第13話 何が望みなんだ
翌日、チェスは初めて仕事をずる休みした。頭が痛くて起きあがれないと、彼なりの迫真の演技で連絡を入れた。
実際には、若者の演技は上手なものではなかった。親方は彼の嘘に気づいたかもしれなかったが、何も言わなかった。
心配でたまらなかった。
眠ることもできなかった。
目を閉じると、ジョバンニがヴァネッサを解体――殺そうとする光景が浮かんできて、いても立ってもいられなかった。
結果、チェスはまたしても、マリオット邸を訪れていた。物影からじっと、ヴァネッサのいる家を見ていた。
それがどういう人物の館であるか、忘れてしまった訳ではなかった。だが彼にとっては、マフィアのボスが問題なのではない。
ヴァネッサと。ジョバンニと。
彼が気にしているのは、そこだけだった。
しかし。
「おい、何をしている」
それはあくまでも、彼の考えに過ぎない。「ボスの邸宅の近くをうろうろしている小僧」がマリオットの手下に見咎められるのは、当然の成り行きだった。
何でもない、通りすがりだ、というような言い訳は通用しなかった。怪しい奴だと決めつけられて――事実であるとも言えたが――、若者はそのまま、家のなかへと連行された。
「ボス。妙なガキがうろついていました」
二十代半ばほどのひとりの手下は、まるですごい手柄を立てたかのように、ボスに報告に行った。
「見たことのある顔だな」
マリオットはとっさにチェスのことを思い出せなかったようだった。
「うちを探っていたのか? どこのファミリーのもんだ。それとも、小遣い稼ぎか」
「ちが……俺、違いま……」
「何が違うんだ、このクソガキが!」
恫喝されて、彼は身を縮ませた。こうした男たちのいる場所だと判っていたはずなのに、彼は失敗をした。
「ボス、どうしますか」
「誰に言われて何を見張っていたのか、吐かせろ。いくら痛めつけてもかまわん」
「普段は優しい」などと言われていたマフィアのボスは、やはりボスであり、冷酷だった。誰にも頼まれてない、勘違いだと若者は叫んだが、聞き入れられなかった。
「よーし、覚悟しろ、ガキ。その意地がいつまで保つか……」
「――マスター」
そのとき、天使の、声がした。
「彼は、チェスです。庭師の弟子の」
「何? 庭師の?……そう言えば」
その言葉を聞いて、ようやくマリオットは思い出したようだった。
「ヴァネッサ……」
ちんぴらに胸ぐらを掴まれながら、チェスは眩しそうに目を細めた。
輝くような金の髪。エメラルド色の瞳。
ああ、やはり彼女は、美しい。
「庭師の弟子が、何でうちの近くをうろつく? やはり、おかしいな」
「あ、会いたかったんだ。その……」
彼は、彼女を見た。
「ヴァネッサに」
若者の告白にマフィアのボスはまばたきをして、それから大笑いをした。
「こいつは、面白いジョークだ。チェスだったか。リンツェロイドに惚れたのか? ん?」
「お、俺は」
「放してやれ」
「ですがこいつ、怪しいですよ」
「放してやれと、言ったんだ」
「は、はい」
手下は慌てて、彼を解放した。
「面白いがな、坊ず。生憎とこいつはお前の求愛に答えないし、セックスもできんぞ」
「俺は、そんなことを望んでるんじゃない!」
若者は噛みつくように言った。
「そんなこと? 望んでいない? じゃあ何が望みなんだ。ただ、見たかったのか。人形みたいに?」
「そういうんじゃ……」
反論は弱くなった。
彼の思いに応えてほしいのではない。彼女はロイドで、人間、主に「マスター」の命令を聞くだけだ。判っている。
セックスなど、考えてもみなかった。彼にはその年代に相応しいだけの性欲があるが、ヴァネッサを抱きたいとは、思いもしなかった。
では、何を望むのか。
問われれば、判らなかった。
どうして自分は、こんな馬鹿な真似を。
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