「確かに目安箱ならば、匿名で依頼が可能だね。しかし、これが二つ目だけれど、匿名にする必要はどこにあったのか、理解ができなくてね」
言いながら、立てていた指を二本に増やす倉科先輩。そのまま、続けて言葉を発する。
「ドッペルゲンガーという、非日常的なワード。筆跡で判断できずとも、調べればすぐに君へと辿り着いただろう。そこで内密な話かと思ったのだけれど、そうではないと君は言う。では、何故なのか。相談者が誰であるのかを突き止めないと、僕たちは話を聞くことも調査することもできなかったのだよ? 君ともあろう人が、失念していたとは思えないね」
「あまり、騒ぎ立てたくはありませんでしたので……美化委員の皆さんの目に触れる可能性があることを思うと、名乗ることに抵抗があったのです。お手間を取らせてしまったことは、謝罪致します」
すっと、頭を下げる狐崎会長。
行為を受けて、手を下ろした倉科先輩は、彼女へ頭を上げるように言った。
「そのようなことで、謝罪をしてもらう必要はない。止めてもらえるかな」
「……失礼致しました。では、重ね重ねの失礼を承知で伺わせていただきます。わたくしは、どのようなことに対する謝罪を求められているのでしょうか?」
「そうだね。君にそのつもりがあるのなら、ドッペルゲンガーに対して、かな」
「ドッペルゲンガーに、謝罪?」
さすがの狐崎会長も驚き、その顔から笑みを消していた。
無理もない。迷惑を被った、その原因であるドッペルゲンガーからの謝罪でなく、被害者であるはずの狐崎会長こそが謝れと言われたのだから。
「君には、ドッペルゲンガーが人間だとわかっていた。だから昨日、目撃以来現れていないドッペルゲンガーに対して『このまま大人しく過ごしていてもらえるとありがたい』と言えたのだろう? これが三つ目だ。この発言を、とてもおかしいと思うのは僕だけかい? 超常現象かもしれないものに対して、『現れる』や『消える』ではなく、『大人しく』? 理由があるのならば、教えてもらえるだろうか」
「それは……」
言い淀む会長。倉科先輩は、更に畳みかける。
「それだけではない。先程、ここへ僕たちが訪れた時もそうだった。君は『無事に
指を四本立てて、倉科先輩の疑問点は留まることを知らない。
曲げていたままの親指を伸ばして、「最後にもう一つ」と続けた。
「先程、ドッペルゲンガーを捕まえたと伝えた時のことだ。君は喜んだが、『捕らえた』という言葉に対して、一切驚かなかったね。捕まえられる存在だと、人間だとわかっていたということなのだろう? それだけではない。その人間が、捕まえなければならないような相手、ならびに理由があることも知っていたのだよね? そっくりな他人ならば、捕まえる必要などないのだから」
ついに、狐崎会長は黙ってしまった。
自身の左手首を、右手でぎゅっと掴んでいる。
「おや、黙ってしまったね。そろそろ、言い訳が底をついたのかな?」
「……もし」
挑発するように、倉科先輩が俯き加減の狐崎会長へと、セリフを吐く。
すると、言葉を受けた会長は、静かに口を開いた。
その表情は、普段の穏やかなものではなく、こちらを窺うような、不服そうなものだった。
「もしも、仮にそうだったとして。倉科委員長の仰る通り、わたくしにはドッペルゲンガーの正体が人間だとわかっていたとしましょう。その場合、何が問題になるのですか? わたくしは被害者。困っていたのです。その犯人を捕まえるべく取った行動に、どのような問題点があるのでしょうか?」
頬を引きつらせた狐崎会長の発言を受けて、倉科先輩は、これ見よがしに「はあーっ」と盛大に嘆息した。
普段穏やかな会長も、まだ高校生。そんなあからさまな反応をされて、むっと険しい顔を倉科先輩へと向けている。
「何が問題かだって? そのようなことを、君は本気で言っているのかい? ここまでとは……これは困ったね。狐崎会長、今の発言がとんでもない失言だと、気付かないのかい?」
「失言?」
がしがしと頭を掻く倉科先輩。纏りのない髪が、更に取っ散らかった。そんな自身のヘアスタイルになど微塵も気を回すことはなく、先輩はどこか気怠そうに手を下ろした。
対する狐崎会長は、何を言われているのかわからない様子。
その反応に、倉科先輩は再び嘆息した。
「わからないのかい? ドッペルゲンガーの正体をわかっていた上で取った行動なのだとしたら、君はとんでもなく底意地の悪い人間だということになるのだよ」
「わたくしが、底意地の悪い人間……?」
ひく、と表情を硬くする狐崎会長。
倉科先輩は、彼女の変化など興味なさげに、胸の前で腕を組んだ。
「だってそうだろう? 君は目安箱が設置されたことを聞いて、早速行動に移している。ドッペルゲンガーが美化委員に所属していることを知った上で。君たちは同じクラスなのだから、調べるまでもないことだ」
そうか……確か二人とも三年二組だ。美化委員はクラス内で、一番注目される委員。犠牲者になるのが、いったい誰なのか。嫌でも意識することになる委員会だ。
そのため、自分のクラスの美化委員が誰なのかは、無意識下で覚えてしまうというもの。
つまり、狐崎会長は
彼女がドッペルゲンガーだとわかっていて行動したのだとしたら、彼女の目に投書が触れることを見越しての動きだとしたら……確かにそれは、性格が悪いと言われても仕方がないように思えた。
「ドッペルゲンガーを、狸塚さんをそうやって困らせ、牽制するためだったのかな? 二度とふざけた真似をするな、とでも脅すように。まあ、あの様子では、もう二度と行わないとは思うけれどね。九割の生徒を騙しているその手腕……僕には真似できそうもない。まったく、畏れ入るよ」
「九割、ですか? 騙すとは……?」
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