第19話 救出依頼

「まだ雇わないとは言ってない。あなたの態度はともかく、傭兵としては確かにそれなりの実績がある……シュタイナーさん、あなたの能力は信用できますか」

 依頼人はどうにか苛立ちを抑えようとしているふうだった。だがエッチには気を遣う素振りもない。


「それを決めるのは俺じゃない。信用するもしないもあんたの自由だ」

 依頼人は沈黙した。不快げな視線がエッチを外れてさまよい、莢を捉える。思わず怯みそうになったが、下腹に力を込めて見返すと、依頼人は暗い光のちらつく瞳を伏せて再びエッチの方に向き直った。


「……仕方がない。今から他の者を探す余裕はないんだ。兄の命がかかっている」

 悩ましげに息を吐き出した依頼人に、エッチは初めて興味を示した。

「あんたの兄君だと?」


「ミヒャエル・ドラギッチです。あなたとは仕事を通じて馴染みのはずだ。私は弟のクリシュトフ。知人や友人からはクリフと呼ばれています。今さらですが、どうぞよしなに」

 依頼人、クリシュトフはおざなりに頭を下げた。出された名前が莢の記憶を刺激する。


(僕はミル。ドラギッチ館の主をしている)

 物柔らかな雰囲気の、おとぎ話に出てくる王子様みたいな金髪の青年だ。エッチに売られたと気付いて莢が赤猫亭を逃げ出したあと、街をさまよっていた時に親切に手を差し伸べてくれた人である。


 どうやらクリシュトフはその弟らしい。

 最初に依頼人を見た時に抱いた既視感に納得する一方で、だがあまり似ていないなと莢は矛盾したことを考えた。

 改めて事実を確認するように、エッチが頷く。


「ミヒャエル氏からは幾度か隊商の護衛の依頼を受けている。直近の仕事は七日前だな」

 莢は驚きに声を上げそうになった。七日前といえば、莢とエッチが運命的な出会い果たした時のことに違いない。それにミルも関わっていたのだ。


「あの人がどうした。何があったんだ?」

「捕らわれました。私のところへ脅迫状が届いています。もし明日の昼までに身代金を払わなければ殺すと。シュタイナーさんには兄の救出を依頼したい」

 きっとすぐにも承諾するという莢の予想、それとも期待に反し、エッチは難点を指摘した。


「だがミヒャエル氏が拉致されているとして、敵の拠点や人数が分らなければ動きようがない。それに仮に分ったところで、相手が大規模な盗賊団の類なら俺一人の手には余るな」


「心配無用です。向こうは単独ですし、居場所も把握できています。ただ他にいささか厄介な事がありまして」

「よほどの手練れなのか?」


「それはどうですかね。少しは使えるかもしれませんが、シュタイナーさんの敵ではないと思いますよ」

 クリシュトフは薄く笑った。あるいはお世辞のつもりなのかもしれないが、エッチは取り合わず問いを重ねる。


「では何が問題なんだ?」

「その前に誓ってください。この場での話は絶対に内密にすると。兄とドラギッチ家の名誉に関わることです。いいですね」


「ミヒャエル氏は立派な人物だ。仕事でも世話になっている。むやみに顔を潰すような真似はしないさ」

 エッチはわずかに間を置いてから付け加えた。


「あんたの望みとは関係なくな」

 クリシュトフは鼻白んだ顔をした。それから莢に粘ついた視線を向ける。莢は嫌な感じがしたのを隠して頷いた。ミルのためならば秘密は守る。


「……実は兄は以前からその男に辱めを受け、脅迫を受けていたらしいのです。私が内密に調査したところ、帳簿に記載されていない多額の支出が判明しました。総計は金貨にして一万枚以上、いかに当主といえども個人の裁量で扱える範囲を大幅に超えています。このまま放置しておいては兄一人の失墜では済みません。ドラギッチ商会全体の経営に影響する恐れがあります」

 ひどく深刻そうなクリシュトフに、エッチは具体的な部分を問い質す。


「実際に引き受けるとしてだ。俺の果たすべき役目はどうなる。身代金と引き換えに、ミヒャエル氏の身柄を受け取ってくればいいのか?」

「馬鹿なことを言わないでください。それでは全く解決になりませんよ。薄汚いあの男は、今後も兄につきまとい続けるに決まっている。そもそも相手の要求に唯々諾々と従うだけなら、レント一の戦士として名高いあなたに依頼する意味はない。つまり……お分りですね。あなたが何をするべきなのか」

 クリシュトフは含むところのある視線をエッチに向けた。エッチは答えず、ただ平然と見返した。クリシュトフは舌打ちした。


「自分の頭で考えられないんですか? 卑劣にも兄を虜にし、今この瞬間も身を脅かしている犯罪者を打ち殺して、当主の座を取り戻すんですよ。速やかに、かつ極秘のうちにです。兄のためにも絶対他人に知られるわけにはいきません。実行は今日の夜半から明日の夜が明けるまでの間です。まだ人の往来があるうちは決して近付かないようにしてださい。万一にも敵に気取られたら、全てが台無しになりかねない。難しい依頼だとは思います。ですがシュタイナーさん、あなたにならできる。いや、あなたにしかできないことです。どうか私に力を貸してください」

 クリシュトフが小さく頭を下げる。エッチはなおも沈黙を保つ。クリシュトフの苛立ちが目に見えて募っていく。

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