6

 翌日。昼休みに、私は自身の教室で戦慄することになる。

 ざざっと、クラスメイトたちも身を引いていた。

 その原因は、目の前の男――倉科将鷹のせいだった。

「せ、先輩? 何か御用でしょうか……」

 倉科先輩自ら、わざわざどうしてこの一年の教室を訪ねてきてくれたのか。

 驚きのあまり頭が働かない私は、何とかそう言うので精一杯だった。

「見てもらいたいものがあってね。昨日はわざわざ来てもらったから、今日は僕が来たよ」

 にこりと、いつもの笑みを浮かべている倉科先輩。

 何だかありがたいというか、申し訳ないのだけれど。クラスメイトが怯えています、先輩。

「わざわざ、すみません」

「気にすることはない。君は、僕のパートナーなのだからね」

「あ、あはは……」

「あなたが倉科先輩ですね。小鳩がお世話になってます」

「志鶴……」

 すっと、私の隣に立つ志鶴。精一杯、頭何個分も上にある先輩の顔を見上げている。

 ちょっと、何だか目つき悪いよ、志鶴。やめてよ? 揉めごと起こすのは。

「君は?」

間宵まよい志鶴といいます。こいつの幼なじみです」

「間宵志鶴くんか……初めまして。僕は倉科将鷹。よろしくね、ツルくん」

「つ……」

「ツル、くん?」

 しん、と教室が静まりかえる。

 たった一人にこにこしている先輩をよそに、志鶴のこめかみがぴくりと震えた。

 瞬間、私は慌てて倉科先輩を連れて教室を出て行く。

「せ、先輩! 昨日の調査の続きでしょうかね? であれば会議室に行きましょう! それが良いです。そうしましょう!」

「は、ハトちゃん? 自分で歩くのだけれど?」

 戸惑いの声を上げながらも従ってくれる先輩の背をぐいぐいと押して、そうして私は、一年の教室が並ぶ廊下から離れた。

「ハトちゃんにしては、珍しく大胆な行動だったね。何かあったのかい?」

「い、いえ……教室ではゆっくり話ができないと思いまして……」

 あははと空笑いを浮かべながら、手をこまねく。

 この人、本気で言っているのか?

「それもそうだね。しかし、会議室は空いていないから……」

 言いながらきょろきょろと、辺りを見渡し始める倉科先輩。

 そうして、そばの空き教室に目をつけた。

「ここにしよう。僕は次の授業をここで受けるのだよ。だから、ちょうど良い」

「わかりました」

 何かの選択授業かなと考えながらも、授業が始まるまでにはまだ時間がある。

 今なら関係のない私がいても、問題ないだろう。そう考え、私は手近な椅子に先輩と並んで腰掛けた。

 そうして「見てもらいたい物とは」と促すと、先輩は一枚の紙を取り出し、見えるように机へ置いてくれた。

「公園のある、隣駅の地域に住んでいる生徒のリストだ」

「え……こんなもの、どこで……個人情報ですよ?」

「調査目的での使用だと言って、狐崎会長の力を借りた。学外には持ち出さない。放課後までに処分することを約束してね」

 だからといって、簡単に生徒の住所がこうして手に入るのはどうかと思うのだけれど……そう思いながら、リストに目を通す。

 いくつかの名前に、ラインが引かれていた。どうやら、女生徒に印が付けられているらしい。

「割と多いですね」

「隣の駅だからね。フクロウちゃんもいるよ」

「あ、本当ですね」

 神代アウルの名を見つけ、彼女もあの地域に住んでいるのかとぼんやり思う。

「しかし、もっと絞ることができるのだよ」

「これ以上? そんなことが……」

 どうやってだろうかと首を傾げていると、倉科先輩はペンで名前を囲い始めた。

 ラインが引かれている生徒から、数名が選ばれていく。

 何を基準に分けられたのかわからず先輩を見上げると、彼は楽しそうに教えてくれた。

「電車通学をしている生徒だけを抜き出した」

 見れば、神代先輩は囲まれていなかった。

 そうか。自転車通学か電車通学かも学校側に申告しているからわかるのか。

「逃げた生徒は、自転車に乗ってはいなかったのだろう?」

「そうです!」

 隣駅くらいであれば、自転車で通う人の方が多い。

 電車通学をしている人は、ごく僅かだった。

「たった四人だけですね」

「だいぶと絞れたね。おまけに一人除外できるから、実質は三名だ」

「そうか。狐崎会長が含まれているんですね」

 マーカーで印をされ、更にペンで囲まれたのは四名だけ。

 更にそのメンバーには、狐崎会長が該当者として上がっていた。

 彼女であるはずはないのだから、容疑者は残りの三人ということになる。

 この中に、ドッペルゲンガーの正体が……。

 そう考えていると自然、ごくりと息を呑んでいた。

「しかし、我々はまだドッペルゲンガーが人間だという証拠を掴めていない」

「え、でも……神代先輩が降りたのは、今回の件が超常現象ではなかったからじゃないんですか?」

「そうかもしれない。だが、そのことを証明する証拠がない」

「それは、そうかもしれませんけど……」

「僅かでも可能性があるのなら、決めつけてはならない。僕はそう思うよ。だから、超常現象説での調査も続行する」

 突然どうしたのだろう? 超常現象説を蒸し返すようなことを言うなんて。

 あの地域に住んでいる生徒のリストを用意した人のセリフとは、思えない。

 昨日だって、超常現象ではないドッペルゲンガーの仕業だと断言していたのに。

 急に考えが変わったのだろうか。そんなことをされると、こちらも戸惑ってしまうのに。

 そう先輩の発言に困惑していると、ふいに手元の用紙が彼の手によって裏返しにされた。

 倉科先輩が席を立つ。

「ともかく、そういうことだ。放課後、再び公園を調査しようと思う。君も付き合ってくれるね?」

「嫌です」

「ハトちゃん?」

「私は、超常現象なんて信じません。この目で見たものを信じます。狐崎会長に『超常現象だったので何もできません』なんて言いたくはありませんので。絶対に、何かあるはずです。私はその手がかりを探します。先輩が公園に行くというなら、私は目撃情報のあった駅を調べますので、先輩には従えません。失礼します」

「ハトちゃん!」

 先輩の呼び掛けにも応じず、私はぺこりと頭を下げて空き教室を後にする。

 私の手には、先輩が用意した生徒のリスト表が握られていた。

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