第12話 キス

 唐突にきわどい冗談を投げてくるのはやめてほしい。

 もちろん答えは拒否だ。お子様だと笑われるかもしれないが、やはりそういうのは大事なことだと思うから。


 莢は少しの恨みとたくさんの動揺の混じった熱を感じながらミアを見た。

 自分より少しだけ年上で、だけど大人にはまだ遠い顔立ちに、莢をからかう色はない。むしろ怒りながら泣いてるみたいだった。


「……分りました。キスします」

 全然勢い任せなどでなく、むしろためらいを山盛り抱えたまま、莢はこくりと頷いた。

 こんなことするのは初めてだ。瞳を互いに見合わせながら、おずおずと顔を寄せていく。ミアの汗の匂いがする。自分の匂いも伝わっているのかもしれない。本当にしてしまっていいんだろうか。女の子同士なのに。友達なのに。友達? そうなのかな。分らない。ミアはどう思ってるんだろう。友達になりたい。


 ほっぺかおでこにすればいい。仲良しならそのくらいは有りだと思う。

 ミアが真っ直ぐ莢を見返す。今さらできないとは言えない。もしごまかしたらきっと許してくれない。もう友達になれない。それはやだ。莢はミアにくちづけた。


 柔らかい。気持ち悪いとかはない。むしろ気持ちいい。けれどやっぱり恥ずかしい。そろそろやめていいかな。まだあとちょっと我慢しよう。嫌々してるって思われたくない。でももういいかな。いいかな。いいかな。頭の中で十数えてから、そっと距離を取る。


 なんだかやけに苦しいと思ったらずっと息を止めたままだった。今まで溺れかけていた人みたいに、忙しく吸って吐いてを再開する。ミアは黙り込んでいる。これでも仲良くなるには足りないらしい。自分としてはかなり頑張ったのだが。少しがっかりする。


「……ミアさん?」

 莢はミアの様子がおかしいことに気付いた。目の焦点が微妙に合っておらず、熱でもあるみたいに顔が赤い。どうしたんだろう。やはり昨晩の「仕事」のせいで体調が悪いのかもしれない。不安になる。

 リンに知らせた方がいいかと莢が考え始めた頃、気の抜けた調子でミアが洩らした。


「びっくりした。ほんとにされるなんて、思わなかった」

 なんだそれ。

 莢の目元に力がこもる。ちょっと聞き捨てならない。


「あ、そうですか。冗談だったんですか。いいですけど。そしたらわたしもただの冗談ってことにして忘れますから。なかったことにしておきます」

 わたしのファーストキスを返せ、とは言わない。どうせミアにとっては大して意味もないなんだろう。

 ミアは寝台の上で座り直すと、莢に手を伸ばした。女の子同士でも相手は裸だ。莢は後ろに下がりたくなったが我慢する。それはこちらの負けな気がする。


「忘れたらだめ。だからお返し」

「んっ!?」

 抱きつかれてキスされた。逃げようにも体がこわばってしまって動けない。そもそも逃げたいのかすら分らない。唇を強く吸われる。開いた隙間からミアの舌が滑り入る。絡め取られる。なぶられる。再び息が止まる。涙が滲む。胸が苦しい。だけど逃げない。だってミアが求めているから。


 永遠に続くようなひとときが過ぎ、しっとりと濡れた温もりが離れていく。

 莢はどんな顔をしていいのか分らなかった。ミアもきっと同じだろう。急に変な気分になってしまっただけで、今はもう後悔しているはずだ。

 ひとまず触れずにおくのが吉だ。朝のうちにやる作業もまだ残っているし、この場から速やかに退散するべく莢はさっと頭を下げた。


「すいません、わたしはこれで」

「ぷはー、ごちそうさま」

 変な言葉が聞こえた。一拍遅れて顔を上げると、ミアがやたらすっきりした笑みを浮かべている。


「……さすがに引くんですけど」

 莢はじとりとミアを睨んだ。ちょっと気持ちいいとか感じたのは絶対内緒だ。ミアが機嫌を取るように莢の両手を挟んで包み込む。


「ごめんねサヤ、悪気はなかったの。怒らないで。ね?」

「別に怒ってません」

「本当に?」

「本当です」

 全然ではないけれど。


「そっか。じゃあもっといっぱいしてもいいってことよね」

 ミアはわざとらしく唇を突き出した。莢はミアの手を振り払った。

「いい加減にしてください。わたしは今仕事中で、ミアさんにばっかり構ってる暇はないんです」


「あたしの相手だって仕事のうちよ。サヤが貰ってるお金は、いったい誰が稼いでると思ってるわけ?」

「そうですね、分りました。じゃあ今後ミアさんには常に仕事として接することにします。無駄なおしゃべりなんかも一切しません。それでいいですね」


「ぶー、やだやだ、そんなのつまんない、あたしはサヤと遊ぶのー」

 ことさら子供っぽい仕草でぽかぽかと叩いてくるミアに、莢はこらえきれず吹き出した。

「もう、あんまり困らせないでよ……ミア」


     #


 その日も莢は朝から掃除をしていた。ここがどんな場所で、一晩にどれだけ不埒なことが行われようと関係ない。いや赤猫亭に雇われて働いているのだから関係ないことはないのだが、莢のやることに違いはない。とりあえず今は廊下を綺麗にすることだ。ただひたすらに床を磨く。底も抜けよとばかりに力を込める。


「ふぁあ……おはよー、サヤ」

「おはよ」

 廊下に並んだ扉が開き、いかにも眠たげなミアが出てくる。まだ半分夢の中にいるみたいにふらふらだ。泊り客こそいなかったものの、昨晩も連続して複数の相手を迎えたらしい。明らかに今起きたばかりというだらしない格好を注意しようとして、しかし莢は暫し口を開けっ放しにしてしまった。


「……あのさ、ミア」

「ん、どうかした?」

 モップを握り締める莢に、ミアが擦り寄る。着ているのはタンクトップ一枚だけだ。莢は赤らんだ顔をそっと逸らした。


「下、なんにもはいてないんだけど」

「ああ、忘れてた。でもどうせ誰も見てないし」

「わたしがいるんだけど」

「サヤはいいの」


「ちっとも良くない。親しき仲にも礼儀ありってね。女の子なんだからちゃんとしなよ。みっともない」

 莢は声を尖らせた。ミアが眉をひそめる。


「どしたのサヤ。なんか機嫌悪い?」

「別に。いつも通りだし」

「エッチさんが、またリン姐さんのとこに泊まったから?」

 莢の持つモップが床を抉った。

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