第23話 森の端の小屋

「確かに、一度手にした金は本人のものだからな。何に使おうとお前の勝手だ。言いつけた仕事さえ果たすなら文句はない」

 クリシュトフは卓の上に酒瓶を戻した。だがもちろん無条件に許すつもりなどはない。


「今度こそしくじるなよ」

 強い調子で念を押す。ガリウスは苦々しげな様子になった。

「前だって俺がやり損なったわけじゃないですよ」

「本当に大丈夫なんだろうな。あのシュタイナーとかいう男、この俺から見てもかなり腕が立ちそうだったぞ」


 ドラギッチはもともと騎士の家系だ。剣についてはクリシュトフにも相応の心得がある。エッチベルゼリッチ・シュタイナーが並の遣い手でないことは、立ち姿や身ごなしからだけでも容易に察することができた。

 ガリウスがゆらりと身を起こした。樽のような体躯を形作る筋肉が盛り上がり、だらしない酔っぱらいの姿がふいに巨大化した印象を与える。


「当然でしょうが。今度は他の奴任せじゃない。俺自身が出るんだ。正面からやり合ったって勝てる。まして闇討ちを仕掛けようってんだから、羽虫を叩き潰すより簡単だ。どこに失敗する余地があるっていうんです?」


「そ、そうだな、その通りだ。ああ、ガリウスなら問題ない。じゃあ頼んだぞ。奴が早めに来る可能性もあるだろうから、日が落ちる前に出発しておけよ」

「分ってます」


「明日は昼頃に人をやる。それまでには全部始末をつけてくれ。間違っても傭兵の死体なんて残さないようにな」

「野郎は二人を殺したあと、金を横取りして逃げたって筋書きですからね。ちゃんとそう見えるようにしときますよ」


「実際にはお前が殺すわけだがな。しかも二人ではなく三人だ」

「それを依頼したのはあんたです」

 ガリウスは髭に覆われた頬を皮肉げに歪めた。


「そんなに当主の地位が欲しいんですか。実の兄貴を殺してまで」

「黙れ。人殺し稼業のごろつきごときが出過ぎた口を叩くな。ドラギッチ館が俺のものになれば、お前の借金を肩代わりするぐらいわけもないんだ。分を弁えて大人しく従っていろ」


「確かに、余計なことでした」

 ギブは申し訳程度に頭を下げた。杯に酒を注ぎ足そうとして、しかし掴んだ瓶を再び卓に置いて栓をする。


「残りは帰ってからにしとくか。その方がじっくり味わえるだろうしな」

「全てが首尾良く済んだら、うちの蔵にある中で一番いい酒を差し入れてやる。もちろん報酬とは別にだ。好きなだけ勝利の美酒に酔い痴れるがいい」


「有り難く貰っときます。クリフさんとはこれからもいい仕事ができそうだ」

「お前の働きに期待する」

 二人は浅く頷きを交わすと、直後に互いから顔を背けた。


     #


 レントは付近一帯では段違いに大きな街である。だが逆に言えば周辺に他に立派な集落などはなく、馬を半刻も走らせればもう森に囲まれてしまう。

 それでも街道沿いなら時折隊商の姿が見掛けられたりもするが、森の奥へ通じる脇道ともなればまず余人が入り込むことはない。


 ましてそろそろ日も暮れかける頃合いだ。森をささやかに切り開いた土地で、黙々と薪割りを続けていたボズニャック・ランデルは、背後から近付く気配の正体をわずかも疑いはしなかった。


「ラル、そろそろ終わりにしたらどうだい」

 物柔らかに呼び掛ける声は、もちろんランデルの知る相手のものだ。

 あえて返事をしないまま、真っ直ぐに斧を振り下ろす。切り株の上に立てられていた薪が真っ二つに断ち割られる。ランデルは一息入れて斧を置いた。首に掛けていた布で、額に滲む汗を拭う。


「はい」

「ん」

 木製のジョッキを受け取り、いっぱいに満たされていた水をぐぐっと呷る。ランデルの喉仏が勢いよく上下する様に、ミヒャエル・ドラギッチは楽しげな微笑を浮かべた。

 ランデルはあっという間に中身を飲み干すと、ジョッキをミヒャエルに返す。


「泊まるのか」

 素っ気なく、不機嫌にさえ聞こえる調子で問う。ミヒャエルは肩を竦めた。

「来た時にそう言ったはずだよ? だけど君が迷惑なら仕方ない。大人しく帰ることにするよ」

 がっくりと肩を落とす。もちろん白々しいただの演技だ。誰も騙せはしないだろう。ランデルはため息をつく手間もかけなかった。


「何もないぞ」

「それは泊まってもいいって意味だね。嬉しいよ。なにしろここには余計なものが一切ない。静かで気楽だ。もし家の仕事がなかったら、いっそ移り住みたいぐらいだよ」


 ミヒャエルは心の底からの本音を明かした。ランデルは表情の読み取りづらい浅黒い顔を背けて、住処である丸太小屋の方へ歩き出した。色良い返事がもらえなかったことをミヒャエルは残念に思ったが、すぐに気力を取り戻して後を追う。


「ねえラル、確かに僕がここに来るのは君の獲る最高の毛皮を仕入れるためだ。それは否定しないよ。だけど決してそれが一番ってわけじゃなくて……」

 前を行くランデルがふいに足を止めた。鋭い動きで片手を上げ、ミヒャエルの言葉を遮る。


「……ラル? どうかしたのかい」

「誰か来る」

「へえ?」

 耳を澄ませる。少しするとミヒャエルにも蹄の音が近付いてくるのが分った。ただの通りすがりという線はまずないと考えていい。


「君にお客さんかな。繁盛してるようで結構なことだ」

「こんな所まで買い付けに来るのはお前だけだ」

「僕の独占ってわけか。光栄だね。商売人冥利に尽きる」

 ミヒャエルがおどけるが、ランデルの顔つきは厳しい。


「お前がここにいると知っている者は?」

「多くはないね。だけど別に極秘事項ってわけじゃないし、僕に近い幾人かは知ってるよ。やれやれだ。緊急の問題でも起こったのかな。せっかく時間をやりくりして来たっていうのに、まったく商館の経営も楽じゃ……」

 射るようなまなざしを向けられ、ミヒャエルは首を竦めた。


「野盗の類かもしれん。お前は森の中へ隠れていろ」

「君はどうするんだい」

「どうとでもする」

 即座に返され、ミヒャエルは一緒に隠れようと提案するのをあきらめた。ランデルの意思を曲げさせるのは至難の業だ。素手で薪を割ろうとするようなものである。

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