第16話 悪ガキども
「待て待て、なにも払わねえとは言ってねえだろ。リンに不義理を働くつもりなんざこれっぽっちもねえんだ。けどこっちにも事情ってもんがあってな? 少しばかり大目に見てくれるとありがたいんだがよ」
「任せてサヤ、僕が協力するよ! もちろん自分の代金は払うし、他の人の分の取り立ても手伝うからさ。この支部にいる赤猫亭の常連ならだいたい分る。ちなみにゲーデルさんはこないだ大きな仕事を終えたばかりだから、お金がないってことはないはずだよ。値引きとかしなくても大丈夫」
ゲーデルの首締めから逃れ出たルウィングが、莢へ熱心に主張を始める。ゲーデルは血相を変えてルウィングへ怒声を発した。
「おいふざけんなルウ、この裏切り者が! てめぇの筆下ろしに金出してやったのは俺だぞ! 一発目は入れる前に出しちまう、そのくせ二発目はなかなか立たねえで追加料金まで払ってやったってのによ。忘れたとは言わせねえぜ」
「わーっ、わーっ、黙れ、あんた最低だ! 恩を返せ恩を返せってあれから何度もしつこく僕にたかってきてるくせに! 二十歳も下の後輩に払わせるなんて、男として情けないとは思わないのかよ!」
「生憎ちっとも思わねえな。男として情けねえってのはな、ルウ、てめぇみたいな奴のことを言うんだよ」
「根拠のない中傷はやめろ! 僕はいつだって男らしくあるよう心掛けてるんだからな!」
「はっはー、笑わせやがる。あの小娘が言ってたぜ、ルウィングさんの相手は楽ですってな。『すぐ終わるし、アレも小っちゃいから』だとよ。どうだい嬢ちゃん、参考になったろ? けど皮かぶりだからって笑わないでやってくんな。こいつだっていつかは立派な大人になれる日が来る、かもしんねえしよ。せめてあったかい目で見守ってやろうや」
「えーと……」
莢はどう反応すればいいのか分らなかった。ついルウィングの方を見てしまう。ばっちりと目が合った。まだ多分に少年っぽさを残した顔が、火がついたみたいに真っ赤になっている。ほとんど泣き出しそうだった。
「くそーっゲーデルぅ、このやろぉーっ!」
「お、なんだこらてめぇ、やんのか? 上等だ!」
ついにブチ切れたルウィングがゲーデルへ掴みかかる。しかしゲーデルは自分よりだいぶ上背のあるルウィングを軽々と振り払い、突き飛ばした。
「ああっ? エールがこぼれちまったじゃねえかよ、気をつけろ間抜け野郎!」
ぶつかってきたルウィングを、ジョッキを持った男が乱暴に押し退ける。
「おい邪魔だボケ、こっちは大事な話してんだよ」
押された先にいた男は、ルウィングに容赦ない肘打ちを喰らわせた。もはや意識朦朧とした風情の少年は、ふらふらと足をもつれさせ、さらに別の男の方へと倒れ込む。
「ちっ、馬鹿野郎どもが。ここはガキの遊び場じゃねえんだよ。行儀よくできねえんだったら、うちに帰って母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってろや」
「年寄りは愚痴っぽくていけねえな。粥でも啜って家で寝てりゃいいんだ。ろくに足腰立たないんだからよ」
近くにいた若い男がせせら笑う。壮年の傭兵は額に青筋を浮かべた。
「ガキがイキってんじゃねえぞ。叩き出されてえのか」
「はんっ、上等だぜジジィ、やってみろよ」
「ひゃひゃひゃっ、馬鹿がいるぞ。いいぞーやれやれー、いてっ、おい、どこに目つけてんだよカスっ」
「なんだとぉ? そりゃあこっちの台詞だ、ウスノロ!」
ささいなきっかけから、小突き合いがあちこちで生まれる。しょうもない争いが連鎖して、やがて大乱闘が始まるまでにさして長い時間はかからなかった。
