第11話 新作

 忘れてしまえば、よかった。


 美しきリンツェロイドも、眼鏡男の異常行動の噂も。


 チェスは忘れるべきだった。仕事に精を出して、知り合った人間の女の子と仲良くでもして、十代の若者が誰でもするように日々を楽しく過ごせばよかったのだ。


 だがチェスは、機会あるごとにマリオット邸の近くを通った。いや、機会がなくても通った。もしも自動巡回ロボット――ヒトガタではない――に何度か見つかったら、彼は質問を受け、IDを記録され、「犯罪者となる危険性のある者」としてリストに上げられたかもしれなかった。


 幸いにして彼は、巡回ロボットに一度も遭遇しなかった。もしかしたらその辺りにロボットがいないのはマリオット・ファミリーの力であったのかもしれないが、チェスがその正解を知ることはなかった。


 とにかく若者は、用事もないのにマリオット邸の付近をうろついた。


 彼が庭仕事をしていた間、〈ヴァネッサ〉が外出する様子などなかった。偶然、近所で彼女にばったり、などというドラマのような出来事が起こるとは思えなかった。かろうじて起こり得る偶然が、家のなかを歩く彼女を目に留める、くらいであろう。


 そんな馬鹿らしいことなどしなければよいのに、理性はそう彼に告げていたのに、それでもチェスはうろうろと、彼女の近くをさまよったのだ。


 そしてある日。


 偶然が起きた。


 チェスは、一台の車がマリオット邸の門をくぐるところを見た。


 その車に書かれていたロゴを読んだ彼は、どこかで聞いたことがあるなと思った。「ダイレクト」。


 思い出すのに少しだけかかった。ヴァネッサを作った会社だと気づいたとき、チェスは身の程知らずにも、敷地内に入り込むことを考えた。


 もっとも、セキュリティが厳重であることくらいは、いくら血迷っていたところで判る。裏口にもインターフォンがついていることを思い出したチェスはそちらに駆けた。そしてボタンを押し、どなたですかとの問いかけに大胆にもこう答えた。


「ダイレクト社の者です。たったいま、うちの車がお邪魔したと思うのですが、お宅で待ち合わせることになっていまして」


 不自然な話であることは承知だった。合流なら、門をくぐる前にやっておくべきである。礼儀も社員教育もないような零細会社ならともかく、世界のダイレクト社の社員がそんな間の抜けたことをやるかと言えば、やらないだろう。


 だが、「たったいまダイレクト社の車がやってきた」という事実が、応対したメイドの判断を狂わせたらしかった。彼女はどうぞと答えてオートロックを解除した。


『お車は裏の駐車場にご案内しましたのでそちらへどうぞ』


 とまで、親切に続いた。礼を言いながらチェスは、これがジョバンニにばれたらいまの彼女もクビかな、と少し申し訳なく思った。


(裏の駐車場)


 若者は猛然と駆けた。それと思しき場所では、ちょうど本物のダイレクト社員が車を降りて、屋内へ向かうところだった。チェスは適当な距離を置いてついて行き、「外で仕事をしていた使用人」のようなふりをして、ダイレクト社員のあとに続いた。


「よ、こんちは」


 そこで何気ない風情で話しかける。


「ダイレクト社の人だね。〈ヴァネッサ〉のメンテかい」


「いえ、定期メンテナンスにはまだ日にちがありまして」


 ヴァネッサのことを尋ねてくる若者がマリオット邸と無関係だとは思わなかったのであろう、社員はごく普通に答えた。


「本日はマリオット様に、新作のカタログをお持ちし……」


「新作、だって!?」


 チェスは叫び、社員は驚いた。


「それが、何か」


「新作って、何だ。マリオット様には〈ヴァネッサ〉がいるじゃないか」


「所有はひとり一体までと定まっている訳でもありません。三体四体、お持ちになる方も珍しくありませんが」


「二体目? マリオット様が、買うって?」


「お買い上げいただけるものかは、まだ判りませんね」


「じゃ、ヴァネッサは……どうなるんだ」


 半ば呆然と、チェスは呟いた。社員は困ったようだった。


「どう、と仰いますが、複数体の所有は珍しくありませんと言いました通りで……」


「たとえ廃棄処分にしなかったとしても」


 異なる声が、した。


「新しい方に目が移り、古い方はどうでもよくなるだろう。おもちゃもペットも愛人も、リンツェロイドもみな同じ」


「――ジョバンニ」


 チェスは拳を握り締めた。社員を迎えにきたのだろうか、角を曲がって現れたのは、銀髪の眼鏡男だった。


「どうやって入り込んだ?……ネズミが」


「へ、ネズミってのは、壁のどこに穴が空いてっか、住人より把握してんだよ」


 いきなりのネズミ呼ばわりに怯むことなく若者は返した。怯んだのは気の毒に、ダイレクト社の男だった。


「え? 彼は、ここの方では」


「いや」


 ジョバンニは首を振った。


「〈ヴァネッサ〉を狙うネズミだ」


「何を……!」


 チェスはかっとなり、何か言おうとした。だが若者の舌は凍る。ジョバンニの手に、小型の銃が握られていたためだ。


「今日のところは見逃してやる。さっさと出て行け。もし、またヴァネッサに近寄ろうとすれば、そのときは……判るな」


 淡々と、ジョバンニは言った。


「次は、ないということ」


「くそ」


 彼は歯がみした。あんなものを前に、何ができようか。


「判ったよ。出て行けばいいんだろう!」


 やけっぱちに彼は叫んだ。後ろを向くのが躊躇われ、そのまま後退する。思わぬ出来事を前に、社員はおろおろしていた。


「あの……わ、私は」


「あなたにはきていただかなくては困る。マリオット様がお待ちだ。こちらへ」


 銃口を向けられているのはチェスだとは言え、銃の方に向かうのは勇気の要ることだったろう。男は遅々と、ジョバンニの方へ歩いた。


(新作――)


(マリオットが、ヴァネッサよりそっちの方がいいと思ったら)


(ジョバンニの奴、彼女に何をするか)


 彼女の「マスター」が、もうヴァネッサは要らないと考えたなら。ニューエイジロイドの「バラバラ殺人」を行ったかもしれない男は。


(くそ)


 彼には関係のないことだ。〈ヴァネッサ〉は美しいが、所詮、機械。盗み出して破壊するのでは器物損壊になろうが、所有者が許可したのであれば、何の罪にも問われないことだ。


(そうだよ、所詮、機械だ)


(俺が命を賭けることなんか、ない)


(所詮……)


 唇を噛みしめて、チェスは裏口の扉を出て行った。

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