第21話 出会わなければ
「次はないと、言ったはずだな」
銃口を彼に向けながら、ジョバンニはゆっくりと近づいてきた。
「ひとつだけ選ばせてやろう。腹を撃たれて苦しみながら死ぬか、そこから飛び降りて一瞬の苦痛で済ませるか」
選べるはずもなかった。チェスはヴァネッサを背後にかばい、ただひたすら、ジョバンニを睨みつけていた。
「〈ヴァネッサ〉。こちらへ」
ジョバンニは命じた。彼女は、動かなかった。
「――聞こえなかったのか。ヴァネッサ」
やはり彼女は、動かなかった。ジョバンニは顔を歪ませた。
「貴様、ヴァネッサに何をした? いや、お前がプログラムを変更できるはずがないな。ジャンク街の闇技術者に依頼をしたか。つまらぬ真似を」
「ヴァネッサは渡さない。お前には、絶対に」
若者はそうとだけ返した。相手は鼻を鳴らした。
「マリオット邸への侵入行為、監視行為、マリオット様の所有ロイドの窃取、これだけでも充分すぎるほど犯罪だ。それに加えて、違法改造とは。いい加減にするんだな、ネズミ」
「もう何もしないさ。あんたが銃を下げて、そのまま帰ればな」
だいたい、と彼は言った。
「銃で人を脅すような奴に、法律がどうとか言われたくねえ!」
「ヴァネッサから離れろ。もう一度言う。撃たれるか飛び降りるか、どちらかを選べ」
「どっちもする訳が」
タン!――と乾いた音がした。チェスの足下のコンクリートに穴が空いた。彼はすうっと血の気を引かせた。
「私はそれほど気が長くない。答えがないのであれば、苦しんで死にたいということでよいか。もっとも」
男は口の片端を上げた。
「私としては、飛び降りてもらいたいがね」
「はっ、人を撃つのが怖いのか、腰抜け」
挑発すべきところではなかったが、考えるより先にチェスはそんなことを言っていた。「それならそんなもんはしまって、ボスのとこに帰って、コンピュータでもいじってるんだな」
タン、と二度目の音がした。穴は、先ほどよりも近い位置に空いた。
「撃ち殺すのは簡単だ。だがどうせなら、お前もばらばらになるといい」
ジョバンニは、淡々と言った。
「人間を切り刻むことに、私は興味がない。だが、お前がそこから飛び降りて内臓をぶちまけることは、ヴァネッサ解体の前祝いの、パーティクラッカー代わりくらいになるだろうから」
「こいつ……」
発想が異常だ。チェスは全身の毛が逆立つように思った。
「冗談じゃない、ご免だね」
飛び降りるのも撃たれるのも――ヴァネッサを解体されるのも。
「くそ……」
チェスはちらりと背後を見た。何階分、登ってきたのだろう。数えていなかったが、彼が選んだのはこの辺りでもっとも高い建物だったようだ。落ちればまず確実に、死ぬだろう。
足場でもないだろうかと、彼は慎重に下をのぞき込んだ。運よくベランダのようなものでもあれば、そこからガラスを割ってでも室内に侵入して、逃亡を続けるといったことが可能ではないかと。
(いや、無理だ)
(下には連中がいるんだ)
この建物にいる以上、八方ふさがりだった。隣の屋上に飛び移るなどという行為は、走り幅跳びの世界記録保持者でも不可能なほど距離がある。
「くそ、どうすれば――」
「やめて!」
ヴァネッサが、叫んだ。
何が起きたのか、チェスには判らなかった。
ただ、肩を押した誰かの――間違いなく、ジョバンニの――手によってチェスはバランスを崩し、足を滑らせた。
しかし、それは突き落とすほどの強い力ではなく、若者は奇跡的な反射神経で身をひねり、屋上の縁につかまった。
それと同時に何かが彼の横を落ちていき、下の方で、破壊音がした。
「ヴァ……」
「ヴァネッサ!」
男たちは異口同音に叫んだ。
ジョバンニはそれ以上、チェスにかまわなかった。鋭い舌打ちに続いて走り去る音が屋上に響いたが、チェスの耳には届かなかった。
(何、何が)
(いま、何が起きたんだ)
震える身体はともすれば力を失いそうであった。チェスは無我夢中で縁を掴み、ほうほうの体で屋上にはい上がり戻った。
それから改めて、全身ががくがくと震え出した。
はいつくばるようにしながら地上をのぞき込めば、何かが散乱しているのが、判った。
そこからのことはよく覚えていなかった。ふらふらの彼が地上に降りるまでは、ずいぶんと時間がかかったことだろう。そこにはジョバンニの姿もマリオットの手下の姿ももはやなく、気づけばチェスは、どこから見つけたのか自分でも判らない大きな箱のなかに、ヴァネッサのなれの果てを――詰め込んでいた。
どうしてこんなことになったのか、彼にはさっぱり判らなかった。
こんなことになるのだったら、自分がさっさと飛び降りればよかった。
ヴァネッサの充電をしてもらうのではなかった。
連れ去るなどしなければよかった。
気にかけなければよかった。
出会わなければ。
雨の上がったオセロ街の路上で、目に付いたものを全て箱に入れたあと、彼は〈クレイフィザ〉のカードをもらったことを思い出した。
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