第6話 ミア

「すいません、経験はほとんどないです。でもできる限り頑張ります」

 莢はやる気があることを伝えた。リンは子猫を愛でるように莢の頭を撫でてきた。

「張り切ってるわね。じゃあ少ししたら早速お願いしようかしら。できそう?」


「大丈夫です。やり方を教えてもらえれば、なんでもします」

「なんでも……ふふ、頼もしいわ。仕込み甲斐がありそうね」

 リンが髪の毛を梳いてくる。やはり子供を世話する母親の心境なのかと思ったが、それにしては手つきが妖しく感じられるのはどうしてだろう。首筋が妙にざわざわする。


「でもねサヤ、そんなふうに気負ったらだめ。力を抜いて、身も心も楽にするの。その方が上手くいくわ」

「ひゃっ?」

 いきなりおでこにキスされた。


「相手が来るまでベッドで待っててね。そのまま寝ちゃっても構わないから」

 驚きに固まる莢を、リンは柔らかく押しやった。導かれるまま再び寝台に横たわる。


 これからどうすればいいのだろう。莢はぼんやりと考えた。リンの言った相手というのは、一緒に仕事をする人のことだろうか。初心者の自分に、仕事の仕方を色々教えてくれるのかもしれない。だとしたら先輩だ。寝転んで待つなんて失礼だ。頭の片隅では思いながらも、どうにもまぶたが重くてしょうがない。けれど問題はない。雇い主のリンが寝ていてもいいと言ったのだ。眠気を引きずったままでは満足に働けないだろうし、もう少しだけこのままで……。


「……おい、起きろって。こっちは高い金払ってるんだぜ。楽しませてくれよ」

 莢はぽっかりと目を開けた。意識はすぐに明瞭になり、なのに自分の置かれている状況が皆目理解不能だった。誰かが自分に覆いかぶさっている。知らない男だ。いったいどういうつもりだ。顔がやたら近い。すぐにどいてほしい。だから近いってば。本当に近過ぎる。

 ひたすら混乱するばかりの莢に、見知らぬ男は生温かく湿った息を吐きかける。


「お前、初めてなんだってな。少しぐらい痛くってもぴいぴい泣くんじゃねえぞ。我慢してればちゃんと気持ちよくしてやるからよ。ひいひい鳴くほどな」

 男はいやらしい笑いを浮かべると、唇を突き出して莢の方へと近付ける。男との間にあったわずかな距離がなくなる。莢の全身に鳥肌が立った。


「やだっ!」

 ぎりぎりのところで力を絞り出し、体を横へ回転させる。男の腕を巻き込む形で二人は縺れ合い、もろともに寝台から落下した。


「がっは……」

 運が良かった。男はものの見事に莢の下敷きとなって、背中をしたたかに床に打ちつけ苦しげに呻き声を上げている。対して莢の方は全くの無傷だ。だがぐずぐずしてはいられない。すぐにも逃げなければ我が身が危うい。


 莢は跳ねるように立ち上がると、部屋の扉に飛びついて把手を掴んだ。抵抗なく回る。鍵は掛かっていなかった。よしっ。思わず拳を突き上げる。

 そのまま廊下に出る。どっち? あっちだ。建物の出入り口らしき場所が見えている。勇んで駆け出した瞬間、進もうとした先にある扉が開いた。


「あふぁー、眠……」

「わっ、どいて!」

「え、え?」

「ひゃっ!」

「あたっ」

「いたっ」

 よけるのも止まるのも間に合わない。正面から鉢合わせして、互いを弾き飛ばし同時に尻餅をつく。


「もう、なんなのよいったい……」

 涙目で鼻を押さえているのは、莢より少し年上ぐらいの女の子だ。どうやら今起きたところらしく、タンクトップにパンツ一枚きりというひどく隙だらけの格好だ。


 莢はつい見入ってしまった。この子はここに泊まっていたらしい。しかしエッチとリン、それにさっきの男の言動を考え合わせると、赤猫亭というのはきっとおそらくもしかして。


「待てこら売女が、ふざけるんじゃねえぞ!」

 男の怒鳴り声が背中を叩く。まずい。莢は焦って立ち上がった。今は考えてる場合じゃない。

「ごめんね、ごめんなさい!」

 未だ尻餅をついたままの少女に頭を下げて、莢は全速力で逃げ出した。


「……えーっと」

 ミアは呆気に取られながら、女の子が走り去るのを見送った。首を傾げる。誰だろう。髪と肌の色は西方民系の感じだったが、それにしてもずいぶん変わった服装だった。たぶん自分より年下だ。顔つきも体つきも全然子供っぽいのに、瞳の光だけは強かった。たぶん今のミアよりもずっと。


「ちくしょう、金返しやがれ! いやそれじゃとても気が済まねえぞ。捕まえてふん縛って足腰立たなくなるまでやってやるからな!」

 奥の部屋から出てきた男がやかましく喚き散らす。ミアは顔をしかめた。だが男の態度はともかく、身なりは案外まともである。押し込み強盗などではなく、ちゃんとした客だろう。しかも比較的上の部類だ。

 さっきの子の様子から、おおよその事情を察する。しょうがないな。ミアは怠い体に力を入れて立ち上がった。


「お兄さん、ちょっと落ち着きませんか?」

 怒りで熱くなっている男にしなだれかかり、上目遣いでなだめる。男はなおも興奮もあらわに、持て余した鬱憤をミアにぶつける。


「冗談じゃねえぞ。評判のいいところだってから来てやったのに、ありえねえだろうが。この宿じゃ客にこんな扱いするのか!?」

「こんな扱い? 例えばこんなふうな感じですか?」

 男に密着しながら前の部分をさわさわと撫でさすり、同時に背伸びして首筋に息を吹きかける。


「ねぇ、あたしじゃだめですか? 一生懸命ご奉仕しますから。ね?」

「お、おう、そうか。ったく、しょうがねえなぁ」

 男はだらしなく口元を弛めると、ミアの体を抱き寄せた。ミアは酸っぱいものを飲み込んだような表情を隠して、男の胸へ押し付けた。

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