第11話 裸
莢はまだ子供だ。少なくとも元の世界では名実ともに子供として扱われる年齢だった。それでも大人達のすることが何も分らないほど子供ではないし、こちらの世界では年齢による区別にさしたる意味はない。一人前と見做されるかどうかは、どれだけのことができるかによって決まる。
「おはようございます、そろそろお帰りの支度をお願いします。もし時間までに退出されない場合は、追加の料金をいただきます」
泊り客のいる部屋の戸を叩いて回る。赤猫亭の下働きとしての、莢の朝の仕事の一つである。
部屋の中にいるのは当然客ばかりではなく、莢とは違って「一人前の働き手」が同じ寝台で休らっている。たいていは二人とも裸のままで、しかも生臭く湿った空気がこもっていたりする。なのでできればあまり踏み込みたくない。ぱっと戸を開けて声を掛け、またぱっと閉じて次の部屋に移る、といったふうに流していくのがせいぜいだ。
「おはようございます、そろそろお帰りの支度をお願いし……」
しかしその部屋にいた客の姿を見てなお反応せずやり過ごすのは不可能だった。口を開けたまま立ち竦んでしまった莢に、泊り客の男は悠然と体を起こして顔を向ける。
「サヤか。ゆうべはどうだった。何も問題なかったか」
「……え、特にこれといって、てっ、やっ、馬鹿!」
全速力で顔を背ける。毛布を取り除けて寝台から下りたエッチは、下着の一枚すら身につけていなかった。しかも朝の男性にはよくあるらしい生理現象が威風堂々と発現している。軽く心の傷となって残りそうな光景だ。
「はぁ、おはよサヤ。悪いけど、あたしはもうちょっと寝かせてもらうから。よろしくねー」
「は、はい分りました。おやすみなさい」
艶のある赤毛を裸身にまとわせたリンが、寝そべったままもぞもぞと毛布を引き上げ丸くなる。かなり眠そうだ。きっとゆうべは遅くまでエッチとエッチを、などと考えそうになって莢はそそくさと踵を返して部屋を出た。すぐさま扉を閉めたあともまだ心臓がばくばくしている。昨晩エッチが帰らないことは事前に聞いていたが、リンのところに泊まるのまでは知らなかった。
もちろん二人とももう立派な大人であり、合意の上でそういうことをするのは自由だ。莢が文句をつける筋合いなどはない。エッチの元で暮らしているのも半ば無理やり押しかけたに等しく、被保護者として正式に引き取られたわけでもないのだ。莢に責任を感じてエッチが品行方正に振る舞うなど期待する方がおこがましい。
よし、もう落ち着いた。わたしは全然気にしていない。
無心の境地で次の部屋に移動する。これは仕事なのだ。給金だってちゃんともらえる。真面目に取り組むのは当然のことで、エッチ抜き(莢にはまだ縁のない方の意味だ)で雇ってくれたリンのためにも、任された役割はきちんと果たさないといけない。あの程度でいちいちうろたえてはいられない。
「おはようござ……」
既に気持ちを切り替え、さらに別の部屋の扉を開けるや莢は絶句した。寝台の上に裸の少女がうつぶせている。手足はくたりと投げ出され、血の気を失った肌には乾いた汚れが点々とこびりつく。客の姿はどこにもない。逃げたのか。どうして。取り返しのつかないことをしてしまったから?
「ミアさん!」
竦んだ足を無理やり動かして駆け寄り、莢は自分より一つ年上の少女に恐る恐る手を触れた。すぐにほっとする。ちゃんと生きている人のぬくもりだ。最悪の想像はどうやらただの杞憂だったらしい。
「……サヤ?」
静かにミアを揺すると、やがてうっすらと目が開いた。いくらか朦朧としているふうではあるが、ぱっと見た限り特に怪我などもしていない。莢は床に落ちていた毛布を拾い、ミアの体を覆った。
「ミアさん、大丈夫ですか? リンさんに知らせた方がいいですか?」
もし何か問題が起きたのなら色々と対応も必要だろう。もちろん看病など莢にできることがあるならする。ミアはとても大変な経験をしているはずだ。関わりたくないなんて思わない。むしろ少しでもいいから助けてあげたい。
ミアは億劫そうに体を起こした。莢の掛けた毛布がずり落ち、小振りな乳房があらわになるが、気にした素振りはない。
「別に平気。お金はちゃんと前払いでもらってあるから。また来てくれるってさ」
ミアは小さく口の端を曲げた。笑ったのだと莢は遅れて気付く。
「そんなのどうだっていいです! わたしはミアさんを心配してるんですよ?」
「あんたが、あたしの何を?」
「何って……どこか痛いところはないかとか、気分は悪くないかとか、辛くないのかとか。そういうことですけど」
「ふうん」
ミアは他人事みたいに冷めた相槌を打つ。
「じゃあ、痛いし気持ち悪いし辛いしもうとても我慢できないってあたしが言ったら、サヤが代わりにやってくれる?」
莢の思考は一瞬止まった。
ミアの代わりに自分がやる。その意味するところは即ち。
薄い胸の膨らみが目に入る。莢はうつむいた。
「……でもわたし、したことないし」
「あたしもだよ」
「え?」
「だからあたしも、去年ここに来るまでなかったの」
「ごめん。ごめんなさい」
あさはかだった。莢自身も危うく同じことをされかけたというのに、まだどこか架空の話みたいに考えていた。だがミアにとっては逃れられない現実だ。形だけの同情なんかに意味はない。
「……正直、いやです。好きでもない人と、そんなことしたくないです。けど」
莢は心を励ましてミアを見つめた。ミアは表情を消している。きっと望まれている答えとは違うだろう。それでも嘘はつきたくない。
「ミアさんがどうしてもそうしてほしいって言うなら、考えます」
莢を馬鹿にするように、ミアが短く息を洩らした。
「それ、結局断るってことじゃない」
「約束できるのは、しっかり本気で考えるってところまでです。そのあとどうするかは、わたしにも分りません」
「サヤ」
ミアは体から毛布を払い落とした。全てが朝の光の中にさらされる。莢は咄嗟に目をつぶった。
「だめだよサヤ。ちゃんとあたしを見て」
「すいませんミアさん、まだ仕事が残ってるので話はまた今度で」
「行っちゃうの? サヤはあたしのことが嫌いなんだね。汚いから、一緒にいたくないんだ」
「絶対そんなことないです! ミアさんは綺麗です!」
「ならキスして」
「ふぇっ?」
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