第15話 いましかない

 そうしてチェスは、フォックスに見張られながら建物の外に向かった。


「〈ヴァネッサ〉か」


 途上、何か思い出したようにフォックスが呟いた。


「すげえんだぜ、うちのボスは。リンツェロイドなんて馬鹿みたいに高いもん、また買うんだってよ」


 チェスはぎくりとした。「新作」の購入が決まったのか。


「俺も何か欲しいな。あんな美人じゃなくてもいいからさ、セクサロイド一体くらい」


 へへ、とフォックスは笑った。チェスは笑えなかった。


「……ッサは」


「ん?」


「ヴァネッサは、ジョバンニに?」


「ああ、そうらしい。将軍ジェネラルは前から、あれにご執心だしな」


 簡単にフォックスは答えた。チェスは唇を噛み締めた。


 このままだと、ヴァネッサが。


 だが、彼に何ができるのか。


「……を」


「あ?」


「庭を……見てもいいかな。俺、この前ここを手入れした庭師なんだ」


「お前が?」


「正確には見習いで、親方の手伝いをしてたんだけど」


「ふうん?」


 どうして庭師の見習いが家のなかにいてジョバンニを睨みつけていたものか、フォックスには判らなかっただろう。だが少なくとも彼は、チェスが庭師の見習いだということは別に疑わなかった。


「見て、どうすんだ?」


「ちょっと、虫の付きやすい、花があって。親方も、気にしてたから」


 適当なことを言った。フォックスはまた首をひねったが、いいぜと言った。


「――ほら、やっぱり」


 曇り空の下、庭の一角で、チェスはしゃがみ込んだ。


「だいぶ、育ってんな。ほら」


 彼は一匹の大きな芋虫を見つけると、つまんで男に示した。


「うげっ」


 銃には怯まないであろうマフィアの若者は、それに怯んだ。


「な、何だよ、お前、素手で。気味悪ぃな」


「庭師は、これくらいできなきゃ」


「どうすんだ、それ」


「うん。ほかにもいるから、まとめて捨ててくるよ。手伝ってくれる?」


「ば、馬鹿野郎。そんなことができるか」


 フォックスは逃げ腰になった。


「勝手にやってろ。終わったら、出て行けよ」


「――うん」


 チェスはにやりとするのをこらえた。


「そうするよ」




 今度こそ、見つかったら最後だ。


 仮に殺されなかったとしても、袋だたき。


 判っているのに、どうしてこんな馬鹿な真似をするのか。


 答えは簡単だった。彼は、ヴァネッサに恋をしているからだ。


(チェス――チェス)


(お疲れ様です、チェス。お茶をどうぞ)


(きれいなお花を咲かせてくださいね、チェス)


(お会いできなくて、残念に)


(「誰にでも」は言いません)


(とても楽しかったです)


(――さようなら、チェス)


 彼女は、知っているのではないか。彼はそんなふうに思った。あれは、ただの挨拶ではなく、自分はもうばらばらにされてしまうから、もう二度と会えないという意味で。


 それはチェスの考えすぎであったかもしれない。だが彼は、そう思った。


 ヴァネッサを助けなければ。


 若者は、以前にジョバンニとヴァネッサを見かけた部屋のところへ入り込んだ。扉に鍵はかかっておらず、彼は思いきってそれを開けた。


 美しきリンツェロイドは、そこにいた。


 ひとり、横たわって、瞳を閉じていた。


 眠っているような。否、死んで、いるような。


(息を……してないからそう感じるだ)


 彼は気づいた。


 リンツェロイドは普段、見かけ上の呼吸をしている。チェスはそれを「人間らしくするためだ」と思っていたが、実際には理由がある。酸素を取り込んで、エネルギー生成の手助けにするのだ。


 だがそのようなことを知らなくても、ヴァネッサの状態が普通でないことは判った。


 電源が落ちているのかと思ったが、どうすれば再度入れられるものか、やはり彼は知らなかった。


 いましかない。


 彼は思った。


 ヴァネッサを連れて、逃げるのなら。


 機会は、いましかないと。

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