第17話 書き換えてあげようか
「しかし、ジョバンニが本当にそんな真似をするかどうか、その時点では判らなかったんじゃないのかい?」
ただの噂だったはずだ、と店主は指摘した。
「そ、そうだけど、でも」
結果的には合っていたではないか、と彼は言い訳をした。そんなふうに言ってヴァネッサを脅していたと言うのだから、と。
店主はそれ以上、追及をしなかった。
若者の恋に、理由の追及などは、野暮というものだ。
「これから、どうするんだい」
その代わり、彼は尋ねた。チェスはうつむいた。
「俺は、ヴァネッサを守りたい」
「チェス」
ヴァネッサが彼を呼んだ。
「お気持ちは、とても嬉しいです。でも私はマスターのものなので、マスターのところへ帰らなければなりません」
「そんな……」
チェスは呆然とした。
「帰るって言うのか。マリオットは、君をジョバンニの好きにさせる気なのに」
「私は……私たちは、機能停止を怖れません。何かを怖れるということはありません。いえ、もし怖れることがあるとしたら、それはマスターの指示に従えないことです」
「駄目だ! 帰さない。ばらばらにされると判っていて、帰せるもんか!」
「ですが、チェス」
「――書き換えてあげようか?」
ロイド・クリエイターは口を挟んだ。
「ただしこれは、紛れもない、違法行為。私は、君がヴァネッサの所有者ではないことも知ってしまった。その口止め料も合わせて、さっきの話とは別に、一万くらいはもらいたいけれど」
「いっいちまん!?」
さらりと発せられた台詞に、チェスは大声を上げた。
「それだけ払う覚悟があるなら、『チェス』のプライオリティを『マスター』と同格に書き換えてあげよう。君を彼女のマスターにすることはできないけれど、目の前に本物のマスターさえいなければ、君は彼女のマスター同然になれる」
「ちょ、マ、マスター。それ、まずいんじゃ」
トールは慌てた。
「うん。まずい。ものすごく」
「お判りなら何でそんなこと」
「何でって、トール。君、彼らを引き離したいの?」
「そういうことを言ってるんじゃありませんっ。僕は、もしそんなことをしたと知れたら、マスターが危ないじゃないですかって言ってるんですっ。営業停止とか、技術士の資格剥奪とか、いいえ、それだけじゃない。逮捕、投獄だって有り得るくらい、やばい話じゃないですかっ」
「大丈夫大丈夫。ばれないようにやるから」
「ちっとも大丈夫に思えません……」
助手は泣きそうな顔をしたが、主人はどこ吹く風だった。
「こういうのは、ジャンク街での取り引きに相応しい話じゃないか?」
にこにことそんなことを言う。トールはがっくりと肩を落とした。
「い……一万」
チェスも泣きそうだった。
「そんな金、ねえよ……」
「――ドクター」
ヴァネッサが店主を呼んだ。
「その端末を私に操作させていただけませんか」
「何だって?」
「データの変更等はいたしません。ただ、見ていただきたいものがあります」
「……それじゃ、見せてもらおうかな」
店主は生態認証のガードを一時的に外すと、フィンガーグローブを彼女に渡した。リンツェロイドは爪のない指にそれをはめ、技術士よろしく端末を操った。
「一万クーランの価値は、あるはずです」
リンツェロイドは、言った。
「見てください、ドクター。ここを」
彼女はグローブを外し、爪のない手で空中のディスプレイを指した。
「ジョバンニ様が破ろうとして破れなかったプロテクト。――ダイレクト社の企業秘密の一端が、ここにあります」
「……は」
クリエイターは額に手を当てた。
「これは……すごい。まいったね、ヴァネッサ」
彼はディスプレイを凝視しながら呟いた。
「君、自分が何をしたのか、判っている?」
「そのつもりです」
「一万じゃ、効かないよ。売る相手によっては十万、いや、百万の値だってつくかもしれない」
「ちょ……それって、相当、やばいことじゃないんでしょうか」
消極的にトールは言った。
「それは、もう」
マスターは口の両端を上げた。
「後ろに手が回るどころじゃ、済まないね」
「ま、ますたー……」
「――オーケイ、ヴァネッサ。一万と六百クーランで、私はこれを買おう。いや、いくら何でも買い叩きすぎかな」
言うと彼は財布を取り出した。
「ううん、さすがに手持ちはあまりないね。ジャンク街では現金が有用だからいくらかはあるけれど、最低限だけにしたんだった。仕方ない、これを」
ぱしん、と店主はカードをテーブルに叩きつけた。
「パスコードは0782-NABU-08DS。ここに九千と四百、用意しておく。つまり、二万で買おう。どうかな?」
「マ、マスターっ、どこからそんなお金、作るんですかっ。言いにくいんですが、今月、ぎりぎりなんですっ」
「どうにかするよ」
何とも気軽に、〈クレイフィザ〉店主は会計も兼ねた助手に言い放った。
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