集団感染

1

 放課後の生徒会室。室外では遠く、部活動に勤しむ生徒たちの声が、学校を賑やかすかのように響き渡っていた。

 しかし、この場は相反して、息づかいさえ聞こえてしまいそうなほどに、しんと静まりかえっている。

 頭の隅で規則正しい秒針のリズムを捉えながら、意識を思考の世界へとダイブさせた。

 とにもかくにも、どうしてこんなことになっているのだろうか。

 私の脳内は、現状にまったくついていけていない。

 先程、ドッペルゲンガーの正体を突き止めて。

 そうして、結果を報告するために訪ねた生徒会室の、相談者本人である狐崎きつねざき会長を前にして。

 しかし、あろうことか倉科くらしな先輩は、被害者である狐崎会長に対して、を実行すると言い放ったのだ。

 それも、どうやら嘘や冗談などではないらしい。

 彼は、いつもの掴みどころがない笑顔ではなく、珍しく真剣な眼差しを長い前髪の向こうから、狐崎会長へと注いでいた。

 その視線を受けているほんわか美人は、気付いていて受け流しているのか。はたまた、単に気付いていないだけなのか……普段の優しげな笑みを、変わらずそっと浮かべていた。

 そうして小首を傾げつつ、上品に片手を頬へ添えている。

 風のない中、ふわりとボブが揺れた。

「倉科委員長。失礼ながらそれは、いったいどういうことなのでしょうか。確か、ドッペルゲンガーの件でお話があるとのことでしたけれど……」

「もちろん。ドッペルゲンガーのことで話があるのだよ、狐崎会長」

「……しかし今、聞き違いでなければ倉科委員長は『掃除』と仰っておられましたが」

「確かにそう言ったね」

「……。では、わたくしの認識違いでしょうか……美化委員の清掃対象には、も含まれていたように思うのですけれど」

 にこりと、微笑みを崩さずに問う狐崎会長。

 対する倉科先輩は、すっかりとその表情から笑みを消し去っていた。

 発する声音は、まるで氷のように冷たく、鋭い。

「その認識に相違はないよ。僕は狐崎会長。君をだと判断した」

「わたくしが、美化委員の。倉科委員長の、清掃対象……そう、ですか……」

 まるで独り言のように呟いて、すっと伏し目がちになる狐崎会長。

 その声音から感情を読み取ることは、できなかった。

 私は、口を挟むことはもちろん、息をすることすら許されていないような気になる。

 空気が重い……呼吸とは、こんなにも苦しいものだっただろうか。

「わたくしは、自身が被害者だと捉えておりましたが……しかし、そうではないということでしょうか」

「そうだね。君は確かに被害者だ。しかし、したたかでもある。君のような人が、被害者であることに甘んずるとは思えない。まったく、恐ろしい人だよ。誰もが君の表の顔に騙されているのだからね。名女優という言葉は、君にこそ相応しい。いや、ここは詐欺師と言うべきだろうか」

「詐欺師? わたくしが?」

 目を丸くして驚く狐崎会長。

 苦笑を浮かべて、笑えない冗談を言われているとでも思っているのだろうか。

 くすくすと小さく肩を揺らしてさえいた。

「わたくしが詐欺師だと仰るなら、いったいどなたを騙したというのでしょう? 表の顔というのも申し訳ございませんが、わたくしには理解が及びません。倉科委員長。どうかこのわたくしにもわかるよう、教えてくださいますか?」

「あくまで白を切るつもりだね。そうくるとは思っていたよ」

 狐崎会長をまっすぐに見据えて、正面から対峙する倉科先輩。

 この様子の先輩を、私は以前にも見たことがある。猫田ねこた先生のイカサマを暴いた時のそれだ。

 先輩は今、狐崎会長に対して怒っているんだ。

「当初の依頼だが、ドッペルゲンガーは捕まえたよ。安心するといい。もう二度と現れないだろうからね」

「さすがは倉科委員長、白瀬しらせ副委員長です。迅速な対応、恐れ入ります」

「ドッペルゲンガーの正体が誰かまでは、言う必要などないだろう? 君にはもうわかっているのだからね」

「え?」

 どういうこと? 狐崎会長がドッペルゲンガーの正体を既に知っていた?

 私が思わず声を上げて驚いていると、にこり。狐崎会長が、微笑みながら首を傾げた。

 その眉尻は下がっている。

「申し上げにくいのですが、倉科委員長は何か勘違いをされておられるのではないでしょうか。わたくしは、ドッペルゲンガーが超常現象であるのか、はたまたそっくりな方が存在しているのか……。そのことすら判然とせず、悩んでおりました。そのため、お二方に相談をさせていただいたのです」

「いや、君は知っていた。この件に説明のつかない不可思議な現象など、一切絡んでいないと」

「……何故、そのように断言することが可能なのでしょうか?」

「君の発言、行動……節々に違和感があった」

「わたくしの言動に、違和感……?」

 狐崎会長の声音に、困惑が混じる。私も同意見だ。違和感なんて、そんな場面などあっただろうか。

 じっと倉科先輩を見つめていると、「まず」と言って、彼は人差し指をすっと立てた。

「一つ目。何故、この件を怪異調査同好会にではなく、美化委員へ相談したのか」

「そのことに関しましては、昨日お話させていただきましたが」

「フクロウちゃんに関わると、生徒会の役員たちを巻き込むから、だったかい? よくわからないことを言うのだね。結局、昨日フクロウちゃんは、ここへ来たのだろう? 彼女が美化委員であることは、有名なはずだけれどね」

 昨日、確かに神代かみしろ先輩は、この生徒会室へ来たのだろう。

 本人が言っていたのだ。嘘を吐く人でもないし、間違いない。

 怪異調査同好会でなくとも、美化委員へ相談すれば、あのオカルト好きな神代先輩のことだ。遅かれ早かれ、ここへ辿り着くのは目に見えている。

 彼女と関わらずにいることは無理な話だと、誰もが予想できることだ。

 むしろ、今まで彼女にバレなかったことは、奇跡と言っても大げさにはならない。

 それだけ神代先輩は、目敏めざとく、耳聡みみざとい。

「確かに、彼女は来られました。倉科委員長が疑問に思われるのも、無理のないことでしょう。ですが、匿名で相談をさせていただきたかったという訳も、ありましたので……」

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