第25話 末路

「クソったれが、話が違うじゃねえか。なんだってこんなに早く来やがった!?」

 抜き身の剣を手にして走りくる男を睨みつけながら、ガリウスが吐き捨てる。

 ミヒャエル達の始末は後回しだ。即座に意識を切り換える。たとえ思い上がった生意気な青二才だろうと、エッチベルゼリッチ・シュタイナーは片手間であしらえるほどヤワな相手ではない。


 突進しながらエッチが先んじて剣を振るう。勢い任せのようでありながら、繰り出された一撃は鋭くて正確だった。必殺の威力を備えた上段斬りを、ガリウスは横から弾いて軌道を逸らす。エッチの太刀筋には無駄がない。見事なまでの正攻法だ。だがそれだけに読み易い。


 ガリウスが巧みな剣捌きで応じたことに、エッチもまた驚きはしなかった。ガリウスの実力ならば承知している。元より手を抜くつもりなどはない。

 火花が散るような打ち合いが始まった。強く直ぐな剣を振るうエッチに対し、ガリウスは傭兵らしい変則的な技を交えて応じる。


 樽のような体格にふさわしく、かつては豪腕に物を言わせて相手をねじ伏せるのを得意としたガリウスだ。しかし人は誰しも変わらずにはいられない。未だ常人を上回る筋肉を誇ろうと、全力を出せる時間は確実に短くなり、息が切れるのも早くなる。それでも戦いの中で生き残るために、新たなやり方を身に付けることが必要だった。

 突くと見せかけたガリウスが、幻惑的な歩法で後ろに下がる。逆撃を放とうとした間合いを外され、エッチが小さく舌打ちを洩らした。


「姑息な真似が上手いな」

 それはおそらくただの独り言だった。だがガリウスは神経を逆撫でされたかのごとくこめかみを震わせた。

 エッチの大上段からの打ち込みを、ガリウスが真っ向から受け止める。骨が痺れる重さに腕を撓ませ、足を踏ん張って押し戻す。


「てめぇさえ、いなけりゃ……」

 互いの熱が交わるような鍔迫り合いだ。ガリウスは睨み殺さんばかりに眼光に力を込めた。


 邪魔だった。もしこの男さえ現れなければ、自分は今もなお支部の傭兵達を配下同然に仕切っていたはずなのだ。全員から一目置かれ、立場にふさわしい実入りも得ていたに違いない。


 だがまだあきらめることはない。取り返しは十分につく。この男を消し去れば、全てはまた上手くいくのだ。自分が本来いるべき位置へと返り咲く。

 狂的な光を宿したガリウスの視線を真近に、エッチは口元に冷めた笑いを刻む。


「だが俺はここにいる。そしてお前はここで終わりだ」

「ほざけっ、終わるのはてめえの方だ!」

 二人は同時に剣を押し合い、さらに弾き合って距離を開けた。


「死ねぇーー!!」

 一息の間もなくガリウスが打ち掛かる。もはや小手先の技など無用、思い上がった小僧を脳天から叩き割る勢いだ。


 エッチは刹那瞠目した。危ういところでガリウスの恐るべき斬撃を打ち防ぐ。獣と獣とが相喰らうがごとく、刃と刃が噛み合って鋼を散らす。

 既にガリウスに二の太刀を打つ意思はない。ただ己が力だけを頼りに、愚直なまでに前へ踏み込む。


 ガリウスより上背があるエッチの頭が、じりじりと位置を低め始める。やがて目線が並び、ついに相手を見下ろすに至り、ガリウスの頬は歓喜に弛んだ。

 限界に達した腕が震えてぶれる。そうして生まれたわずかな隙を、逃すことなく戦士は捉えた。


 電光石火に剣を跳ね上げる。腕を高々と弾かれた男の顔に浮かんだ驚愕は、予想を凌駕する敵の強さの故か、それとも自らの衰えが信じられなかったせいなのか。

 どちらでも同じことだ。

「ギブ、お前酒臭いぞ」

 エッチの剣は鮮やかな弧を描き、古参の傭兵の喉笛を斬り裂いた。


     #


 ドラギッチ館は商会の規模からすれば控えめな建物だった。元来ドラギッチ家はレント近郊を本拠とする下級貴族だが、五年前の母の死に伴ってミヒャエルが当主の座を継いだのち、領地経営にまつわる商取引を大胆に拡張して成功、急成長したものだ。

 よってレントの街にある館は、地方小領主の都市内別邸としては十分でも、決してそれ以上ではない。


 狭い部屋だった。もし大貴族や大商人の屋敷であれば、使用人のための作業場か、下手をすれば物入れ程度に過ぎないだろう。しかし今その中に置かれている調度類は地味ながらも品が良く、ゆかしい艶が出るまでに磨き込まれている。ドラギッチ館当主の間だ。

 揺らめくランプの灯に照らされて、甘美な葡萄酒で唇を湿らせながら、クリシュトフは一枚また一枚と帳簿をめくる。


「……さすがは兄上、大したものだ」

 口中に残る馥郁たる香を惜しむように嘆息する。商会の経営は順調だ。売上は経費を大きく上回り、返済不能な借財はなく、回収が滞っている売掛金なども見当たらない。


 強いて問題を挙げるとすれば、他都市との交易の一部で若干の誤算が生じていることだろうか。だがそれも全体の利益からすればごくわずかな額であり、しかも遠からず好転するに決まっていた。商会のさらなる発展のためには不可欠な出費である。一部批判的な者もいるようだが、自分に任せた兄の判断は全く正しい。実際の損失が報告しているより多いとしても、最終的な帳尻が合うなら問題はない。自分にもっと大きな資金を扱う権限さえあれば、差額を穴埋めしてなお余りある利益を上げられる。大丈夫だ。兄ならきっと分ってくれる。

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