第10話 恋敵とばかりに

「あいつ、そんなに偉いの? 将軍とか呼ばれてるって聞いたけど、ボスはミスタ・マリオットだろ?」


「もちろんトップはマリオット様でいらっしゃいます。ですがトップだからこそ、旦那様はこまごました命令はお出しになりません。一方でジョバンニ様は……」


 彼女は更に声をひそめ、チェスは身を乗り出して聞かなければならなかった。


「ずいぶん、細かくていらっしゃいます」


「は」


 チェスは笑った。これは「繊細である」と言うより「神経質である」。少なくともメイドにそう思われているということだ。


「何か、嫌な感じのする奴だよな」


「そ、そのようなことは決して」


「何だよ、ほんとのこと言えば?」


「怖ろしい方とは……思いますが」


 それがメイドの精一杯であるようだった。


「コンピュータばっかいじってるような奴なんだろ? 怖いったって、たかが知れて」


「……数年前に騒ぎになった、ニューエイジロイドの『連続殺人』をご存知ですか」


「は?……ああ、聞いたこと、あるような」


 主人の買い物につき添い、荷物運び等をするために通称〈待合室〉または〈コインロッカー〉と呼ばれる場所に待機していたロイドが姿を消し、一時間と経たぬ間に無惨な姿で発見されるという事件が相次いだことがあった。


 ロイド・オーナーは怖れ、マスコミは「連続殺人」などとセンセーショナルに報じたが、所詮はロイドだ。本当の殺人ではない。大騒ぎになる前に事件の発生はなくなり、「被害者の家族」以外はもうそのことを忘れていた。当の彼らもおそらく、もうほかのロイドを購入しているだろうが。


「あれ、ジョバンニ様かもしれないという噂があるんです」


「え?」


「うちのニューエイジロイドも何体か、よく似た目に」


「ま、まじ?」


「出自の判らないパーツが転がっていたこともあります」


 メイドは眉をひそめた。


「あれが人間に向かったら、と思うと怖ろしい。そう感じている者は多いです」


 そこまで話して、メイドははっとした。


「すみません、余計なことを。私が言ったということは、どうか……」


「誰にも言わないよ」


 チェスは約束した。


「でもひとつだけ、教えてくれ」


 それから彼は、指を一本立てた。


「――リンツェロイドなら何もされない、かな?」


 とっさに案じたのはヴァネッサのことだった。メイドは顔をしかめた。


「判りません。高級品ですが、ファミリーにしてみれば高くてどうしようもないということはありませんし」


 彼女は続けた。


「ヴァネッサが旦那様の気に入りである間は、まさか何もしないでしょうけれど。もし旦那様が新しいリンツェロイドをとお考えになったら、どうでしょうね」


 それは、ちっとも安心できる答えではなかった。


 かと言って、チェスに何ができよう。彼はただの、出入りの庭師見習い。


 だいたい、〈ヴァネッサ〉は、機械にすぎなくて――。


(ミスタ・チェス)


 彼女は彼をそう呼んだ。


(ミスタなんて要らないよ。チェスでいい)


(はい、チェス)


 ほんの少し話しただけだ。もしヴァネッサが本当の女の子でも、マフィアの「将軍」に逆らってまで助けるなんて有り得ない。


「どうした? 浮かない顔をして」


 親方がチェスを見て言った。何でもない、と若者は返したが、彼はそれから以前にも増して家の方を眺めるようになった。


 そうして、数日。


 あのあと〈ヴァネッサ〉の姿を垣間見ることさえないまま、庭師の仕事は終わりを告げた。


「マリオット様にご挨拶をして帰ろう」


 仕事を終えた満足感で、親方はにこにこしていた。


「お前もくるんだ、チェス。マリオット様に覚えていただければ、今後も使っていただける」


「あ、うん」


 今後も。またこの家にやってきて、ヴァネッサに会えるかもしれない。


 もし、彼女に何ごとも、起きていなければ。


 ローランド・マリオットは、親方の言ったように、あまり怖い人ではなかった。少なくともそう見えた。親方はチェスを褒め、マリオットは「若手を育てるのはいいことだ」などと言っていた。若者は黙っておとなしくしていた。


 その、帰途だった。


 玄関に向かう途中。


 開いていたドアの向こうを何となく、彼はのぞいた。のぞいてしまった。


 そこには〈ヴァネッサ〉とジョバンニがいて、男が彼女を抱き締めているように見えた。


 どきりとし、かっとなりかけたチェスだったが、一部は彼の勘違いであった。と言うのも、ジョバンニはリンツェロイドにコードを接続していたのであり、たまたま彼女を抱きとめるような形になっていただけだからだ。


「おい、チェス。行くぞ」


 足をとめた彼を親方が促した。ジョバンニが気づいて顔を上げ、チェスと視線を合わせた。


 そのときの若者はきっと、酷く怖い顔をしていたのだろう。ジョバンニをかたきと――恋敵とばかりに、睨みつける目をしていたのだろう。


 眼鏡をかけた青年は、薄く笑った。それは挑発的かつ侮蔑的な冷笑であり、優越感に満ちていた。まるで見せつけるように、男はヴァネッサを抱き直した。


 ヴァネッサも、チェスに気づいた。


 コードのついた彼女は、彼に向かって、にっこりと微笑んだ。


 チェスは――。


「おい、行くぞ」


 親方が繰り返した。若者ははっとし、ジョバンニとヴァネッサから目を逸らした。


(ただの、機械じゃないか)


 あんなふうに、コードを接続して。


(どんなにきれいでも)


(俺は……ロイド・フェティシストなんかじゃないし)


 若者はそう考えた。


(あの眼鏡は、フェティシストのがあるに違いねえ)


(だからあんなふうに抱き締めて)


(俺に……勝ったみたいな顔をして)


 考えすぎだ。若者は頭を振った。


(ばらばらに)


 メイドの言葉が耳に蘇った。


(数年前の、ロイド連続「殺人」事件)


(あれは、ジョバンニ様が――)


「……だから、どうだってんだ」


「うん?」


「あ、いや、何でもないっす」


 親方にごまかして、チェスはマリオット邸をあとにした。

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