第2話 少女の形をしたもの

 それから、少し経った。


 チリン、と小さいが鋭い音がする。彼ははっとすると、とっさに宝を自分の背後に隠そうとした。


 だがそれは、彼の危惧した追っ手ではなかった。


「いらっしゃい、先生ドクター。久しぶりじゃないか」


 バーテンダーが気軽に声をかけている。


「こんな雨の日に、こんなところまで、往診かい」


「まあ、そうだね」


 答えた新客は、先生という呼び名が似合う年代のなかでは比較的若手――四十前後と見えた。連れは十代と思しき若者だ。まだ少年と言ってもいい。


「一日でも早くアリスを見てほしいと、頼まれたものだから」


「そう言えば調子が悪いらしいと聞いたな。先生が見てくれたのか」


「ああ。もう大丈夫だ――」


 彼には関係のなさそうな会話が続いた。


 警戒する相手ではなさそうだと判断すると、彼はまた、彼の宝を気遣わしげに見た。


「それにしても、ちょうどいい」


 バーテンダーが言うのが聞こえた。


「あっちの……」


 声がひそめられた。ぼそぼそと何か言っている。彼は少し、気になった。彼らのことを話しているのではないだろうか。


 そんなふうに感じて彼が振り向くと、その推測は合っていたようだと判った。


 「先生」と呼ばれた、四十ほどの眼鏡をかけた男が、彼の方に向かってきていたからだ。


「な、何だよ」


 とっさに彼は立ち上がろうとしたが、まだ足がふらふらだった。と言うより、休んだことで却って疲労が噴き出したのかもしれなかった。


「そのまま」


 男は片手を上げて制するように言った。


ご店主マスターから、話を聞いたよ。その子を見ようか? 私は専門家だから」


 「ドクター」という呼称。往診などとも言っていた。この人物は、医者だ。彼はそう考えた。雰囲気はぴったりだった。


「いや……この子は」


 彼は躊躇いがちに、彼女の手首を相手に示した。


 そこには、小さな数字と文字の羅列が記されていた。


 これが何を意味するか。この時代の人間であれば、誰でも知っている。


「判っている」


 相手は言った。


「ミスタ・ルロイ……ここのご店主が、ちゃんと見ていたよ。そちらの彼女の指先に爪がないこと」


 見られていた。彼は唇を噛んだ。


 だが、当然とも言える。


 彼の宝。「少女の形をしたもの」は、あまりにも、美しすぎて。


「なら、何で」


 かすれる声で、彼は尋ねた。


「医者は、役に立たないのに」


「私は医者ではないよ」


 男は言った。


「こう見えても、一級技術士の資格を持っている。ロイド・クリエイターをしているんだ」


「え……」


「君のそのリンツェロイド――それとも、ノーブランドかな。稼働すらしていないようだが、何があったんだい?」

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