第13話 外出

「関係ない」

 したり顔のミアに背を向けて、莢はせこせこモップを動かし始める。ミアはにんまりと笑みを浮かべた。


「そっかー、やっぱり泊まってたんだね。そしてサヤはエッチさんの家で一人寂しく自分を慰めて夜を過ごしたと……切ないね」

「馬鹿。ミアってば性格悪い」


「拗ねないで。サヤにはあたしがいるじゃない」

 ミアは莢の頬にくちづけた。不意打ちだったが、たぶんよけようと思えばよけられた。


「知ってる? リン姐さんってね、エッチさんからはお金取ってないの。だからあの二人は娼婦とお客じゃなくて、個人的なおつきあいをしてるってこと。でも気を落とさないでいいからね。サヤのことは、あたしがたっぷりと可愛がってあ、げ、る」

 いかにも誘惑する素振りでこちょこちょと首筋をくすぐってくる。莢はチョップで打ち落とした。


「もうミア、掃除の邪魔。ひっついてこないで。だいたいエッチさんはそういうんじゃないんだから。行く所のないわたしを拾ってくれただけで、父親みたいなものなの」

 ミアは急につまらなそうな顔をした。


「父親なら面倒を見てくれてるってものでもないけどね」

「ミア?」

 自分の部屋へ戻ろうとするミアを、莢は咄嗟に手を掴んで引き止めた。


「ミア、待って!」

「なに?」

 冷えた視線を返される。莢が怯んだのは一瞬だ。


「平気だよ。ミアにはあたしがいるでしょ?」

 口調は軽く、しかし強く気持ちを込める。ミアの事情は分らない。望まれてもいないのに、あえて踏み込むつもりもない。だが莢がミアの味方だと知ってほしい。


「……チューは?」

 やがてぼそりと洩らされたおねだりに、莢は今度こそたじろいだ。ミアにはこの前もしているし、今さら嫌なわけではないけれど。当り前みたいにするのは違うと思う。

 悩んだすえ、莢はミアの頬にくちづけた。ミアはくすぐったそうに身動ぎして、ちらりと視線を逸らすと、可愛らしく唇を指差す。


「こっちにはしてくれないんだ。サヤのあたしへの気持ちがその程度だったなんて。悲しいなー」

「ミアってば調子に乗り過ぎ。怒るよ」


「んー」

 莢がげんこつを食らわせる真似をしても、ミアはお構いなしで、目を閉じ唇を突き出して催促する。


「はぁ」

 しょうがない。ちょっとチュってするだけだ。莢はそのつもりだったのだが、口をつけた瞬間ミアにぎゅっと抱きすくめられていた。


 相手は背も年も莢より上だ。力ずくで振りほどくことはあきらめる。減るものではないし、ミアの好きにさせてやる。

 今日はぴったり唇を合わせているだけで、なかなか舌を入れてこない。いいけど。してほしいとかでは全然ないし。だけど毎回やられっ放しになっても面白くないから、いっそこっちから反撃するのはどうだろう。ミアが慌てるところを見てみたい。


「まだ暫く掛かりそうか?」

 いきなり殴りつけられたぐらい驚いた。すぐ後ろから聞こえたエッチの声に慌てふためき、莢はむちゃくちゃに手足をばたつかせてミアの腕の中から逃れ出た。

 やたら楽しそうなミアを睨みつけ、乱れた鼓動をなだめすかしてから、おもむろに振り返る。


「違いますから」

 強く主張する。誤解はよくない。莢とミアはあくまでも友達で、決してそれ以上の関係ではないのだ。

 不退転の覚悟で臨む莢と向き合いながら、エッチは硬そうな無精髭をざらりと撫でた。


「何がだ?」

「何がって……だからそれは」

 すぐ傍で見ていたくせに。腹立たしさで体がどんどん熱くなる。口ごもってしまった莢から、エッチは後ろのミアへ視線を移した。


「サヤを借りていくぞ」

「どうぞどうぞ。煮るなりやるなり好きなようにしてください」

「なんでミアが許可を出すの」

 莢は背中にくっついているミアを引き剥がし、持っていたモップを押し付けると、さっさと歩き出したエッチを追った。


     #


 ここは莢にとって異国どころか異世界の街である。少し慣れてきはしたものの、出歩く際には未だに緊張を覚えてしまう。対して本来の住人たるエッチには、当然迷いや恐れの気振りもない。そもそも足の長さが違ううえ、片や大人の男で鍛え抜かれた剣士、片や運動は得意でもただの小学生の少女だ。粗い道の上をぐいぐい進むエッチに遅れないようついていくのは結構大変なことだった。

 それでももっとゆっくりなどと頼みはしない。莢は軽く息を切らしながら小走りになる寸前まで足を速め、エッチの隣へ並ぶと顔を見上げた。


「どこに行くんですか?」

 まさか仲良くデートのつもりもないだろう。エッチに対する警戒心はさすがに薄れているものの、馴染みのない場所を目的不明のまま延々とさまようのは嬉しくない。


「そういえばお前に渡す物があった」

「え、なんですか?」

 振り向いたエッチに莢は瞬間声を弾ませた。だが安易な期待はすぐに打ち消す。少なくとも莢を喜ばせるためのプレゼントなどではないだろう。せいぜい日々の生活で役立つ品といったところか。一応一緒に暮らしているわけだし、それならエッチにとっても無駄にはならない。


「ほら、受け取れ。なくすなよ」

「……えっと」

 思わず首を傾げてしまう。渡されたのは四つ折の紙片である。広げてみる。人の名前らしき文字と数字が、ずらずらと並んでいる。


「すいません、意味が分らないんですけど」

「そいつはツケの一覧だ」

「って言うと?」


「つまり赤猫亭の客の未払い金だが、載ってるのは全員傭兵だ。これから団の支部に行く。お前が取り立てろ」

「取り立てろって……わたしがですか!?」

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