「はぁ……大人って、子供だな」
白目をむいたルウィングを引きずって早々と隅の方へ退避した莢は、心底残念なため息をついた。
#
実直傭兵団レント支部の支部長室は、知らなければ物置と勘違いしてしまいそうな狭苦しい場所だった。そのせいかあまり使われることもないらしく、壁際に寄せて置かれた椅子には埃が厚く積もっている。エッチは気にせず引き寄せると腰を落とした。
「バック、あんたも座れよ。遠慮はいらない」
「小僧、一つ大事なことを教えてやるがな、ここは俺のための部屋なんだよ。誰が遠慮なんかするか」
支部長のバックは皺の刻まれた顔を顰め、奥の机の後ろへ回り込んだ。大儀そうに腰を落ち着けたあとも苦々しげな様子を隠さない。エッチが口に出さなくても用件は承知のはずだ。しかし唇は不機嫌に引き結ばれたままである。
「ギブはどこへ行った」
「知らん」
エッチに無駄な駆け引きで時間を潰す趣味はない。だが単刀直入な問いに、にべもない答えが返る。露骨に鬱陶しがっていた。だがエッチに引く気はない。これで「はいそうですか」と納得するぐらいなら、わざわざバックと話をする意味がない。
「懸賞をかけろよ。居場所さえ分れば、俺が奴を吊るす」
「馬鹿抜かせ。ギブはれっきとしたここの支部員だ。そんな真似ができるか」
「ならさっさと除名すればいい。あんたは支部長なんだ。そのくらい簡単だろう」
「肩書きだけで好き勝手できたら苦労はねえよ。ギブにくっついてる連中はまだ何人もいるんだ。一方的に奴を追い出そうなんてしたら、悶着を起こすに決まってる。そもそも吊るすだけの理由がないんだから当然だがな」
「ニコラがギブの飼い犬なのは誰だって知ってたことだ」
刃先を抉り込むような口調だった。
「そんな男が団が正式に受けた護衛仕事で山賊に寝返り、同じ団員の俺を殺そうとしたんだ。それでもギブを放っとくってのか? どうして奴を庇う。まさかあんたまでぐるってわけじゃないだろうな」
「だったら訊くけどな、ギブがやらせたって証拠はあるのかよ」
「もし疚しいことがないんだったら、奴があのうざい髭面を見せなくなったのはどういうわけだ。いつもでかい態度でのさばってた野郎がよ」
「お前さんがいじめるからだろ」
とぼけたバックの言い分に、エッチはさすがに失笑した。
「あれがそんな可愛らしいタマなわけあるか。賭けてもいいが、絶対どっかでろくでもないことをたくらんでる」
断言したエッチに、バックは喉の奥で唸ると、石を彫って作ったような指を突きつけた。
「いいかエッチ、たとえてめぇの言う通りだとしてもだ、そこらでギブに出くわしたからっていきなり斬りつけたりするんじゃねえぞ。奴よりてめぇの方を邪魔臭く思ってる連中だって少なかないんだ。下手すりゃ支部を割っての大騒動になっちまう。俺はその尻拭いなんてごめんだからな」
常は支部の隅の暗がりで船を漕いでいるような老人が、殺意一歩手前といった眼光を浮かべて迫る。エッチはふっと息を吐き出した。
「もう手遅れみたいだけどな」
焦る素振りもなく立ち上がり、床へ視線を向ける。
階下から響いてくる物音はまさに大騒動そのものだった。ただし殺伐とした流血の気配などはなく、悪ガキどもがこぞって悪ノリしているといった風情である。喧嘩をしているのか遊んでいるのかさえ定かでない。
「……ったく、どいつもこいつも面倒ばっか起こしやがって。傭兵なんてのはろくでなしのクソばっかだぜ」
経歴四十年を数えた筋金入りの傭兵は、げんなりと顔を覆った。
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