第24話 招かれざる客

「分ったよ。気をつけて」

 ミヒャエルは思いを込めて大事な取引相手を見つめた。向かい合うランデルの黒瞳は揺らがない。


「余り森の深くまでは入るな。お前一人だときっと迷う」

「その時は探しに来てくれるよね?」

 情熱的な反応など端から期待していなかった。案の定ランデルは黙したまま、だがミヒャエルにだけは分るほど微かに頷いた。


 ミヒャエルが木立ちの奥へ身を隠すと、ランデルは薪割りを再開した。だが意識の多くは蹄の音の方に置いている。ついに傍近くまで迫ってくるに及び、斧を肩に担いで静かに振り返った。


 森を貫く小道から、黒馬が急ぐでもなく現れる。背に乗せているのは腕も足も胴も太い男だ。ギュスターヴ・ガリウスというその名をランデルは知らなかったが、腰の剣と粗野な身なりから傭兵だろうと当りをつける。

 ガリウスがランデルの傍らで馬を止めた。


「おい、樵、ミヒャエルさんはどこにいる。あの小屋の中か?」

 横柄に顎を向け丸太小屋を差し示す。ランデルは斧の柄をしっかりと握り直した。

「お前は」


「ドラギッチ館からの遣いだ。ミヒャエルさんに用があるんだよ。とっとと連れて来い、このうすのろが。俺を苛つかせるんじゃねえ。ぶち殺すぞ」

「帰れ」


 馬上の傭兵へ、怖じる素振りもなく言い放つ。髭に覆われたガリウスの面上に、たちどころに怒りの色が表れた。

 すぐさま腰の剣を引き抜き、問答無用でランデルに斬りつける。ランデルは素早く後ろに退いたが、傭兵の振るう剣は予想を超えて鋭かった。かわしきれず、額を浅く切り裂かれる。

 細い血の筋が鼻の脇を垂れていく。だがランデルはなおも引き下がろうとはしない。肩に担いでいた斧を両手に構え、傭兵へと向けた。


「はっ、樵風情が、いったいなんの真似だ?」

 嘲笑したガリウスが、先にも勝る勢いで剛剣を打ち振るう。ランデルは迷うことなく即座に横へと飛んだ。そのまま馬の前を通り過ぎて逆側へ回り込み、手綱を握るガリウスの腕を狙い斧を繰り出す。


「クソがっ」

 剣を空振りした不安定な姿勢から、ガリウスが強引に身を引く。重い斧の刃はその動きについていけずに狙いを外し、しかし手綱をぶつりと断ち切って馬の首を掠めた。


 高く嘶いた黒馬が棹立ちになる。ガリウスはたまらず鐙を踏み外した。泡を食って逃げ出した馬の方をランデルは一顧だにすることなく、地面に落下したガリウスめがけて思いきりよく斧を振り下ろす。


 ランデルの腕に鈍い衝撃が返った。決めるつもりで放った一撃を、膝立ちになったガリウスが横に倒した剣で受け止めていた。左手をも支えに使い、斧刃ではなくその下の柄にあてがっている。


「うおらあっ!」

 ガリウスは雄叫びとともにランデルの斧を跳ね上げた。直後に剣を両手に握り直して斬り下ろす。かけらも容赦のない凶刃を、ランデルは斧の柄で間一髪防ぎ止める。


 今や攻守は完全に入れ替わっていた。斧はしょせん木を伐るための道具に過ぎない。一撃の威力こそ勝っていても、武器としての使い易さなら剣が優れる。ましてガリウスは豊富な対人戦闘の経験を持った傭兵だ。やがてランデルが斬られるのは必定だった。


「ラル!」

 森の中から悲鳴じみた声が上がった。柔らかそうな金髪を振り乱しながら、ミヒャエルが飛び出してくる。手には護身用の短剣を握っていた。いかにも不慣れな様子だが、鈍く輝く刃は本物だ。


 数の上ではこれで戦力比は二対一、だがミヒャエルの姿を確かめたガリウスは、怯むどころか髭に覆われた口元を笑いの形に歪ませた。片やランデルの浅黒い顔には明らかな焦りが浮かぶ。


「ミル、来るな!」

 剣を押し込むガリウスの圧力をぎりぎりでしのぎつつ、ミヒャエルへ懸命に叫ぶ。その胸の真ん中をガリウスは容赦なく蹴りつけた。


「がはっ」

 肺が潰れたような息の固まりを吐き出して、ランデルは仰向けに吹き飛ばされた。背中を地面に強打する。衝撃が走り抜け、体が痺れて自由にならない。


「ガリウス、これはいったいなんのつもりだ!?」

 倒れたランデルの元へ駆け寄りたい気持ちをこらえ、ミヒャエルはガリウスの数歩手前で立ち止まった。顔馴染みの傭兵へ向け、短剣の切っ先を突き出してみせる。せめてもの威嚇のつもりだった。


「お金が必要なのか? 君は腕も名もある傭兵なんだから、きちんと依頼を受けて仕事をすれば、普通に暮らせるだけの額は十分に稼げる。こんな馬鹿な真似をする理由なんかない。早く正気に戻るんだ」


 ミヒャエルが整然と説得を試みる。だが手にした短剣は小刻みに震え、本人に至っては完全に腰が引けていた。過去には幾度も自分の雇い主となったことのある相手を前に、ガリウスは肉食獣が唸るような笑い声を上げた。


「はっは、ご忠告どうも。けどな、俺は今まさに仕事をこなしてる真っ最中なんだよ。ちなみに依頼主はあんたもよく知ってる相手だぜ」

「なんだって?」

 不審に眉根を寄せたミヒャエルが、ふいに愕然とする。


「誰だか分ったかい。さすが、賢いこって」

 ガリウスが薄ら笑いを浮かべながら歩み寄る。ミヒャエルは反対に後ろに下がろうとして、足をもつれさせ尻餅をついた。無様な姿にガリウスは唾を吐く。


「ざまぁねえな。どんだけ立派なご身分だろうが、いざって時に剣も振れねえ男に生きてる価値なんざねえよ。恨むんだったらてめえの弱さを恨めや」

 地面に腰をつけたまま、ミヒャエルはなおガリウスから距離を取ろうとした。それでも卑屈に慈悲を乞いはしない。まなざしには未だ意志の光がある。


 だがガリウスにはもはやどうでもいいことだった。無造作に剣を振り上げる。ミヒャエルを片付けたら、次は身のほど知らずの樵にとどめを刺して、あとは本命が来るのを待つだけだ。


「ギーブッ!!」

 ぞくり、とガリウスの身の内を慄えが走った。固くなった体を、声の聞こえた方に無理やり振り返らせると、ガリウスはあまりの忌々しさに奥歯を軋むほど噛み鳴らせた。

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