第2話 待ち伏せ

 落とし物をしたのに探しに戻りたくはないみたいな、半端な足取りで校門を出る。家に帰ったら父親のヘッドホンを借りてパンクかクラシックでも聴こう。どっちがいいかと頭の中で検討を始めてすぐ、さやは足を止めさせられた。


「遅いわよ。いつまで待たせるの。あんた何様のつもり?」

 美優みゆと他三名のクラスメートが、莢の前に立ち塞がる。もちろん待ち合わせの約束をした覚えなどなかったが、美優はせっかく綺麗に整えた眉を吊り上げて迫ってくる。


「莢、あんた健太とどんな話してたのよ。言っとくけど、隠しても無駄だから。こっちは全部分ってるんだからね」

 矛盾している。本当に全部分ってるなら、わざわざ訊く必要なんてないはずだ。


「美優には関係ない。通して」

 美優の事情はたぶん理解できた気がする。けれど莢から明かすべきことなんてない。構わず帰ろうとした莢の腕を、美優が掴む。


「だめよ。全部話すまで逃がさないからね。まさか、つき合うことになったって言うんじゃないでしょうね。冗談じゃないわよ。あんたなんかじゃ、健太と全然釣り合わないんだから!」

「やめてよ。大きな声出さないで」


 これでは周りにいる子達にまで筒抜けだ。莢も恥ずかしいし、健太にとっても迷惑だろう。

 健太のことが好きなら、直接本人に言えばいいんだ。もちろん邪魔なんてしないから。もっともあえて応援する気にもなれないが。

 もう面倒くさい。強行突破を図り、美優達が作る壁の隙を窺う。


「やっと見つけたぞ、このガキ!」

 だが突然響いた暴力的な怒声に驚き、莢は刹那その場に立ち竦んだ。

「なめた真似しやがって! 来い!」


「やっ!?」

 知らない男がずかずかと近付いて、美優の頭を鷲掴みにする。長い髪を力任せに引っ張られ、美優が甲高い悲鳴を上げる。


「誰よあんた! 痛い、痛いってば! 離して!」

 じたばたと暴れる美優を、男がギラついた目で睨みつける。三十歳ぐらいだろうか。シャツにズボンと服装は普通だが、中身はかなりおかしくなっているようだ。雰囲気がまじでやばい。完全に通報案件だ。


「ビッチのガキが、何度も似たようなことやってるせいで、いちいち覚えてられないってわけか? ふざけやがって。だったら永遠に俺を忘れられないようにしてやるよ!」


 男は力ずくで美優を近くのワゴン車の方へ引っ張っていく。中に押し込まれて車が走り出してしまったらおしまいだ。ここに至って莢の頭と体がようやく活動を開始した。


「先生呼んで来て、早く!」

 未だ棒立ち状態の美優の取り巻き達に言いつけると、莢自身は男へ向かって突進した。


「てえいっ!」

「うおっ!?」

 問答無用で膝裏に蹴りをぶち込む。がくりと仰け反った男の手から美優を奪い取り、力任せに背後へ押しやる。


「美優、逃げて!」

 そして莢はその場にとどまって、小憎らしげに男を見上げる。

「どっか行けヘンタイ、ロリコン野郎!」

「お前もあいつらの仲間だな!?」


 男はたわいなく挑発に引っ掛かった。莢を捕まえようとする腕をかいくぐり、美優を逃げさせたのとは逆の方へ足を向ける。力では勝てっこない。けれどすばしっこさならきっとこっちが上だ。大丈夫、逃げきれる。


「んぐっ」

 楽観をバネに駆け出した莢の首元がいきなり締まった。パーカーのフードを掴まれたのだと覚るやくるりと反転、跳躍して男の顔面に頭突きを見舞う。


「いってぇ……クソが、どいつもこいつも俺のこと馬鹿にしやがって!」

 犯罪者の恨み言などわざわざ聞いてやる義理はない。莢は男を振り払い踵を返した。直後、背中を蹴られる。


「あ……」

 莢は痛みよりも驚きでぽかんと口を開けた。蹴られた勢いで飛び出してしまった道路上、轟音を響かせながら大型トラックが走りくる。


 頭の中が真っ白になる。気付けばもうトラックは目と鼻の先にいた。一秒後には莢は跳ね飛ばされてぼろぼろの人形みたいになっている。これで助かったら不可思議な奇跡だ。


 莢の視界がいきなり歪んだ。天地が引っ繰り返ったみたいに意識が回り、ぐにゃりと空間がねじ曲がる。その先に光があった。広さのない光の点はやがて二次元の円となり、円の表面が波を打って三次元の深みを備える。


 莢は迷わなかった。迷う間がなかった。このままでは死んでしまうと考えが及ぶより先に、真空に開いた光のトンネルに飛び込んだ。うねる渦に吸い込まれ、底の見えない縦穴へ落ちていく。自分という存在が無に還り、この世の涯まで拡散する。狭間を超えた。

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