「目安箱の投書、既に全部確認済みだったんでしょ。だからこうして今この時、あんたはここにいるんだ。じゃなきゃ、今頃あんたはまだ教室にいるはずだからね」
「本当に、よく回る頭だね」
「あんたに言われたくないね。あたしより先に生徒会長のとこ行ったくせに」
「どうして、そんなことが言えるのかな?」
「あいつら、また来たみたいな空気してやがったからね。一言目にそう尋ねてやれば、あっさり吐いたよ」
ふん、とふんぞり返っている神代先輩。イライラと不機嫌そうだ。
そりゃあそうか。騙されていたのだから。
対する倉科先輩は、にこにこと変わらず笑みを浮かべていた。
きっと、それすら神代先輩は気にくわないのだろう。
鋭い睨みを向けていた。
「そうか。人の口に戸は立てられないからね」
「立てる気もないくせに、よく言う」
「さすがフクロウちゃん。僕のことをよくわかってくれているね」
「やめてくれる? 気持ち悪い。とにかく、美化委員の出る幕じゃないから。あたしに任せて、あんたたちはさっさと帰りなさい」
そう言って、神代先輩は自転車に跨がり、猛スピードで走り去って行ってしまった。
早い。あれ、よく見るありきたりな自転車だったよ? ずっとあの調子で漕いでいるなんてこと、普通ならできない。
驚いている間に、呆気なく。既に神代先輩は、視界から消えてしまっていた。
残された私たちは、呆然とただ立ち尽くしている。すると、倉科先輩から声を掛けられた。
「とまあ、このように彼女が出てくるため、ドッペルゲンガーの話は冗談でも何でもないということだ。嘘なんて吐いていたことが明るみに出れば、何が起こるかわからない。特に三年生は気を付けている。何せ二年間を彼女と共にしているのだから。彼らは噂以上に、嫌というほど思い知っているからね」
「そ、そうなんですね……」
その「思い知っている」中にはきっと、倉科先輩のことも含まれているのだろうな……。
「だからといって、すべてを鵜呑みにして良いわけではないよ」
「え?」
「中には、騙されていることにすら気付いていない人間の証言もあるかもしれないのだからね」
嘘のない話。誰もが真実を述べているその中で、しかし見たままを伝えられ、聞いたままを伝えられた話。
それは、すべて本当に真実なのか。彼らはその得た情報を、疑いもなく受け入れたのではないのか。
本当にそうかと熟考したのか。刹那でも迷いは生じなかったのか。
嘘偽りのない話の中で、先刻の神代アウルのように騙されているのだとしたら?
当人に偽りはなくても、それでもすべてあっさりと受け入れるには早計だと、先輩は言った。
「早計、ですか……」
「……。ハトちゃんはこんな僕を、疑心暗鬼だと思うかい?」
「え……」
そう言った倉科先輩の声音は、どこか寂しい音色だった。
私は返答に困る。
「いえ、そんなことは……」
「構わないよ。僕に気を遣う必要はない」
一歩前へ足を踏み出す先輩。その背中がするりと消えてしまいそうな感覚に、どうしてだろうか、陥った。
「私は……呑気に何も考えず享受する人より、良いと思います!」
「ハトちゃん?」
「だって、ちゃんと向き合って、考えている証拠だと思うから……だから、その……」
それもそうなのかもしれない。だけど、だからこそ気付くことができるものもあると思うんだ。
だって、猫田先生の時もそうだった。私は、被害者であることにすら気付いていなかった。
でも、先輩が見抜いてくれた。私のこれからの学校生活を案じて清掃を実行してくれた。
結局は、こうしてそのまま副委員長のポストに身を置いているけれど、でも先輩の行動は、まったくの無意味なんかじゃなかったと思う。
あのまま見過ごされていったならば、きっと猫田先生はどこかでもっと大変なことをしてしまっていたかもしれないから。
だから、私はあの時の清掃は、単に私のためだけじゃない。猫田先生のための清掃でもあったと捉えている。
常習化していた彼女の「人を欺く」行為――エスカレートする前に、先生の目を覚ますことができたのだと、私は思っているから。
だから――
「上手く言えないんですけど……そうやって疑問を持って物事を見るからこそ、いろんな可能性を考えていけるからこそ、助けてあげられる人もいるんだと思うんです」
「ハトちゃん……」
伝えたいことを言葉にするのって、難しい。
どうしたら、もっと私が先輩に感謝をしているって、すごいと思っているってことを、伝えられるのだろうか。
不甲斐なさからぐっと拳を握り締めて俯いていると、ぽんと優しく大きな手が、頭に乗せられた。
頭上から、くすりと笑みが降ってくる。
「ハトちゃんはいい子だね……ありがとう」
「せん、ぱい……?」
手を乗せられているために、顔を上げられないでいる。
だけど、その声音には先程の悲しい音は聞こえなかった。
私は拙いながらも、何かを伝えられたのだろうか。
先輩は察しが良いから、あんな言葉でも何かを汲み取ってくれたのかもしれない。
そんなことを考えていると、すっと温もりが離れていく。
まるで名残惜しむかのように、私はつられるようにして、顔を上げた。
「いろんな可能性を考えよう。真実ほど、人見知りで小さいからね。芽を摘まないように、見逃さないように、きちんと見つけてあげる必要がある。誰もが素晴らしい能力を持っているのと、同じだよ」
「能力、ですか?」
「ああ。才能がないと言っている人は多い。しかし、知らないだけだ。出会えていないだけだ。諦めてしまっているだけだよ。もっと自身を信じてあげる必要があるというのにね。人間は、とてつもなく素晴らしい可能性を秘めているのだから」
「可能性……」
「そう。大事なのは、できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。僕はやるよ。たとえ今回の件が、僕の手には負えない案件だったとしても」
にやりと口角を上げて、決意を宣言するかのような、倉科先輩の言葉。
すっと、手のひらが差し伸べられる。
「一緒に来てくれるかい? 僕のパートナー」
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