そんなこと。基板にいちいちIDなんか書いてないもの。せいぜい、ロット番号だ。仮にダイレクト社に問い合わせても、そのロットがヴァネッサに使われた記録まであるかは判らないし、あったとしても、完全な証拠にはならない」


 でもね、と店主は言った。


「こういうのは『証拠みたいなもの』があればいいんだ。たとえ嘘でもね。ジョバンニもボスも面子が立つ。もっともマリオット氏は、ジョバンニが嘘を付いていれば困るように、ヴァネッサの廃棄を届け出たんだと思うけれど」


「……はあ」


「仲のいいファミリーだよねえ?」


「……どうして楽しそうなんですか」


「いや、お近づきにはなりたくないなと思って」


「なら、笑うところじゃないと思います」


 息を吐いてトールは指摘した。


「じゃあ、アカシたちに話してきます」


「うん。……ああ、ちょっと待って、トール」


 店主は呼び止めた。


「私からひとつ、いいかな」


「もちろんです。何でしょう」


「君も気づいたとは思うけれど」


 彼はテーブルに肘を突いた。


「あの夜。ジャンク街のバーで。――ヴァネッサは、マスターよりチェスを選んだ」


「あ……はい」


 一万、という店主の無茶な要求は、チェスにではなく〈ヴァネッサ〉によって受け入れられた。彼女は、余所のクリエイターに決して開示されることのない情報を店主に売り渡した。


「実に驚くべきことだ」


 改めて店主は言った。


「ダイレクト社がそんな隠しプログラムを作ったとは思えないし、バグにしては大きすぎる。ではどうしてあのようなことが起きたのか?」


「それは……」


 トールはひとつの答えを思いついた。


 だが、それを口にするのははばかられた。


「リンツェロイドに心があるから――では、ないよ」


 にっこりと笑って、マスターは言った。トールは黙っていた。

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