第24話 いまさらだろう?
幸いにして、と言うのだろうか。
その翌日、トールやアカシは気もそぞろで仕事が手につかなかった、というようなことはなかった。
彼らはそうした「気持ち」を切り替えることができる。だからただ、マスターやチェスが戻ってくるのを待ちながら、いつも通りの時間を送っていた。
あまり客のこない店頭で、少年の姿をした従業員は、夕方になり行く外の景色を見ていた。今日の依頼はメンテナンスが二件。〈クレイフィザ〉にしては上々だ。
よく見覚えのある人影が、通りの向こうからやってきた。トールはぱっと立ち上がる。
「お帰りなさい、マスター!」
彼はオートドアまで、店の主人を出迎えた。
「おひとり、ですか?」
「ああ」
普段は白衣姿の店主だが、今日は珍しくスーツを着ていた。
「チェスは?」
「アジアート氏と一緒に行った」
「と、言うことは」
トールは目を輝かせた。
「引き受けてもらえたんですね、ヴァネッサの修理!」
「まあ、一応ね」
店主は曖昧な答え方をした。
「一応って、何です」
「ミスタ・アジアートは、予想した通り作製グループの代表だったけれど、強い権限を持っている訳じゃない。言ったようにダイレクト社は例外を認めないし、廃棄処分と烙印を押されたリンツェロイドを修理するのは無理だそうだ」
来客用の椅子に座りながら、店主は言った。
「でも、何かいい返事があったんでしょう?」
「廃棄されたロイドの『亡骸』を引き取り、再構成が可能か実験的な調査をする、というような届けを会社にしてみるそうだよ。それが通っても社のラボは使えないが、研修というような形にするとか。部下の数人と、親戚の工房で、やるだけやってみるとのことだ」
「そうですか……!」
トールは胸をなで下ろした。
「ダイレクト社のノウハウを外に持ち出すことになるから却下される可能性もあるが、データを逐一提出するという計画書を出せば、まず大丈夫だろうと」
「ノウハウなんてどうせ、独立した技術者から、とっくにいろいろ洩れてるじゃないですか」
「彼は独立してないからね」
「それは……もっともですけど」
「これを機に独立を考えることもあるかもね。まあ、そこまでは私の知ったことではないけれど」
「何ですか、その、投げやりな言い方は」
「だって。〈ヴァネッサ〉のパーツの山をその工房に送ってしまったら、私のやることはもう終わりだもの。チェスは、ロイドよろしく掃除でも洗濯でも何でもするから置いてくれと頼み込んで彼についていってしまったし、それに……」
彼は肩をすくめた。
「たとえ、ほぼ元の状態同然の〈ヴァネッサ〉になったとしても、彼女はもう、リンツェロイドたり得ないからね」
一度「廃棄処分」になったリンツェロイドのデータを更新することはできない。個体識別番号を新しく取って、新しい製品として申請することは可能だが、「類似品」の登録はダイレクト社が認めないとアジアートは言った。
「私は、非リンツェロイドの製作に関わる気はないんだ」
ニューエイジロイドでもノーブランドでもジャンクでも、メンテナンスや修理はするが、製作はしない。それが〈クレイフィザ〉店主の信条だった。
「それにしても、アジアート氏は本当にいい人だったんですね。よかったなあ」
トールは息を吐いて笑んだ。
「巧くいったら、チェスはヴァネッサのマスターになれるんでしょうか」
「たぶんね。そういう設定にするんじゃないかな。廃棄処分にしたマスターに返す必要なんかないんだし、『研修の産物』は売り物にしないだろうからね」
「あれ? でもそれじゃ、ダイレクト社は何を得るんです?」
「それはもちろん、実験的研修でレベルアップした数名の社員だよ」
「そ、それでいいんですか……」
「何か悪いかい?」
「いいえ。余裕のある企業でうらやましいな、と」
赤字帳簿の担当者はぼそりと呟いた。
「ひとつ、気になってるんですけど、いいですか」
「何だい」
「アジアート氏が〈ヴァネッサ〉のバックアップデータを使ったとしても……そうなると、彼女はチェスのこと、覚えていないと言うか、まだ知らない状態になるんですよ、ね」
「そうだね」
「彼はそのこと、判っているのかな」
心配そうにトールは呟いた。
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんです。僕、ちゃんと言えばよかっ」
「データは丸ごと、コピーしてあるから。問題の事件の記憶はないということになるけれど、あのバーで目覚める前、つまりジョバンニに電源を落とされるまでかな。全部、アジアート氏に渡せるよ」
あっさりと言った店主に、トールは目をしばたたいた。
「マスター! それって」
「違法だね。でも、いまさらだろう?」
にっこりと店主は笑った。
「もちろん、プロテクトはかかっていたけれどね。外そうと思えば外せるよ、あんなもの」
「ど、どうしてチェスにそう言わなかったんですか! それなら、うちでどうにかできたんじゃ」
「だからそれは違法だし、仮にそこに目をつぶるとしても、私がやったらやっぱりそれはコピー製品ということになってしまう。アジアート氏なら、バックアップデータとして扱うことができるから」
それが店主の言だった。
「……よく、あの携帯端末にそれだけの容量がありましたね」
糾弾することを諦めて、助手は違う感想を述べた。
「うん、正直、厳しいかなと思ったよ。最大級の圧縮をかけた。それでもつらかったね。でも、〈アリス〉のバックアップデータを消したらどうにかなっ」
「マスター!」
「何」
「どうすんですか、そのデータが必要な事態になったら!」
「近いうちに取り直しに行くよ」
さらりと店主は返した。
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