第28話 道連れ

「ミア、どこまで行くの?」

 答えが返ってくることはあまり期待していなかった。既に幾度も繰り返した問いである。ミアはやはり口を開かず、顔さえ向けようとしないまま、ただ莢の手を引く力を強くした。


 ここまではミアに任せてついてきた。だが街門の近くまで来ると、さすがに莢も足を止めた。ミアが苛立ったようにぐいぐいと手を引っ張る。しかし莢は地面を踏み締めてこらえると、逆にミアを引っ張り返した。


「ひゃっ」

 頼りない悲鳴を上げてミアがよろめく。一つ年上なのに自分よりもっと薄く感じられる体をしっかりと抱き止める。ミアの背中に腕を回すと、壊れ物を扱うように莢はそっと力を込めた。


「ミア、大丈夫だから。わたしもミアと一緒に行くから。だからそんなに焦らないでもいいの。つまずいて怪我でもしたら馬鹿みたいでしょ?」

「サヤ……」


 冗談っぽく伝えると、ミアは吐息にも似た声を洩らした。莢はさらにぎゅっと身を触れ合わせる。だがミアは体を固くするばかりで、いつもみたいにじゃれかかってはこない。莢はミアを抱く腕をほどいた。


「行こうか。街の外まで出るんだよね?」

 頑張って笑いかけ、自分からミアの手を取って門の方へ歩き出す。ミアは莢が手を引くままについてくる。さっきまでとは逆の形だ。


「痛っ」

 びくりと身を竦める。ミアがきつく手を握り返していた。血が出ていてもおかしくないぐらい爪が食い込む。

 だが莢は振り払おうとはしなかった。こちらからは絶対放してなんてやらない。

 自分がどこへ向かっているのかも知らぬまま、莢はミアと連れ合い街を出た。




 ドラギッチ館はレントの上級街区にある。広壮ではなくとも品格ある佇まいは、粗野で粗暴な傭兵ごときにはおよそ不似合いだろう。だが呼び出しに応じて訪れたエッチに萎縮した風情はない。使用人の案内に従い、落ち着いた足取りで廊下を進む。片やたまたま館を訪れていた小綺麗な身なりの商人などは、エッチの姿を見るやほとんど飛び退るように距離を開けようとした。

 露骨に避けられたところで、エッチにはことさら思うこともない。当主の執務室へと通されるまでの間、すれ違った者達にあえて関心を向けもしなかった。


「シュタイナーさん、お呼び立てしてしまい申し訳ありません」

 エッチを部屋に招じ入れたミヒャエルは、十分な礼節をもって頭を下げた。エッチは気負わず軽く会釈を返す。


「構わんさ。あんたには謝礼もしっかり弾んでもらったからな。新しい仕事の依頼か?」

「というよりご相談です。あなたは赤猫亭のヴァントさんとはお親しいそうですね。是非僕に紹介してほしいのですが」

 ミヒャエルの申し出に、エッチは困惑とまではいかなくとも、いささか意表を突かれた顔をした。


「お安い御用だが……リン、メルレイン・ヴァントは女だぞ。あの宿には男娼も置いてない。あんたの趣味には合わんと思うが」

「いえ、そういう話ではなくてですね。それに僕は男色を趣味としているわけではありませんから。ラルのことは遊びとかではなくただ純粋に愛して……ごほっ、失礼、本題に入ります。クリシュトフの件です。関係する書類を改めて調査したところ、弟が赤猫亭に少女を斡旋していた記録が見付かりました」


「そうか。それで?」

 ドラギッチ商会としては問題なのかもしれないが、エッチの知ったことではない。ミヒャエルはエッチの方に少し顔を近寄せた。


「実はその少女というのが、ギュスターブ・ガリウスの娘だったんです。弟はガリウスにかなりの額の金を貸していました。しかし返済は滞っていた。そこで担保の代わりとして娘の身柄を取り、体を売らせて利息分に当てていたんです。しかしガリウスは既に亡く、クリフは追放しました。商会の主として、また不肖の弟の兄として、僕はその少女の今後に責任があると考えます。そういうわけで、シュタイナーさんにはヴァントさんへの橋渡しをお願いしたいんです」


「その娘の名は?」

 ミヒャエルが答えると、エッチはろくに挨拶もせず背中を向けた。胸騒ぎがしていた。悪い予感ほどよく当たる。傭兵稼業に身を置く者なら誰もが須く知る真理だった。




 街門を出て暫く歩いた。ひょっとしたらひとけの絶えた深い森の中にでも誘われるのではと莢は思ったりもしたが、ミアに案内されて行き着いたのは、街道沿いにぽつんと建つ一軒家だった。

 廃屋というほどには古くも壊れてもいない。なのにずっと昔に見捨てられたみたいに寂しげだ。ミアはこんな場所に莢を連れてきたかったのか。


「あたしのうち……だったところよ。入って」

 戸惑う莢の視線にミアが答える。口調からは全く抑揚が抜け落ちて、しかも過去形で語られたことがひときわ莢の不安をかきたてる。


「別に、帰ってもいいんだよ。一本道なんだから、あたしがいなくても分るでしょ」

「帰らないよ。せっかくミアと一緒に来たんだから」

「やっぱり。サヤならそう言ってくれると思った」


 ミアは家の扉の把手を掴んだ。鍵は掛かっていなかったらしく、軋みながらもあっけなく開く。不用心だが、ほぼ空き家みたいだし、取られて困る物もないのだろう。

 中は暗く埃っぽかった。まるで月日から零れ落ちた時間が床に降り積もっているかのようだ。


「こっち。来て」

 所在なく立ち尽くす莢を、ミアが奥の部屋へと導く。入ってすぐに、空っぽの寝台が目に付く。まさか一緒にお昼寝してほしいというつもりではないだろう。そもそももう日暮れに近い。ならここで一夜を共にしてほしいとか。馬鹿みたい。そんなことあるわけない。だけどもしミアが本当にそれを望んだとしたら、自分はどうするだろう。


「ねえミア、どうしてわたしを……」

「連れて来たか。父親よりは役に立つようだな」

 変な方向へ転がりかけた思考が一瞬で凍りつく。


 記憶にある声だった。戸口の壁際で待ち伏せされていたのだと気付き、咄嗟に距離を取ろうとした。だが遅い。背後から伸びてきた腕が、するりと莢の喉に絡みつく。外そうとあがく間もなく冷酷に力が加えられ、苦しさが体を満たす。意識が急速に細くなる。


「サヤ!? やめて、サヤが死んじゃう!」

「騒ぐな。気絶させるだけだ。殺されて当然の娘だが、それじゃあ売り物に……」

 二人のやり取りを遠く微かに聞きながら、莢は闇の中へ沈んだ。

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