第17話 依頼

 いくら精神年齢が低そうでも、肉体的には大の男に違いない。まして傭兵などという純度の高い武闘派稼業の連中が好き勝手に暴れていれば、ただの女子小学生ごときに手も足も出せる余地はない。


「ほんっとに困った大人達だな……ルウくんはあんなふうになっちゃだめだよ。ちゃんと真面目に頑張って、将来は立派で素敵な男の人に成長するんだよ」

 気絶したままの青少年の頭を、莢はおざなりに撫でてやった。苦労して運んできたあと初めは床の上に放置していたのだが、いささか良心が咎めたので今は膝枕をしている。ルウィングの受難はおおむね自業自得だと思いはするが、莢がきっかけを作ったのも確かだ。


 未だ成長期を抜けきっていない外見のせいもあり、こうして髪を梳いたりしていると、頼りない弟の面倒を見ているみたいちょっと楽しい。

 けれど忘れてはいけない。ルウィングも赤猫亭の客なのだ。しかも相手はミアだという。

 もしかすると莢のこともそういう目で見ていたりするのだろうか。気持ち悪い、とまでは言わないが、正直あまり嬉しくない。


「サヤ」

「はいっ!」

 それなりに耳に馴染んできたはずの声に不意を打たれて、莢は弾けるように立ち上がった。膝枕から滑り落ちたルウィングの頭が床に当たってゴンッと結構な音を響かせたのにも気が付かない。


「エッチさん、おかえりなさい。もうお話は済んだんですか?」

 いつのまにか傍に来ていたエッチは、転がったルウィングを軽く見やった。だが特に何か言うこともなくすぐに莢へと視線を戻す。


「済んではいないな。むしろ話にもならなかった。お前の方はどうだった」

「見ての通りです……すいません、それこそお話になりませんでした」

 莢はしおらしく頭を下げた。もともと無茶振りだと思ってはいたのだが、想像をさらに越えて難易度の高い任務だった。あるいは予想通りの結果だったのか、エッチに莢を咎めるふうはない。


「また出直せばいい。今日はもう引き上げるぞ」

「どうやって、ですか?」

 途方に暮れた気分で周りを見渡す。どこもかしこも掴み合い殴り合いの真っ最中だ。巻き込まれずに抜け出すことなどおよそ不可能に思える。


「あ、そうか、きっと裏口が……」

「来い」

「……あるんですね、って、きゃっ!」


 奥の方を振り返ろうとした莢はがっしりと手首を掴まれた。そのまま問答無用で引っ張られる。

 エッチは莢を連れて普通に表の戸口の方へ歩き出す。果たして大丈夫なのだろうか。莢の心に不安が膨らみ、同時に小さな期待が生じる。実はここではエッチは誰もが一目置く大物で、たとえ乱闘のさなかだろうと、皆が遠慮して道を開けたりするのかもしれない。


 そんなことはなかった。

 ひどかった。まさしく傍若無人である。それとも猪突猛進だろうか。

 押し退ける払い除けるは毎度のことで、横から突きかかる者がいれば容赦なく肘打ちを叩きつけ、行く手を阻む者がいれば即座に前蹴りをぶち込んで悶絶させる。莢は置いていかれないようにするだけで精一杯、いやそれさえもはや自分の能力を超えていた。物が飛んでくる気配に咄嗟に首を竦めたものの、エッチに掴まれた手首は容赦なく前へ前へと引っ張られる。足がついていかずにつんのめり、このあと待っているのは硬い床だ。莢は激突の予感に目をつぶった。


「……あれ?」

 確かに硬い何かにぶつかるのを感じた。だが覚悟していたものとはかなり違った。転倒した瞬間、ぐいと引き寄せられた莢は、粗い布地とその下にある鍛えられた体に強く押し付けられていた。土埃と汗の匂いが莢の意識に鋭く刺さる。


「う、うーん、サヤ、なんか後頭部が痛……ん、え、ああっ、エッチさん!? 待って、どこに、がっ、ぐはっ、うぅ、う」

 後ろの方でルウィングが目を覚ましたらしき気配がしたが、かなりだめそうな呻き声を最後に、喧騒の渦に呑まれて消える。少々心配だ。しかしエッチに抱っこ、もとい荷物のように運ばれる莢にはいかんともしがたい。せめてもの幸運を祈っておく。


 莢にすれば嵐さながらの混乱も、エッチにはそよ風程度のものだったらしい。一度も足を止めることなく出口までたどり着く。扉を通り抜けて喧騒を後にするや、莢はあっさりと地面に下ろされた。


「んっ」

 もうこれで終わりなのか。思わず洩れてしまった嘆息に、エッチが敏く気付いてしまう。


「どうした。どこか痛めたか」

「い、いえ、なんでもないので」

 本当になんでもない。だからごまかさないといけないようなこともない。もう少しでいいからくっついていたかったなんて、世界が引っ繰り返ったってあり得ない。


「ねえあんた、シュタイナーさん? エッチゼルベリッチ・シュタイナーさん?」

 莢は高い声に注意を引かれて顔を向けた。支部のすぐ傍にいた子供が、とことこと二人の方へ寄ってくる。十歳ぐらいだろうか。髪も肌も薄汚れた感じで、服には穴や繕った跡が目立つ。しかし身なりに比べて本人に卑しい風情はなく、口の利き方もしっかりしている。

 誰かからの遣いのようだ。エッチも邪険に追い払うことはせず、男の子の相手をする。


「ゼルベリッチじゃない。ベルゼ、エッチベルゼリッチだ。俺に何か用か?」

「シュタイナーさんに渡してくれって、これ」

 男の子が折られた紙片を差し出す。受け取りながらエッチは訊いた。


「誰からだ?」

「知らない。通りすがりに頼まれただけだもん。じゃあ確かに渡したから!」

 男の子は言い捨てるようにして駆け出した。エッチはつかのま見送ったのち、四つ折りの紙を広げるとさっと視線を走らせる。


「なんですか?」

「仕事の依頼のようだな。これから会いに行ってくる。お前は一人で赤猫亭に戻って……」

「エッチさん」

 莢は咄嗟にエッチの言葉を遮った。考える間もなく口が動く。


「わたしも一緒に行きます」

 エッチは意味が分らなかったかのように眉をひそめた。もっとも変に思うのも当然だろう。言った莢自身が戸惑っているぐらいだ。


「理由は」

 だがエッチは至極真面目な様子で莢に問う。莢はかえって困ってしまった。

「えっと、なんとなく、その方がいいような気がしたから、です。どうしてもってわけじゃなくて……わたしにも仕事がありますし」

 莢が同行したところで、邪魔にこそなれ役立つ可能性はほとんどない。離れるのが淋しくてわがままを言った、そう取られても仕方がないところだ。実はそうなのだろうか。いや違う。違うはずだ。おそらく、きっと。


「いいだろう。一緒に来い」

 エッチはわずかに考えただけで頷いた。意外にも程がある。いったいどういうつもりだろう。だがこうなったからにはついていくしかない。莢は小さく気合いを入れた。

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