第23話 期待はしないでくれ
「〈ヴァネッサ〉の記録を取り寄せたと言ったろう。製造者名がフレデリク・アジアートとなっていた。チェスの話に出てきた人物と同じ名だと気づいてね。ダイレクト社の代表番号にかけて、彼の連絡先を教わった。ロイド・クリエイターの身分を明かせば、それくらいは応じてもらえたよ」
そうしてヴァネッサについて直接問い合わせたんだ、と店主は説明した。
「それで、チェスの話に出てきた人だったんですか?」
「うん、間違いなく、そうだろう」
「営業にきてたのに、クリエイターだったのか」
「私たちと違ってひとりでやる訳ではないから、言うなれば〈ヴァネッサ〉作製グループの代表というところだろう。〈ローズマリー〉作製にも関わっていたんじゃないかな。加えて、『情報将軍』と技術面で話ができる人物でもあったんだろうね」
「何を問い合わせたって言うんです。何で廃棄処分なんですか、とでも?」
「そのようなところだ。昨日〈ヴァネッサ〉を見たときは何の問題もなく稼働しているようだったから驚いた、と」
アジアートは、自分も驚いていると言った。オーナーに問い合わせたが、答えがはっきりしないと。
「廃棄にするくらいだったら引き取りましたのに、と咎める口調になったそうだ」
「マフィアのボス相手に? なかなかやりますね」
「やはりダイレクト社員でも、手がけたロイドは子供のように思うんだろう。怒りもするさ」
「そ、それで。明日っていうのは、何です」
「別の連絡先って?」
「ダイレクト社のアドレスだと、社の方で見ることができてしまうだろう。個人のナンバーを聞いたんだよ。明日というのは、約束だ。彼と話をする」
「話って、もしかして」
「期待はしないでくれ。ミスタ・アジアートが応じるとは限らない。ダイレクト社としては受けられない話のはずだから、個人でということになる。そうなれば、いろいろなリスクを伴うだろう。それだけじゃないね。一から作り直すようなものだから、資金も要る」
「お、俺も行く!」
チェスが叫んだ。
「あの人、親切だった。俺、頼み込む。何でもするって。か、金はあんまり、ないけど」
「そのことなら大丈夫」
「マスター。うちにもありませんよ、念のために言いますけど」
素早くトールは告げた。
「おや。忘れたのかい。ヴァネッサが素晴らしい情報をくれたこと」
「……って」
「まさか」
「ダイレクト社をゆする気じゃないでしょうね、マスター!?」
トールとアカシは目を見開いて叫んだ。
「とんでもない。怖ろしいことを言わないでくれ」
「それは」
「こっちの台詞です」
従業員たちは顔をしかめた。
「言っておきますけど、マスター。『これを買い上げてほしい』とかでも充分、脅しですからね」
「判っているよ。ヴァネッサの最新データの一部が端末に残っていたから使ってくれと言うつもりだ。重要なものだと気づいていないふりでね」
「そんなふりが通じるはず、ないでしょうが。仮にも、クリエイターが」
アカシが指摘した。
「うん。詳細な話はアジアート氏の人柄を見てからということになるが、すぐさま通信をしてきたことから考えても、『廃棄処分』の裏にある話を気にしていることは間違いない。最悪、断られたとしても、口をつぐんでいるんじゃないかなと思う」
「楽観視しすぎです」
「じゃあどうするの。やっぱりさっきのなし、と言うかい」
「そんなこと……」
「お、俺がデータを持ってたことにする! あんたにこれ以上、迷惑はかけない!」
思い切ったように若者は言った。店主は苦笑した。
「有難い申し出だが、それは厳しいね、チェス。少し話をすればデータを移したのが君自身でないことはすぐに知れるし、ならば誰だということになる。ジャンク街の闇師の類と思われれば、社を上げての捜査になりかねない」
却ってまずいと店主は言った。
「そんなに危険な橋ではないと思うよ。アジアート氏次第ではあるんだけれど、チェスの話を聞けばよい人のようだしね」
「単純にヴァネッサを案じるなら、ひとりでくるでしょう。でも勘のいい奴なら、脅迫、恐喝の臭いを感じ取るんじゃないすか」
「私のどこに脅迫する様子があったと言うの」
心外だと言わんばかりに店主は目をしばたたいた。
「マスターがいきなりそんなこと言われたらどうします? 誰でもいいですが、たとえば〈ライラ〉が廃棄処分になりましたと連絡がきて、驚いて所有者に話を聞いてもらちがあかず、不審に思っていたところに、聞いたこともない個人工房の自称クリエイターから、廃棄処分直前の〈ライラ〉を見ましたよとメール」
「非常に面白そうだと思って話を聞くけれど?」
「……まあ、そうっすね、あなたなら」
アカシは肩を落とした。
「でも一般的には、何だろうかと警戒される状況だってのはお判りでしょ。ほかの社員か、はたまた警察でも同行されたら」
「そのときはそのときだよ。アカシは慎重だねえ」
「臆病と言われずに済んで、たいへんけっこうですがね」
青年は唇を歪めた。
「でも警察沙汰にはならないと思うよ。ダイレクト社には危機管理部があって、データ漏洩に関する恐喝などには交渉金を出してくれるんだ。つまり、通報して犯人を捕まえるより、データを守るという訳」
「じゃあ、そういう提案をするんですか? 交渉金を」
「言ったように、アジアート氏次第。まずはどの程度、話を聞いてくれるか。受けてくれるか。会社を利用するのか、しないのか。資金はどうするのか、という段になってからだね、その話は」
「金の話になると、やっぱり恐喝だと思われるんじゃないすか」
アカシがまた慎重な発言をした。
「何が問題が起きれば、俺が全部、罪をかぶる!」
チェスがかすれる声で叫んだ。
「あんたは、何も知らないって言う。俺は以前からあんたを知ってて彼女のことを相談したりしてて、アジアートにも連絡してもらったけど、それだけだって」
「ほら。チェスもこう言っていることだし」
「マスター。ここは『君に罪を着せる訳にはいかない』とか言うところです」
ついトールは指摘した。
「積極的に罪を着せる気はないよ。そこまで非道じゃないつもりだ。私は、彼の気持ちを買いたいというだけ」
さて、と店主は全員を見回した。
「念のために訊くけれど、このなかに、ヴァネッサが帰ってくる可能性を見過ごしたい者がいるのかい?」
そんなふうに尋ねられては、トールもアカシも黙らざるを得なかった。マスターは満足そうに笑みを浮かべた。
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